スタニスラフスキーを必要とする人……演出/作家
 
 演劇というライブにおける演出はともかく、映画・テレビなど、編集という概念のあるメディアにおける演出は、スタ・シスを理解するどころか、その名も知らぬ人がいるようである。
 21世紀を迎えようとする今こそ、私は演出の同志に、スタ・シスを再認識してほしい。プロフェッショナルな演出にこそ、スタニスラフスキーの実用性を知ってほしいのである。
 演劇、映像の演出ならば御存知であろうが、ハリウッドにはアクターズ・メソッド、メソッド演技というのがある。
 リー・ストラスバーグがニューヨークに設立したアクターズ・ステューディオにおいて、エリア・カザンと共に成立させた革命的演技術だ。
 マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、マリリン・モンロー、ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロと錚々たる名優たちを輩出し、今やハリウッドの演技派と呼ばれる役者たち全てが、このアクターズ・メソッドを身に付けた者であるといっても過言ではない。
 映像の演出家であればこそ知っていてほしいことに、ハリウッドの演出術はこのアクーズ・メソッドを身に付けた役者たちの登場によって革新されてしまったというのがある。
 1940年代からのハリウッドにおけるリアルな映像表現とは、メソッド俳優たちの登場が契機となって生まれたのであり、アメリカン・ニュー・シネマとはメソッド俳優たちの演技術があったからこそ生まれたのだ。
 そして、このアクターズ・メソッドとは、アメリカにおいて実践・研究されたスタ・シスそのものなのである。
 1931年、ストラスバーグは劇団グループ・シアターの結成に参加した時、スタニスラフスキーに書簡を送った。それはスタニスラフスキーをアメリカへ招聘し、スタ・シスを直に教えてほしいという内容であった。その時のスタニスラフスキーの返事はこうであった。
「君たちの手によって、アメリカの風土における新しいシステムを確立しなさい」

 ストラスバーグはスタニスラフスキーの言葉に従い、スタ・シスを基として多くの劇を演出した末、その集大成としてアクターズ・メソッドを創造して、1950年にアクターズ・ステューディオを開設するに至ったのである。
 演出から「アクターズ・メソッドに関する書籍は難しい、わかりづらい」「役者の育成方法としてはいいが、実際の作品づくりには役立たない」といった意見を聞くことがある。
 それは、いきなりアクターズ・メソッドに行ってしまったからだ、と私は考える。
 アクターズ・メソッドは、スタ・シスにおける「生活の真実」を特化させ、「実生活での体験を、演じる役の心理分析に応用する」のが特徴である。
 つまり、スタ・シスを知らずにメソッドを勉強しても、基本となる「生活の真実」を理解できていないのだから、メソッドを理解できなくても当然であるとしかいえない。
 アクターズ・メソッドの基本とは「役者養成」「演技術」にある。
 スタ・シスは、それに加えて「表現の場における倫理醸成…秩序」までも内包している。
 現場に立つ演出であれば誰でも、この「倫理=秩序」がいかに大事なものかは理解できるはずだ。極論すれば、演出としては凡庸であったとしても、倫理=秩序をもたらす演出であれば、作品を閑静させることはできる。
 その倫理の基となるのは、権威でもなければ威圧でもない。役者との対話である。
 イギリスのシェイクスピア役者サー・ローレンス・オリヴィエの言葉に、こんなものがある。

「演技とは、説得の芸術だ。役者は自分が納得したものでなければ、観客を説得できない」

 その役者の演技をコントロールする立場である演出は、役者を説得することが大事になる。
それにはスタ・シスがいかに重宝することか。
 役者と演出を橋渡しするための“共通言語”ともいうべきものが、スタ・シスだ。
 なぜなら、日本において俳優養成をしている指導者のほとんどは、かなり高い確率でスタ・シスを継承しているからである。
 そして、スタニスラフスキーを知らなくても、演出はスタニスラフスキーの言葉を知らず知らずのうちに引用してしまっているものである。
 50年以上前にスタンダードとなった言葉を自分だけで創造したと思って満足している姿は、スタ・シスを知っている者からすれば滑稽でさえある。
 ならば、先人の知恵と経験を、素直に継承するのも、演出にとって、けっして無駄ではないと私は考える次第だ。
  そして、作家。
 特に、シナリオライターは、役者の演技に対して知識がない。
 役者を視聴率の客寄せパンダとしてしか見ていないライターのなんと多いことか。
はっきり言っておくが、だから、役者はライターを甘く見て、平気で台詞を変えるのだ。
 スタ・シスには、役者が芝居をする根拠が示されている。そして、いかに戯曲を読み解くべきかが書いてある。
 スタ・シスは“文学的戯曲”を表現しうる役者を養成する。
 これは、裏を返せば、
 文学的戯曲を表現できる高度な能力をもつ役者をシナリオの上で動かしたいなら、ライターもスタ・シスを理解していて当然、ということなのである。
 スタ・シスを身に付けた役者は、ホンを大事にする。「戯曲には、なにも引かず、なにも足さず」という原則に則って演技を組み立てる。そして、よくできたホンに対
しては最大限の敬意を表し、ライターを深く尊敬してくれる。
 そういった役者とコラボレーションをしたいのであれば、スタ・シスを理解し、役者の生理と哲学を知ることが大事ではないか?
 机の上でシコシコ書いているだけでは、けっして役者を理解などできはしない。
 たまに現場に顔をだし、役者を見渡しているだけでは、けっして演技の本質などみえない。
 演技とは論理的に組み立てられたものであると理解しない限り、何十本、何百本と優秀な舞台に接したとしても、観客としての感動以上のものはけっして得られない。
 役者が役者たりえるための、真のアイデンティティを理解しようと思うならばこそ 、スタ・シスは意味あるものとなる。
 ライターに観客としての視点が必要なのはもちろんだが、観客であるだけでは役者を動かせるホンなどは書けないのだ。
 忘れてはいけない。ホンとは、全ての演技の原図なのである。原図を書く人間が演技表現のことを何も知らないのでは、いいホンなど書けるはずもないではないか。
 正統な訓練を受けた役者では理解できない不自然な必然や流れを求めるから、ホンは変えられてしまうこともあるのである。
 そして、戯曲にしても、シナリオにしても、演出と、役者の演技がない限りは、ただの紙切れだ。上演が目的とされたものは、上演されない限りは無意味なものなのだ。
 上演されるに値するホンを書くため、演技表現というものの本質を知るため、スタ・シスは、ひじょうに意義のあるものだと、私は作家同志に断言する。

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