99/12/31 (金)

■■■ めぐりあい ■■■

 今日で1999年も終わりだ。
 激動の一年だったなあ。
 ……って、「今年は平安な年でした」なんてことあっただろうか? 毎年「今年の風邪はたちが悪い」みたいなもんだろう。
 ところでノストラダムスはどうした? 恐怖の大王とやらはドコでのんべんだらりとしてやがるんだ。道にでも迷ってんのか?

 さて、あなたは、今年、どんなひととめぐりあっただろうか?

 人生はめぐりあいに彩られている。
 ポジティブなめぐりあいもあれば、
 ネガティブなめぐりあいもある。
 私に出会ったことで、新たな喜びや今まで知らなかった喜びを得たひともいるだろうし、
 私に出会ったことで、嫌な思いや悲しい思いをしたひとというのもいるだろう。
 同じく私も、めぐりあいに喜んだり、腹を立たせたりした1年だった。

 ルソーは教育史に永遠に残る名著『エミール』の中で、こういっている。
「世の中で生きるには、人々とつきあうことを知らなければならない」
 
 人とつきあうには、まず出会いであり、めぐりあいだ。
 めぐりあいなくして、つきあいはない。
 そして、つきあいは、別れを意識するかどうかで随分と違うものとなる。

 いきなり結論じみてしまうが、人生に別れはつきものだ。
 新たな出会いとは、将来の新たな別れをひとつ増やすことである。
 なにがあっても、別れから目を背けてはいけない。別れがない関係など、この世にはないのだ。
 つまり、人とつきあうとは、別れを覚悟することから全てが始まる。

 別れの中でも最も辛く苦しいのは死別である。
 今、友人と仲たがいを起しているひと、恋人と喧嘩をしているひと、親との関係が悪くなっているひと。
 本来であれば、自分にとって大事なひととうまくいっていないひとたち。
 ここで一瞬でもいいから考えてみよう。
 あなたは、明日、そのひとが死んでしまったらどうする?
 いや、1時間後、30分後、1秒後に、そのひとが死んでしまったならば?
 忘れてはいけない。
 ひとは死ぬものなのである。
 その時、どんな後悔があなたを襲うか?

 私は、よく考える。
 私は、私の好きなひとたちに、なにをしてあげられているのだろう、と。
 私の好意は届いているのだろうか、と。
 好意を届けるなんて、しょせんは自己満足なのだとも思う。
 しかし、私は、自分の思いを届けたいともがいている。
 あのひとが死んでしまわぬうちに、
 そして、自分が死んでしまわぬうちに……

 私も、あなたも、いつかは死ぬ。
 自分の想いを届けられるのは、生きているうちだけなのだ。
 自分も、相手も、生きているうちに届けよう。
 私は、あなたを愛している、と。
 私は、あなたに感謝をしている、と。

 来年のあなたが、素晴らしい出会いに恵まれますように……

 良いお年を!


 人生 離別なくんば
 誰が恩愛の重きを知らん
             (蘇東波)

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☆13900アクセス達成! ありがとうございます!

☆香川は魚が旨かったあ! カワハギの刺身が最高! また、来年もいこうかな♪

 

99/12/24 (金)

■■■ 幸福って……? ■■■

 今日はクリスマスイブだ。
 日頃、キリスト教に無関係に生きている人たちだって、みんな、イエスの誕生日だけは祝う。
 こういう日だからこそ、幸福ってやつを考えてみたい。
 クリスマスぐらい、ね。

 さて、じゃあ、幸福ってなんだろう?

 お金? 欲しいですよ、そりゃ。
 でも、幸福になるため、お金お金と言ってるのもね。だって、お金は汗水垂らして働けば手にはいるもの。

 地位や名声? いやぁ、これもいいねえ。
 でも、誰かに貰うものじゃないよね、これもさ。自分のやってきたことが認められればいいだけのことだし。

 今日という日ぐらいは、もうちょっと夢を見たいよね。

 昔の思想家マルクスって人は言いました。
「君が“ある”ことが少なければ少ないほど、
 また君が君の生命を表現することが少なければ少ないほど、
 それだけ多く君は持ち、それだけ多く君の生命は疎外される」
(マルクス著『マルクスの人間観』より)

 カンタンに言っちゃえば、このマルクスって人は「生命を輝かせようと思ったら、物質に惑わされちゃダメだよん」と主張している。(そーゆー意味だとわかった上で、もう一度、読み返してごらん)

 同じようなことを、13世紀ドイツの説教師エックハルトはこういう風に言っている。

「魂の中にひとつの力があり、その力にとってはすべての事物が甘美である。この力にとっては全てが相等しいのだ。この力が万物を『ここ』と『今』のかなたで受け入れる。
 『今』……それは時間である。そして、『ここ』……それは場所、いまわたしが立つところのこの場所である。
 だが、よいか。もし、わたしがわたし自身から完全に脱却し、自己からまったく自由になったならば、見よ、そのとき天なる父はわたしの魂のうちにその独り子を生み、わが魂はそれを生み返すのである」
    (エックハルト著『説教』より)

 この言葉には注釈をつけない。意味は、各自でよーく考えてみてほしい。

 私だって、まだまだ三十路のガキ。
 なにもかもをわかって生きているわけじゃない。
 だけど、ひとつだけわかってきたことがある。
 快楽や悦楽がイコール幸福じゃあ、ない。
 じゃあ、幸福ってなんなのか?
 ごめん。わかんないや、私にも。
 でも、快楽や悦楽がイコール幸福ではないことだけは、うすうすわかってきた。
 自分に直接的なメリットはなかったとしても、自分の好きな人が嬉しそうな顔をしているというだけでも、なんか心が暖かくなる。
 そういうのって快楽でも悦楽でもない。
 だけど、この心地よさっていうのかな……
 これってかなり幸福に近いんじゃないかな、ってね。

 宮沢賢治は、こう言っている。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
 ってことは、みんなが幸福を感じられたならば、私も幸福になれるのかな?

 よそ見ばっかりしてるみたいだけど、たまには下も見てよね、イエスさん。
 せっかく誕生日を祝ってあげてるんだからさ♪

 それでは、みなさん、メリークリスマス!

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☆13300アクセス突破! 1999年6月23日のオープンから、昨日でちょうど半年経過…… ありがとうございます!
 半年で13000ってことは、1ヶ月平均2170人近くの人が訪問してくれて、
 毎日、約70人の人が訪問してくれてるってことか。
 みんな、ありがとうね♪(⌒-⌒)

 

99/12/18 (土)

■■■ 自滅(ちゅどーん!) ■■■

 私のところには、志望者からの色んなメールが来る。全てに返事を出しているわけではないが、礼儀をわきまえたメールであれば、なるべく返事をする努力はしている(努力は、ね)。
 先日、メールでやりとりをしていた地方在住の女子高校生から、こんなメールをもらった。
「やっぱり声優になるのは諦めました。友人に相談したところ、私らしくないと言われたし、色んな占いをやってみても向いていないと出たからです」
 私はこんな返事を出した。
「友人に『らしくない』と言われた程度で諦めたり、占いで悪い結果が出た程度で諦められるのなら、さっさと諦めて正解です。
 良かったですね。人生を踏み外さなくて」
 いやー、色んな志望者がいるものだ(笑)。

