役者に必要とされる品位
 いきなり個人的なことで恐縮ではあるが、私がもっとも嫌いな演技表現とは「品のない芝居」である。
 これはなにも「上品であれ」という意味ではない。たとえ、行動と言動が下品な役をやる場合であっても、役者自身が下品になってしまうことはない、という意味だ。
 別の言い方をすれば、役者の日常における下品さが滲み出ている芝居ほど、私が嫌悪するものはない。
 ここで私がいわんとするところは「人間としての常識を身につけよ」ということだ。

 アマチュア出身の志望者に多い勘違いに「常識に縛られるな」というのがある。その言葉は確かに正しい。だが、「縛られるな」という言葉に縛られてしまっていることがひじょうに多いのだ。
 既成概念だかなんだか知らないが、人間社会における常識を知らなければ、非常識とはなにかだってわかるわけがないのである。
 非常識とは、あくまでも常識という概念に相対する対立概念でしかないのだ。つまり、常識を知らぬ者には、非常識はありえない。
 タブーが、なぜ、タブーたりうるのか? その理由を考えずに、ただタブーの破壊に挑戦するのは、アマチュアならばいい。しかし、プロフェッショナルにそんな蛮勇は必要ないのである。
 まず、自分が常識の程度を知ることが大事だ。その上で非常識を意識すればいい。
 同じく下品な役をやるのであればこそ、上品とはなにかを強く意識しなければならない。その上で、役が求める品はどのレベルにあるのかを計算するのだ。

 いま、計算と書いた。そう、ムードやイメージといったものまでをも計算してプランニングすることこそが演技表現なのである。
 「自分に近いから」という理由で、舞台上において自分の日常そのままを披露するのは役者の仕事ではない。それは恥知らずな露出狂の趣味である。
 役者は、あくまでも自分をニュートラル(中立)で透明な存在として位置付けた上に、役という仮面をかぶるものなのだ。
 自分をニュートラルであり透明な存在とするのに大事なのは、“普通の感覚”を身につけねばならない。もっというならば、役者とは偉大なほどに普通でなければならない。
 ヘンテコリンな性格、ワケワカラン言動、意味不明な行動を、個性だなんて思うのは大きな勘違いなのである。芝居とは変人ショーではないのだ。
 役者は、ホンが求める役に、変幻自在に対応できることがなによりも重要なのである。だからこそ、立脚点である自分に偏りがあってはいけないのだ。
 若い世代にしか通用しない言葉遣い、目上の世代に示したら無礼となる振る舞いの類を自分はしてないかと、諸君らは冷静に判断できるだけの品位を備えなければいけない。
 それこそがプロ役者に必要とされる品位というべきものである。
 そして、この品位とは、一夕一朝に身につくものではない。君の日常そのものから変えねばならない。常識とは自分の世代だけでつくられるものではないのである。


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