 私は原則として、声優の道を諦められるなら、諦めた方がいいと考えているクチだ。
 デビューできるのは50人に1人というのは、かの東京大学を超える競争率だし、
 その後、声優として飯を食っていけるのは、1万人に1〜2人。この競争率は弁護士や医者になるよりもはるかに難しい。
 声優になるための努力を他に向ける方が、効率がはるかにいいのだ、医者や弁護士になる方が、声優になるよりもカンタンなのである。しかも、国家医師試験や司法試験はペーパーテスト。点数さえとってしまえばなれるのだ。
 こんな困難な道だというのに「自分は声優になれる」と思えるってのは、いったい、どんな根拠があるんだろうか。
 枕元に、赤いトンガリ帽子をかぶった小人サンが来て、毎晩、「キミハ声優ニナレルルルルゥ〜」と踊ってるんじゃなかろうか?(笑)

 なによりも不思議なのは、これだけ困難な道だというのに、学校や養成所でヘラヘラやってる馬鹿どもだ。
 「仲間が大事!」とのたまって、エセ友情ゴッコやって、おもしろおかしくお芝居ゴッコやってるだけの馬鹿には、ホント、頭が痛くなる。

 相当な数の志望者に嫌われるだろうと思ったので今まで書かなかったことを、今回は書いてしまおう。

 高校生までは、アニメファンや声優ファンといえば、校内には一握りしかいなかったかもしれない。クラスに同じ趣味の友だちが数人しかいなかったのもわかるよ。
 それでずいぶんと迫害もされただろう。アニメファンは暗いだの、声優ファンは変わっているだのさ。それが原因でイジメにあったこともあるのかもしれない。
 イジメられたから、アニメそして声優ファンの道に逃げ込んだという人もいるだろう。

 養成所や声優学校に入ってみたら、こりゃビックリ。アニメファンや声優ファンがいっぱい。こりゃパラダイスだあ!
 キミとボクはお友達! いっしょに夢を叶えよう!
 アタシとアナタは仲間よ! お互い傷をペロペロ舐めあって、慰めあいましょうね!
 クラスは仲良くしなきゃ! 同期で盛り上げなきゃ! ヘタクソ同士で仲良くしましょ!
 厳しい言葉なんか耳にはいらなーい! 甘く優しいダラケた言葉だけがだーいすきぃ!
 さぁ、暗くミジメだった青春をリプレイ! 気の合う仲間と愉しい養成所ライフ〜!

 ……とんでもないね。
 養成所や声優学校で青春リプレイなんかしないでくれる?
 だから、踏み潰されるしかない99.99%に仲間入りしちまうんだよ。

 アニメファンや声優ファンのお友達が欲しいというなら、コミケだのコスプレダンパにでも行ってくれ。アニメファンだの声優ファンが数万人、数千人も集まっているぞ。
 声優ってのは、プロ俳優のマスコミ仕事なんだよ。
 養成所や声優学校ってのは、プロ俳優になるための修業の場であって、アニメファンや声優ファンの集会所でもなければ、お友達紹介センターでもないんだ。

 「声優になろう!」という動機は、アニメが好きとか、声優が好きでもかまわない。
 が、その意識から脱却しなければ、プロへの道には足を踏み入れることすらできない。
 過去に淋しい思いをしたとか、ミジメな思いをしたなんてのも、さっさと脱却しろ。
 人生ってのは、未来を見据えた上で、現在を歩くものなのだ。
 過去を振り返ったり、過去にこだわっている限り、未来なんてものは見えない。

 クラスメートと仲良くするのもいい。同期を盛り上げようという姿勢もゴリッパだ。
 が、その前に為すべきことはないか?
 基礎体練をやるより、クラスメートとくっちゃべっている方が、そりゃ楽だよなー。
 発声やってるより、クラスメートと飲みにいってる方が、そりゃ楽だよなー。
 滑舌やってるより、アニメや声優の話題で盛り上がってる方が、そりゃ楽だよなー。
 意識を高めて自分に厳しくあるより、低い意識にあるその他大勢とホンワカフニャラカやって夢を語り合っているだけの方が、そりゃ楽だよなー。
 結局、なんだかんだと言い訳つくって、楽な道、楽な道へと自分から堕ちていってるだけじゃねーか。
 そーゆーのをね、“自滅”ってゆーんだよ。知ってた?
 俳優修業を落ちこぼれていくヤツの9割は自滅なのだ。誰が悪いんでもないの、自分が悪いだけなのである。
 兵法にいわく「最大の敵は、我が内に在り」。
 よく覚えておくんだね。

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☆12850アクセス突破! ありがとうございます! 某所でおもしろいハナシを聞きました。「ブラウザーの更新ボタンを押してもカウンターが増えないニフティのカウンターは、更新ボタンを押すと増えるカウンターの3倍の価値がある」というもの。ってことは、我がTHE AQUARIUS STUDIOは38000アクセスの価値♪(笑)

☆収録の帰りに思い付きました。「あなたは声優修業をやるべきか?」ってCGIをやってみたらどうかな、と。設問は全20問で、0〜30点は「思い直しましょう」、35〜60点は「相当な努力が必要とされます」、65〜100点は「本人の努力次第です」。ちなみに最低点は-1000点! 0点をとるのさえ難しくなる予定(笑)<やりたい奴、いるんかい?(^_^;

☆ぐぐぐぅ… 疲れたあああ。体調悪いぃぃ。機嫌も悪いぃぃ。(>_<)

 

99/12/17 (金)

■■■ 夢見るだけならバカでもできる ■■■

 私は“売文屋”と名乗っている。時には“雇われ演出”だ。
 とてもじゃないが、恥ずかしくって「作家です」なんて名乗れやしない。演出“家”なんてのも、かなり、こっぱずかしい。
 業界とは無関係な一般人に、そういう御大層な肩書きを名乗った瞬間に、(お世辞だとは思うが)「凄いですねー」と言われるのがイヤでイヤでたまらない。

 私は、毎日を真面目に働いている普通の人々こそが、本当に偉大だと思っている。
 家族のために真面目に働くお父さん、お母さんというのは、本当に偉い。
 社会に出ればわかるが、人の世とは矛盾だらけだ。正しい理屈であれば通用するなんてことは滅多にない。大人というのは、くだらない人間関係に悩まされ、不平等と不公平に踏みつけられながら、下げなくてもいい頭を下げて、家族の幸せのために働いているのだ。

 以前、私は名村クンを叱ったことがある。 名村クンが「サラリーマンにはなりたくない」と、サラリーマン蔑視の発言をしたので叱ったのだ。
 「日本の労働人口の6割以上がサラリーマンなんだぞ。サラリーマンを馬鹿にするのは、一般市民を馬鹿にするのと同じだ。普通の観客とは一般市民に他ならないんだぞ!」
 私は「選ばれた人間にしかわからない」「センスのない人間にはわからない」などとうそぶく先進だの実験などの表現が大嫌いだ。
 誰にでもわかる、誰もが楽しめる、作品に触れた観客が「人間っていいなあ」「人生っていいなあ」と思ってくれ、そして、明日の人生の活力にしてくれるような、そんな大衆向けの表現というやつにこだわる。
 私の売文も演出も、世の中のお役には立たないものだ。せめて、一所懸命頑張っている普通のみなさんに楽しんでいただきたい、と。

 そんな私にとって、最も許せない態度とは「ボクには夢がある。夢があるから、他の連中に比べて上等だ」という思い上がりだ。
 そういうクソガキは半殺しにしても飽き足りない。
 夢を見るのは勝手だ。
 しかし、夢を見ているだけで、他の普通の人々を馬鹿にするなどというのは、人として腐り果てている。
 夢というのは見ればいいってものではない。
 夢を実現させるために努力することこそが、最も大事なことなのである。
 なんの努力も始めていないうちから、「夢のない連中なんて…」と嘲る奴こそが、真の大馬鹿野郎だ。
 たとえ、努力を始めていたとしても、夢を実現していないうちは、ただの役立たずなんだよ。

 クリエイター志望者に、この手の勘違い野郎が多いのは、本当に悲しいことだ。
 一所懸命に生きている人を素直に認めることもできない奴が、なにをクリエイトしようというんだ?
 人の世の辛さ、苦しさ、悲しさをこれっぽっちも理解していないクソガキのセンスだの個性なんてぇもんは、糞拭く紙にもなりゃしねぇんだよ。

 生きるってことは辛いんだ。
 生きているだけで苦しいんだ。
 生きることほど疲れることってのはない。
 それでも、みんな、生きている。
 正義なんてもんはドコにも見つからない矛盾に満ち満ちた世の中で、ぐっと我慢しながら頑張るしかないんだ。
 汚く、愚かで、嘘つきで、自分だけが可愛い人間という不完全な生物に残された、かすかな希望を信じて生きるしかないんだ。

 そんな人たちを応援するどころか嘲うだと? 何様のつもりだ、クソガキが!
 なにが文化だ、なにが芸術だ。
 受け取ってくださる人がいてこそのクリエイトだろうが。
 誰も受け取ってくれなかったら、クリエイトもへったくれもありゃしねぇんだよ。ターコッ!

 一所懸命に生きている人たちを馬鹿にしちゃいけない。
 しょせん、クリエイターなんてもんは、好きなことやってるだけの社会のクズ。
 どんなに金もうけをうまくやったって、クリエイターなんてのは“社会の役立たず”に過ぎない。
 真面目に働くことのできない人間のクズが、最後に選ぶ仕事がクリエイターだ。
 一所懸命に生きている人たちあってこそのクリエイターなのだということを、若いクリエイター志望者は忘れないでほしい。

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☆12760アクセス突破! ありがとうございます!

☆私が録音演出を担当するWindowsゲーム『In to Your World』収録快調! 俺って天才〜♪(誰も誉めてくれないから、自分で自分を誉める空しさよ…)

 

99/12/16 (木)

■■■ ドキドキ、ワクワク、ハラハラ、ウキウキ、キューン ■■■

 私がジムのテキストに『セイムタイム、ネクストイヤー』を使っているといったら、「ガキにはわからないだろう、あの戯曲は」と言った知人がいる。
 そういう時、私は微笑してすませる。「あんた、頭カタいんだねえ」と。

 確かに私は「若さはバカさ」を提唱している。が、同時に「トシだけ食ってリゃエラいってわけじゃねぇんだよ。努力しなくても食っちまうのがトシだ」とも考えている。
 大事なことは年齢ではなく、恋愛のドキドキ、ウキウキ、ワクワク、ハラハラ、そしてキューンだ。
 私はジムの連中にも言ったし、選抜チームの連中にも言った。

「不倫だろうが、許されない恋だろうが、誰かを好きになった時、
 相手の名を口にするだけでドキドキするような気持ち、
 相手と同じ空間にいるだけで、心がウキウキとはしゃいでしまうような気持ち、
 相手の言葉や態度のひとつひとつに、心がワクワクするような気持ち、
 相手が自分のことを好きかどうかがわからなくなってハラハラしてしまうような気持ち、
 相手のことを思うだけで胸がキューンと痛くなって、ため息をついてしまったり、思わず涙ぐんでしまうような気持ち、
 これらの気持ちは変わらないんだよ。
 初恋は演じられても、不倫は演じられないなんて、そんな馬鹿なハナシはない。
 初恋も不倫も、ハートの根っこは同じだよ」

 サー・ローレンス・オリヴィエいわく、
「演技とは説得の芸術である。俳優は、自分が納得したものでなければ、観客を説得することはできない」
 恋愛ドラマも同様である。
 相手に自分の想いをどれだけ届けるかというのが大切なのだ。

 もし、人間にシッポがついていたら、どんなに楽だろう。
 どんなに素知らぬ顔をしていても、正直に動いてしまうシッポ。
 できれば、額にカウンターがついているといい。数字で明確に、好意や愛情が表されれば、人間はもっと楽に暮らせるだろう。
 が、人間には、シッポもカウンターもついていない。
 全身全霊をこめて、愛情というやつを表現するしかないのである。

 昨日、ジムでエモーションをやった。
 どうにも、みんなの台詞が段取りすぎるのが嫌だったので、初心に帰らせてみたのだ。
 たった一言をいうために、どれだけのテンションが必要か、をわからせるために。
 一言の重みを知らねば、台詞をたてるなんてことだってできるわけない。

 さて、来週でジムは終了だ。
 来年度、ジムがあるかどうかはわからない。生徒たちのリクエストが事務所に届けばあるかもしれない。
 来週が、最後の『セイムタイム、ネクストイヤー』だ。
 あいつらは、ドリスとジョージのドキドキ、ウキウキ、ワクワク、ハラハラ、キューンをどう演じるだろうか。

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☆12650アクセス達成! ありがとうございます!

☆明日は収録だってのに調子が悪い。気合い入れ直して頑張るっきゃないんだけどもね。

 

99/12/13 (月)

■■■ ALL YOU NEED IS LOVE ■■■

 私のH"には、イエローサブマリンのストラップがついている。が、これに気付いてくれる人は滅多にいない。
 「あ! イエローサブマリンだ!」と言って羨ましがってくれたのは、ロック好きのマンガ原作者ただひとりという状況だ。ちくしょうめ。
 せめて、あと5人ぐらい気付いて「イエローサブマリン音頭なんてのもありましたね。ナイアガラの新アルバムはいつ出るんだろう」とか「コーギーから出てたミニカー持ってましたよ」とか「上々颱風バージョンもいいですよね」なーんてディープなベクトルに話題を振ってくれたなら、私もかなり満足なのだが……
 まっ、いいや。気を取り直して、本題に入ろう。

 『イエローサブマリン』とは、ビートルズ主演のアニメ映画だ。サイケな色彩感覚バリバリで、ビートルズの中期名曲がちりばめられている。60〜70年代のラブ&ピースという世相をよく表した作品だ。
 ストーリーは… ある国が独裁者に占領され、音楽が全面的に禁止されてしまう。そこへ乗り込んだビートルズが音楽を通して、国民たちに愛を振りまき、やがて独裁者も愛によって生まれ変わる、というもの。

 このわかりやすいストーリーはその後、様々なアーティストによってオマージュ作品を生み出してきた。
 私と同世代の人間なら、15年前に流行したスティックスの『ミスター・ロボット』というアルバムを思い浮かべるだろうし、(♪ドモ、アリガット、ミスターロボット、ドモッ、ドモッ♪ってやつね←ポリスの♪ドゥードゥーでダァーダァーダァー、コレガ俺ノ言葉サ♪や、カルチャークラブの♪セーンソーヘンタァーイ♪と勘違いしないでよん)
 私より下の世代であっても、東京ディズニーランドのアトラクション『キャプテン・イオ』ならばわかるだろう。(マイケル“きゃおっ”ジャクソン主演の3D映画。いつのまにか終わっちゃったみたいだけど←けっこう好きだったんだけどなあ)

 ギリシャ悲劇が3000年の歴史を、日本の能が600年の歴史を、シェイクスピアやラシーヌが400年の歴史を経て上演され続けるのにはワケがある。
 優れた作品には、人類にとって不変のテーマをもっているからだ。
 ギリシャ悲劇は数千年の時空を超え、あらゆるメディアにおいて翻案/脚色され続けているし、
 大ヒット映画『タイタニック』の元ネタはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』だ。
 全く同じことが『イエローサブマリン』のクライマックスで流れる名曲『愛こそすべて(ALL YOU NEED IS LOVE)』にもいえる。

 私は「愛こそすべて」というガラではないのだが、愛の大切さというものを年を経るごとに感じさせられる。
 そして、教え子たちにも、修業の上で愛を求める。
 作品を愛するということは、それだけ作品成立への意識が高まるということだし、
 役を愛するということは、それだけ役の掘り下げが深まるからだ。
 愛なくして、作品の魅力や、役の魅力が見えるはずがない。
 だから、私は「作品を愛せ」と言うし、「役を愛せ」と言う。

 我々が活躍する業界はマスコミ仕事と呼ばれる、芸術とは程遠い地平だ。
 業界人の中には「金こそすべて」と、ファンを馬鹿にしてるとしか思えないテキトーな仕事をやってやがる連中がゴロゴロしている。「それがギョーカイってもんだよ。フフン」とうそぶくヤツなんてのもいる。
 まあ、どこの業界でも、そーゆー阿呆はいる。問題は、そんな連中に迎合して自分まで阿呆の仲間入りしてしまうことだ。
 クリエイトは一生の仕事だ。
 自分の属する業界に愛情をもてないで、一生やっていられるだろうか?
 自分の仕事に対して愛情をもてないで、一生やっていられるだろうか?

 やっぱり「愛こそすべて」なのだ。
 愛があればこそ、乗り越えられる艱難辛苦がある。愛なくして、辛くて苦しい修業など一生続けられるわけがない。

 自分が属する業界に、
 自分の一生をかける仕事に、
 自分が出演する作品に、
 自分が演ずる役に…

 ALL YOU NEED IS LOVE!
 愛こそすべて!

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☆祝12300アクセス突破! ありがとうございます!

☆今回は、子鹿チャン(動物占い)らしく“愛”のハナシなんぞしてみました(笑)。

 

99/12/10 (金)

■■■ SWING! SWING! SWING! ■■■

 …って、二木ゴルフのCMじゃないよ<関東ローカル・ネタ(笑)。

 コメディは難しい。これは俳優修行を始めている人ならば、誰でもが知っている“定説”だ。
 では、なぜ、コメディ難しいか? 残念ながら、ここんところを明確に意識している志望者は少ない。ほとんどの場合、指導者が「難しい」と言ってたから鵜呑みしているだけだったりする。
 コメディが難しいのは、俳優という人種が「自己顕示欲のカタマリ」だからだ。
 俳優なら誰でもそうなのだが、脇役よりも主役をやりたいし、かっこ悪い役よりもかっこいい役をやりたいものだ。脇役だとしても、せめて、おいしい役をやりたがる。
 コメディにおける「おいしい役」とは「笑いをとれる役」だ。

 笑わせるというのは、実にわかりやすい快感である。自分がやったことが「うける」というのは、サービス精神を満足させるのだ。
 が、ここにコメディの落とし穴もある。
 演劇初心者は、観客の「うけ」という快感に感覚が狂ってしまい、「笑わせる」と「笑われる」の違いがわからなくなってしまうのである。
 素人がやるコメディとは、笑わせているのではない。笑われているのである。

 この勘違いを修正しないと、どんなことになってしまうか? コメディではなく、コントになってしまうのだ。
 私は「コントよりもコメディのほうが格上だ」などというつもりはない。私自身、ドリフターズのコントは大好きだ。
 しかし、コメディとコントは違う。
 観客が笑うためなら、なんでもやるのがコントだ。「笑わせる」も「笑われる」も関係ない。うけた者が勝利者だ。
 しかし、コメディでは、戯曲に示された「笑わせるべきポイント」で笑わせなければいけない。そうでなければ、俳優が笑いをとる意味などはないのだ。笑われるだけなら素人でもできるが、戯曲の笑いどころをしっかりと押さえて、演技の中で笑わせるのは俳優でなければできない仕事なのである。
 つまり、優れた解釈力がなければ、コメディをコメディとしては演じられない。貧弱な解釈力では、コメディがコントになってしまうのである。

 コントでは、あるキャラクターが出て来たその時点で笑いとインパクトが欲しい。志村けん氏の“ヘンなおじさん”や、加藤 茶氏の“はげちゃびんオヤジ”などが好例だろう。
 コメディを勘違いしてしまっている俳優は、ここで既に勘違いからの行動に走る。舞台にいるのは“人間”であるはずなのに、登場しただけで観客の「うけ」を狙おうと、余計なことをやってしまう。

 ほとんどのコメディでは、その人物の行動・言動に“おもしろみ”や“おかしみ”というものがなくてはならない。
 が、これは正しい人間理解が伴ってこそ可能なものだ。
 実際にはいるはずもないであろう変人が奇妙な行為をやるだけなら、それは俳優の仕事ではない。
 実在感をもった人間が、ちょっとした“歯車のズレ”から笑いにつながるのを演ずるのがコメディにおける俳優の仕事なのだ。
 コメディにこそ、リアルな演技が必要とされるのである。
 リアルな演技を必要とされるからこそ、コメディは難しいのだ。

 では、コメディを演ずるコツとはなんだろうか?
 私が重要視するのは、今回のタイトルであるSWINGである。

 SWINGとは音楽用語だ。デキシーランドジャズから生まれた言葉で、「スイング感に溢れている」といえば、「俳優も観客もノリノリで、思わず踊ってしまいたくなる」という誉め言葉になる。
 その他、言葉の意味としては、回転、揺れる、動くとなる。SWINGERといえば、活発で現代的な人、時流の先端を行く人となる。SWINGINGでは、揺れている、軽快な、となる。
 ……と、ここまでで「なーんだ、ノリのことか」と思ったなら残念賞。
 ノリだけの笑いでは、コメディもコントも差がない。
 前述の「正しい戯曲解釈」と「リアルな演技」を元に、観客をノセ、俳優同士がノリあうことこそが、コメディの真骨頂なのである。
 そのために大事なことは、俳優の余裕だ。

 観客をノセるために大事なポイントとはなにか?
 それは観客の反応を皮膚感覚でとらえつつ、リアルタイムに演技に活かすことである。
 セリフのたて方、ミザンス(アクション)を、リアルタイムで観客に合わせて微調整するのだ。
 これは極めて難しい。演劇初心者には到底無理だ。そもそも観客の反応を皮膚感覚で捉えることからして無理だろう。なぜなら、余裕がないからだ。
 「とにもかくにも失敗しちゃいけない」とばかりに、稽古中そのままを正確に再現しようとしたって笑えるわけなどないのである。
 舞台は生き物だ。それをイヤというほどまでに実感させられるのがコメディなのである。
 が、この点を成功させられたなら、これほど気分がいいものもない。

 俳優同士がノリあうのは、もっと難しい。
 まず、出演者ひとりひとりの力量が問われる。前述したように、リアルな演技をできることが大前提だ。リアルな演技をできる俳優など、そうそういるものではない。
 その上で、ひとりひとりの俳優が「役における自分の役割」を正しく理解していなければいけない。
 主役は簡単だ。主役というぐらいなのだから、自分が目立つことを中心軸に据えて解釈をすれば良い。あとの調整は演出に任せるぐらいのつもりで、めいっぱいやってくれればいい。
 が、脇役は難しい。主役の笑いどころをきちんとたててあげなくてはならない。作品の笑いどころを際立たせるのは、主役ではなく脇役の仕事なのだ。だから、脇役が冒頭の「自己顕示欲の塊」だと、まず、成功しないものなのである。
 が、ここらへんを大失敗している舞台って多いんだよね。特に、作・演出・出演までやっちゃっているアマチュア演劇では。演出と俳優が未分化だから、観客を笑わせることよりも自分が目立つことに腐心してしまう。つまり、演劇における最大の命題であるところの「作品の成立」がボヤケてしまいがちなのである。

 この2点を成功させるために大事なことは、俳優自身が「作品の成立」を深く意識することである。
 そして、同列に「観客へのサービス精神」も問われる。
 コメディなのに笑えなかったら、観客は不幸だ。
 観客を不幸にさせぬためには、俳優は稽古中、苦しみに苦しみ抜くしかないのである。
 コメディでもシリアスでも基本は全く同じ。
 作品とは、演技する快感のためにあるのではない。大事なことは、観客を喜ばせるために作品はあるということだ。 

 この2点を成功させると、舞台も観客席もSWINGする。
 それこそ、空間全体が揺れるのだ。
 が、この2点を成功させることほど難しいこともない。
 だからこそ、コメディは難しく、難しいからこそ成功した時の快感もひとしおなのである。

 ちなみに……
 俳優や演出の中に「今日の観客はノリが悪い」などとコボす者がいるが、それはタワケた思い違いだ。おもしろい戯曲をやっているというのに、観客をノセられなかった俳優と演出が悪いだけなのである。

 ま、そーゆーわけだから、頑張ろうねん!

99/12/9 (木)

■■■ 俺はゾマホン ■■■

 前回に引き続き、テレビシリーズ第2弾である。

 TBS系『ここがヘンだよ日本人』というバラエティを御存知だろうか?
 日本の常識ではあるが、世界の非常識だという事柄について、在日外国人たちがブーブーと文句を言うバラエティである。
 まあ、よーするに「日本ってダメダメな国なんですよ。えへへ」と卑下する国辱番組だ。
 この番組に出ているタカ派アメリカ人ジャーナリストなんぞは、間違いなく右翼・左翼両方の標的にされているんだろうな、と思う。私は、このアメリカ人ジャーナリストと酒席でいっしょになったら、頭突き10連発で顔面血みどろにした挙げ句、三角締めでオトしてくれようと固く心に誓っているぐらいだ。
 レギュラーにゾマホンという黒人男性がいる。彼はペナン共和国という、言っちゃ悪いが後進国の出身で、実にエキセントリックに叫びまくる。WASPに対してヒステリックなまでに攻撃しまくるので、正当意見すらお笑いにされがちだ。
 私は番組開始当時から「ゾマホン、おまえの言っていることこそが正しい!」と声援を送っていたのだが、ひょんなことから自分がゾマホンだということを知ってしまった。

 今日は16期中野ゼミの発表会だった。その後、リョーコとヘロミとチョイと腹ごしらえをしに居酒屋へ行った。
 で、私はかねてからの懸念をふたりに相談してみることにした。
「なあ、なあ。俺って、そんなに恐いか?」
 別に私は、生徒から愛されようとは思ってはいない。これだけ本音をズバズバ言っているのだ。煙たがる生徒が圧倒的多数なのは当たり前だとも思っているが、恐怖の対象となるのは本意じゃない。
 私は恐怖政治を敷くつもりもなければ、言いなりのロボットを育てたいわけでもない。ただ、ひたすらに優秀な俳優へと育ってくれればいいだけなのだ。
 それにしたって、近ごろのガキどもは扱いにくい。好かれただの嫌われただのと下賤なレベルでガタガタ騒ぐ連中の扱いに、私もほとほと困り果てていたのである。

ヘロミ「安達さんは恐いですよぉー。ワルっぽいっていうかぁ。でも、今はそうじゃないってわかってますよ」
安達「ちょっと待て。それは見た目とか雰囲気の問題だろ。俺は、おまえら生徒に対して、感情で怒ったことなど一度としてないぞ。あくまでも将来のことを思って、叱っているつもりだ。だから、どんなに激しく叱っていても5分以内に切り上げて、そのあとは気分一新して明るく愉しく講議を再開するように心がけているじゃないか」
リョーコ「……うーん。それがわからないんですよ。怒られると叱られるの差がわからないから、全部、怒られたになっちゃうんです」
安達「ええ? だって、俺はどんなに叱ったあとだって、しこりが残らないように、なるべく笑顔を心がけているじゃないかよ。そんなに話しかけづらいか、俺は?」
リョーコ「ですからね…… 今まで怒られたことはあっても、叱られたってことがないんですよ。その区別がつかないんです。全部、怒られたになっちゃって、イコール嫌われたになっちゃうんですよ。で、一部分を怒られているのに、自分の存在の全てが否定されたように思っちゃって、全てが駄目だと思うんです」

 これには私が驚いた。
 かって私も生徒時代に、勝田先生には散々叱られた。勝田先生だけではなく、どの先生にも何度もガツンと叱られている。人間を超越した“天女”の野沢雅子さんにだって、何度も生意気をぶっこいたことがあるぐらいだ。
 叱られたがイコール嫌われたなんて思ったら、なにもどうしようもないじゃないか。

安達「叱られるってのは、そりゃ、本人の考え方であったりも含まれるよ。でもさ、だからといって、それで関係を終わらせていたら、そんなもん、先がなくなっちゃうじゃないかよ」
リョーコ「だから、みんな、好かれよう、好かれようと努力するんですよ」
安達「だからさー、俺が個人的な好き嫌いだけで云々ってしたことあったかよお。俺は頑張ってる奴や、努力してる奴だったら、ちゃんと認めてきたぞ。その上で、もっと頑張れと後押ししてきたつもりなんだけれどもなあ。かえって、口先だけで取り入ろうとしてくる甘えた連中については、寄せつけないようにしてきたはずぞ」
リョーコ「それが、安達さんのよくわからないところなんですよ」
安達「はあ?」

 リョーコいわく……
 世の中ってのは、そうじゃないんだそうだ。地道な努力や、それによる実力よりも、好かれれば楽にやっていけるというのを、どの子も散々実感させられているらしい。
 だから、まずは好かれたい。好かれなければ、何ごとも始まらない。嫌われることが全面否定なのであれば、好かれることは全面肯定だというのである。

安達「ちょっと待てぇい! 俺が、いつ、そんな好き嫌いで物事を進めたことがある! 俺は現場の現実をもとに、出来る限りの公明正大を教室に持ち込もうと努力してきたはずだぞぉ!」
リョーコ「それが安達さんの恐さなんですよ」
 頷くヘロミ……
リョーコ「特に、女の子というのは、そういう点に敏感なんです。勝田を卒業したら安達さんの論理がわかるかもしれませんけれど、勝田にいるうちは『可愛がられよう』で精一杯なんです。逆にわからないんですよ、安達さんが。だから、恐いんです」
安達「ちょ、ちょっと待てよ、おい! おめぇら、養成所や学校になにしにきてんだよ? 芝居が上手くなりてぇんじゃねぇのか? 実力を身につけようとしてんじゃねぇのか?」
リョーコ「だから、私たちは、その安達さんの考え方ややり方がわかっているからついていってますけれど、他の生徒にはわからないんです。私だって、最初は安達さんが恐かったですよ。だって、既成概念から懸け離れまくってますもの。でも、そばにいたから、今は安達さんのことがわかるんです。そばにいなかったら、今頃、安達さんはもっともっと恐いですよ」
 ふかぁーく頷くヘロミ……

 この時、私の頭に思い浮かんだのは、唾を飛ばして、血管を浮き立たせながら熱弁しまくるゾマホンだった。
 ゾマホン言うところの「日本人、オカシイヨッ! ダメダヨッ! モット、誇リヲモタナクチャ!」ってのは、私が言うところの「基礎だ! 実力だ! 俳優としての誇りをもて!」と同じだったのである。
 ゾマホンの言葉は、日本にだけいる限りはバラエティのギャグだ。彼の言葉は、第三世界をよく知らなければ、全く意味不明だ。
 同じく私の言葉も、勉強を始めたばかりの生徒にしてみると、ある種のギャグでしかなかったのである。
 ああ、そうか。俺はゾマホンだったのか。
 同時に「ああ、なるほど」と思った。先日、このhpの掲示板に勝田15期生のかわうそくんが反省文を寄せてくれた。正直言って私は「今頃わかったって遅いんだよ、ターコ」とマトモに相手しなかったが、あれはそういうことだったのか。

 日本人特有の悪口で、世界中で日本人だけが過敏に反応する悪口がある。
 「みんな、嫌ってるよ」「評判悪いよ」「〜って噂だよ」というやつだ。
 私はサラリーマン時代、「〜って噂だよ」といってきた係長を山手線の中で脅したことがある。「それ、誰が言ってたんです?」「いや、噂だって」「噂って言っても、誰かの口から聞いたんだろ? 誰が言ったのか、ここでハッキリ言ってくれませんかねえ。答えられねぇってのは、あんたが勝手にフカシてるってことだろうが? あぁ、こら?」。
 結局、この係長は顔面蒼白になって完全黙秘モードに入っちゃったんだけれどもね(笑)。
 世の中って、私みたいにシンプルに物事を考える人ばっかじゃないんだねぇ。ってゆーか、私がシンプル過ぎるのか?
 こりゃ、駅前留学して英語を身につけて、アメリカにでも移住した方がいいのかなあ。いや、ゾマホンと同じ感性をもっている私はペナン共和国がお似合いなのかな?

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99/12/8 (水)

■■■ 愛の貧乏脱出大作戦 ■■■

 私はあまりテレビを観ない。
 観たい番組もないのにテレビをダラダラつけているのは大嫌いだ。観たい番組が終わったら、さっさとスイッチを切ってしまう。
 そんな私にも、できるだけ観る努力をしている番組というのがある。
 テレビ東京系『愛の貧乏脱出大作戦』である。
 これは売り上げが悪くて潰れる寸前にある飲食店の主人を、その道の達人が鍛え直してどうにかするというバラエティだ。
 いやぁ、もう、これが共感しまくりなのだ。

 売り上げが悪い店の主人というのは、3つのタイプにわかれる。
 1.きちんとした修業をしたことがない奴
 2.ぐうたらでいいかげんにやっている奴
 3.実力がないくせにプライドだけは高い奴
 時には1と2や、1と3の複合型なども出てくる。
 どいつもこいつもダメオヤジ顔なのが笑える。

 番組では、まず、ダメな店のどこがダメかを厳しく指摘する。
 不味いとか、店の雰囲気とか、接客態度などなどだ。
 ダメオヤジの反応は、ここでもわかれる。
 きちんと修業をしたことがないダメオヤジは、「はあ」と実感がわかないようである。
 ぐうたらダメオヤジは、この時点で他力本願丸出しで「なんとかしてくれえ」って表情だ。
 プライドだけは高いダメオヤジは、いかにも不満そうだ。

 さて、これらダメオヤジは、名店の達人のもとへ期限付きで弟子入りする。
 達人は、期限があるのだからとダメオヤジに厳しく接する。
 すると、きちんと修業をしたことがないダメオヤジは、基礎中の基礎でひいひい言い始める。達人は同情しながらも厳しく接する。
 ぐうたらダメオヤジは、どこかしら手を抜こうとして、達人に叱られる。
 プライド高きダメオヤジは、いちいち達人に逆らって、達人から大激怒を食らう。

 佳境はここからだ。
 まあ、バラエティだから、多少の「やらせ」はあると思うのだが、ここで必ずひと悶着が起きる。
 修業したことがないダメオヤジは、自分の無知や未熟に泣く。この場合、達人は厳しさの中にも優しさを滲ませながら励ます。「みんな、通ってきた道なんだ。ここをクリアーしないと、次のステップにはいけないぞ。頑張れ!」と。
 ぐうたらダメオヤジは、「俺にはできませぇん」と泣く。この場合、達人は呆れて、相手にしなくなる。代わりに達人の弟子たちが励ます。「うちのオヤジは、あんたのために頑張ってるんだよ!」と。
 プライド高きダメオヤジは、逆ギレして達人に食ってかかる。この場合、テレビ制作のディレクターがダメオヤジを叱責する。「あんた、なにを考えているんですか? あんた、自分の立場をわかってます? それが教えてもらっている人間の態度ですか?」と。
 時には、ここでダメオヤジの家族も登場する。ダメオヤジの家族は不幸だ。ほとんどの家族は言う。「貧乏なのがイヤなんじゃない。お父さんに、もっと頑張ってほしいんだ。前向きに生きて欲しいんだ」と。
 そして、奮起するダメオヤジ!

 この番組を観ていて、常々思っているのだが、達人の顔つきには共通項がある。
 達人は、皆、目つきが鋭いのだ。穏和な顔つきをしていても、眼光にぎらりとした鋭さが宿っている。
 どの達人も、けっして美男子ではない。だが、かっこいいのだ。男らしく、頼もしい顔つきをしている。ビジュアル系にキャーキャー騒いでる馬鹿な小娘どもにはわからんだろうが、これぞ男の顔という見本だ。
 ダメオヤジには、この眼光の鋭さがない。達人の目を妖しくも美しい日本刀にたとえるなら、ダメオヤジの目は石器時代の矢じりとか、吸盤のついたおもちゃのダーツみたいなものだ。
 どのダメオヤジも、焼き始めのもんじゃ焼きみたいなデロデロンとした顔つきだ。顔だけはいい若主人ってのもたまにはいるが、はっきりいって根性ナシの典型にしか見えない。
 が、この奮起から、ダメオヤジの目は変わる。
 達人の日本刀というわけにはいかないが、小学校の図画工作でつかった彫刻刀ぐらいの輝きが宿るのだ。

 厳しい修行を経て新装開店したダメオヤジの店は、前の売り上げの倍から数十倍となる。初めての千客万来に喜ぶ家族たち。エンディング、ダメオヤジは人生をやり直す決意の作文を読み上げる。涙する家族たち……

 と、ここまでで終わるほど甘くないのが、この番組のミソなのだ。
 数ヶ月後、ダメオヤジの店に番組スタッフの抜き打ちチェックが入る。
 それも師匠である達人同伴の上で、だ。
 ちゃんとした修業をしたことがなかったダメオヤジの店は、だいたいだいじょうぶだ。達人から教わったことをきちんとやって、繁盛を続けている。達人も安心して微笑む。
 ぐうたらダメオヤジの店は、半々の確率で元の木阿弥になっている。慣れて手を抜いてしまっているから、新装開店当時に比べて味が落ちてしまっているのだ。で、達人に「ふざけんな!」と叱られる。
 プライド高きダメオヤジの店も、半々の確率だ。余計なことや、勝手なことをやって味を落としていることが多い。で、達人に「なにやってんだ!」と、これまた叱られる。

 さてさて…… これって俳優修業にそっくりじゃない?(笑)
 ってゆーかさ、プロを目指すなら、どの道にも通じるよね。
 さあ、君はどのタイプのダメオヤジかな?
 修業をしていないだけ? だったら、まだ見込みはある。
 ぐうたらやプライドだけは高いというのなら、今までの自分を振り捨てなくちゃね。

 なにはともあれ、この『愛の貧乏脱出大作戦』をじっくり観ていただきたい。
 達人の言葉が胸にグサグサくる人、多いんじゃないかなあ?(笑)

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☆動物占い…私はこじかと出ました。ちなみにリョーコもこじかです。
 私とリョーコが 「愛し愛され、甘え甘やかされのこじか」かあ(笑)。
 ちなみにショーアンがゾウ<挙動不審なあやしいゾウだなあ。
 コパとターバンがペガサス<夢追い人ってんなら、この2人は共通項だな。
 マサヨサマがコアラ<あくせくすることが嫌いってよりも、できないのでは???
 ナベとウリボーがオオカミ<一匹狼の変人……当たってるかも?<掲示板にて反論を待つ(笑)

99/12/7 (火)

■■■ 拠り所をもて ■■■

 明日12月8日は真珠湾奇襲攻撃の日…つまり、日米開戦の日だ。
 「日米開戦? 声優になるのに関係あるの?」と思った人、いるかな? こういうのは教養以前の常識というやつなのである。覚えておくように。

 以前も「教養を高めろ」とここで書いたことがあるが、俳優にはこの手の教養や一般常識がとても大事だ。
 たとえば、ニール・サイモン作『カム・ブロー・ユア・ホーン』には、こんな台詞がある。
「今や南アメリカの半分を失いかけているというのに、おまえはチャチャチャか!」
 これ、どういう意味か、わかるかな? これはキューバ危機のことだ。キューバ危機がアメリカにどんな影響を与えたかを知っていれば、この台詞の解釈と表現にも幅が出る。

 一番の問題は、知識や教養以前に、ある問題に対して自分がどんなスタンスに立つか、だ。
 昭和20年代から30年代にかけての新劇運動は、左派政治運動と密接な関係にあった。40年代から50年代にかけてのアングラ演劇も、反権力闘争と深く結びついていた。昭和60年代に入ると演劇は急速に政治から離れ、テレビの延長線上のようなエンターテイメントばかりとなって、以後、この流れは現在も続いている。
 ここで私が言いたいのは、君たちに政治的主張を持てということではない。
 君たち自身がどんなスタンスに立つか、ということなのである。
 「自由とは?」「平和とは?」「人権とは?」ぐらいは考えて当然なのだ。
 君たちは、ひとりの市民であり、日本国の国民のひとりであり、アジアの黄色人種のひとりであり、地球人のひとりなのだ。
 拠るべきスタンスもなく、台本に書かれているからといって台詞を喋っているだけなら、それは音声出力できるパソコンと同じレベルでしかない。

 たとえば、私がいつか上演したいと思っている作品にレジナルド・ローズ作『12人の怒れる男』というのがある。私はこの作品の映画版を小学校6年の時に観て、深い感銘を受けた。

 ストーリーは、こうだ。
 真夏の夕刻。父親殺しの少年の裁判で、12人の陪審員が集められる。評決は12人一致で出さねばならない。
 クーラーの壊れた部屋に集められた陪審員たちは、さっさと死刑の結論を出そうとした。ある者は酒を飲みに行きたいために、ある者は野球観戦に行きたいために、そして、ある者はただ面倒くさいためだけに。12人のうち、11人はあっさりと死刑に挙手したのである。
 が、1人だけ、死刑に反対する男がいた。彼は言う。「人間の命がかかっている問題を、そんな簡単に決めてしまってもいいんですか。きちんと話し合いましょう」と。
 11人は鼻白む。へそ曲がりめ、目立ちたがり屋め、変人め、と。
 彼は少年の証言、証拠物件、証人の証言をひとつずつ検証し始める。容疑に綻びが見えてくるにつれ、増えていく無罪の賛同者…

 小学校6年の私は、ヘンリー・フォンダが演じた、この勇気ある男に強く共鳴した。そして、民主主義と多数決の危険性を考えるようになったというわけだ。
 生まれてこの方、人間というものを考察もしたことがない人間に、この『12人の怒れる男』を演じることができるだろうか?
 「みんなが決めたことだから…」といって、多数決を安易に受け入れる学級会的正義だけで生きてきた人間が、『12人の怒れる男』を演ずることができるだろうか?
 人間ひとりの命の重さを、じっくりと考えたこともない人間が、『12人の怒れる男』を演ずることができるだろうか?

 難しいことを考えるのは苦手だとか、主義主張を語るのは面倒臭いとか、そういう意識の人間はクリエイターには向かない。
 我々クリエイターは、人間を探究する気持ちを絶えず持ち続けねばならない。
 人間を探究する時、自分のスタンスがない者は共感というものを持てない。共感のないまま、戯曲を読み解くことなどできるか。共感のないまま、「役に生きる」などということができるか。
 もう一度いう。
 政治的主義主張を持てとはいわない。何を隠そう、私自身が政治や宗教の主義主張というやつは大嫌いだ。
 だが、人間を探究する気持ちを忘れてはいけない。

 私の拠り所は「生きている人間がいちばん大事」。
 これは死んでしまった私の大事な友人の口癖だった。彼はこの言葉を胸に、沖縄の自然保護運動に活躍し、その最中にあっけなく孤独に死に、沖縄の大自然に遺骨を撒かれた。
 公民館を借り切って行われた彼の葬儀には数百人の友人が集まり、県外からも私を含め数十人の友人が集まった。
 彼はけっして偉人ではない。酒が好きで、Hな話が大好きで、こ難しい話よりも笑い話が好きで、そして、怒りっぽい男であった。いつも、怒っていた。自分のためではなく、他人のために怒り、そして泣く男だった。
 そんな男の口癖が「生きている人間がいちばん大事」だったのである。
 君たちは、こんな人間の生き方をどう思う?
 私は、ひとりの作家として、この「生きている人間がいちばん大事」という世界を作品化しようと、いつも、もがいている。
 作家が作品として、描こうとしているのだ。俳優が「わかりませ〜ん」では話にならない。

 各自しっかりと考え続けてほしい。
 人間というものを。
 人生というものを。
 それらを考える上での、自分の拠り所というものを。

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☆選抜チームの稽古場より…今回、18期の一部を参加させてみたが、みんな、悩んでいるみたいだねー。苦しむのも辛いのも当たり前。お気楽お手軽なお遊びみたいな稽古で、作品を生み出せるワケないっちゅーの。俺たちゃ、いつだって自分を追い詰めて、自分を削って、作品を仕上げていってんだ。じゃなければ、1年に3本もの長篇戯曲を研究発表できるわけないだろうがよ。能力が優秀なんじゃねぇんだ。心意気が違うんだよ、ヘラヘラデレデレやってやがるその他大勢のケーヒくんどもとはよ。ビッと根性決めて、ついてこいやあ!

99/12/6 (月)

■■■ 俳優の個性 ■■■

 志望者に「目指す俳優は?」と聞くと、「存在感のある俳優になりたいです」と答えることが多い。
 存在感って、なんだ、そりゃ? ワカランぞ。
 存在感のない人間なんてのはない。ユーレイや忍者みたいに気配を消しさるってんならともかく、舞台上には、立っているだけでも“存在”をしてしまうものだ。
 本人は気の利いた返答をしたつもりなのだろうが、私はこーゆーのが一番キライだったりする。
 だって、そーゆーことを言う奴が挙げる俳優の名前って、ほとんどがキャスティングに助けられているだけの大根ばっかりなんだもん。オイシイ役をもらってるだけのヘッポコ俳優を勘違いしてるだけ。

 次に多いのが「個性派になりたいです」って答え。
 だからよー、個性のない人間なんていねーんだよぉーっ!
 人間なら、誰だって個性はもってるっちゅーのっ!
 で、こーゆーことを言う奴が挙げる俳優の名前ってのは、ただ単にクセが強いだけだったりするんよ。あー、やだやだ。

 ここで、俳優を「自動車」にたとえてみよう。

 自動車には、ファミリーカーだのスポーツカーという区分があるが、基本は「走る、曲がる、止まる」だ。
 どんなにデザインが良くても、基本の「走る、曲がる、止まる」に問題があったら、そんなもんは駄目。
 基本である「走る、曲がる、止まる」がしっかりしている車であれば、チューニングによってスポーツタイプへと生まれ変わることもできる。

 俳優の存在感だの個性も同じなのである。
 どんなに存在感とやらがあったとしても、「発声、滑舌、解釈」が駄目だったら、表現になど至るわけがないのだ。
 どんなに個性的であっても、「発声、滑舌、解釈」に問題があったら、その表現は観客に伝わらないのである。
 志望者や初心者は、存在感だの個性なんて言葉を口にするより前に、やるべきことってのが山積みなのだということを心すべきなのだ。

 なによりもの疑問は、どうやったら、存在感だの個性を向上させられるの?
 演劇2800年の歴史に「存在感の修業法」だの、「個性の修業法」なんてものはないぜ。少なくとも、私は聞いたことがないね。

 よーするに存在感だの個性を口にする奴ってのは、一から修業しようっていう覚悟がないんだよ。
 「今のままの自分を認めてほしい=努力による自己革新の否定=ナマケモノ」ってのが根底にある。
 努力や試練、修業が嫌だから、曖昧で主観的な尺度である存在感や個性ってのに逃げてるだけのハナシだ。

 誰にでも才能はあるように、個性のない人間なんてのはいない。
 人は、ひとりひとり違っていて当然なのだ。
 同じホンの、同じキャラクターの、同じシーン、同じ台詞を、同じ解釈で演技したところで、
 それが表現となって示された時は、それぞれの俳優によって、違うものになっていて当然なのである。
 これこそが個性なのである。
 俳優にとって本物の個性とは、この表現としての示し方の違いなのだ。

 だって、演技って、ハートでするものなんだよ?
 同じハートをもってる人間なんて、この世にはドコにもいない。
 自分のハートは、自分だけのものなのだ。
 他人と同じハートを持っている奴なんて、ドコにいるの?
 だから、私は断言する。
 個性のない俳優なんてのは、この世には存在しない。
 もし、個性のない俳優なんてのが、この世にいるとするならば、それはハートのない俳優のことだ。でも、ハートがないのに、演技なんて、できるわけがないだろうが。だから、いないんだよ、俳優には。
 でも、今の世の中は、自分を俳優だと勘違いしているタレントってのも山ほどいやがるからね。あー、やだやだ。

 とにもかくにも、私が不愉快なのは、「実力派を目指します」って返答を滅多に聞けないことなのである。
 ねぇーねぇー、誰かぁー! お願いだから「実力派を目指します」って言ってくれない?

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☆11700アクセス突破! ありがとうございます!

☆こないだの選抜チームの稽古はおもしろかったなあ。今まで沈黙してたリョーコが、ちょいとやってみただけで、全員が大爆笑の渦! 他の連中も頑張ってくれよおお。リョーコの独走を許すなぁ〜(笑)

☆選抜チーム続き… コパの友だちヤッチャン(18期9月生)にチョイとやらせてみる。さすが、コパのダチって立ち上がり。このまんま、ヤッチャンの独走を許していいのかなぁ?(笑)>名村、てゅぐ生

☆とはいえ、舞台は真剣勝負。成果の伴わぬ努力をいくらやったって、キャスティングには残さないよーん。成果を得られるまでがんばってねぇん♪<なるなるぅ@サディスト

99/12/3 (金)

■■■ ぐーたらモード ■■■

 今週は、なーんか、ぐーたらしてる<仕事はチャーンとやってます。ご心配なく(笑)。
 なんてーのかなあ、内部圧力が高まらないんだよ。なーんか、燃えないんだよねえ。
 先週はくっだらねーことでイラついていたりしたから、その余波かもしれん。
 こーゆー時は、もー、なんでも、どーでも良くなったりする。
 あー、だりぃ。

 ってなワケで、コパとマサヨサマと、このhpにも出入りしてるターバンとで徹夜カラオケをしてきた。
 コパのB`zを聴けば、少しは機嫌良くなるかな、と。結果的には、ターバンの『セクシーアドベンチャー』で大爆笑はできたんだけれどもね。
 でも、やっぱり駄目。
 かったるさは消えない。

 講議の時は、燃えるんだけどねー。
 水曜日のジムも、その最中はマジが入るの。でも、講議が終わった直後に、シュウーと消えちゃうんだよ。
 参ったな、こりゃ。揚げものガード機能付のガス台か、私は。

 こーゆー時、人は「無理するな」とか 「ゆっくり休め」というけれど、私は駄目なのだ。
 「このままじゃいけない!」と無駄な悪アガキを始める。
 今までの人生で、私の心を震わせた本や映画、音楽などを再吸収しようと努める。

 で、今、読んでいるのは『ローレンス・オリヴィエ自伝 一俳優の告白』である。
 この本を初めて読んだのは、もう、10年以上前だ。当時は、高すぎて、自分で買うことができなかった。図書館で借りて読んだ。
 なぜ、この本を読みたくなったか?
 どうしても、調べたい一節があったのだ。10年以上前に読んだ時、ガーンと衝撃を受けた一節があったのを思い出して、そのたった数行を探し出すために、私は350頁近い分厚い本を再読した。
 で、ついさっき、やっと見つけだした。

 サー・ローレンス・オリヴィエは、「俳優として成功するのにもっとも重要な要素はなんですか?」という問いに対して、こう答えている。(以下、同書より抜粋)

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 才能
 これは技術にまで発展させねばならない。

 幸運
 これは多様であるけれども、それが真実であると充分信ずるにたるものである。それが正しいときに正しい機会を与えてくれてきたことを忘れてはならない。

 スタミナ
 たえざる攻撃に消耗しつくすまで うわべは病気に影響されない資質。

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 これには注釈をつけねばならない。
 オリヴィエのいう幸運とは、「棚からぼた餅」とか「果報は寝て待て」といったものではない。
 オリヴィエは、ある時、舞台を観に来た同業者に「私はきみの足に魅せられたよ、緊張すればするほどきみの大きな爪先は硬直して天井向いてそり返っていたね!」とからかわれる。
 そのからかいに「がっかりしただけでなくぞっとした」オリヴィエは、その夜から「裸足でどう動かして見せるか」と、歩き方を研究した。
 その結果、オリヴィエの演技はさらに研き抜かれたものとなり、「それは広く論評されたばかりか、裸足人種の歩きかたまでとことん研究した こりにこった性格描写のかなめ石とさえ見なされた!」のである。
 そういう類いの幸運なのだ。

 たったこれだけなんだけど、ちょっと調子は戻ってきた。
 不思議だよね、こんなのって。

 さぁ、今週末からバンタンのスタートアップセミナーが始まるから、エンジンかけないとね!

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