講師のヒキダシを刺激しろ!
  Date: 2001-05-22 (Tue)

 

 バンタン電脳情報学院第2期声優科の講義がおもしろい。エチュードの駄目出しから、各種訓練方法や演劇論を教えていくというスタイルが軌道に乗ってきたからだ。

 私は「失敗を恐れるな」という。「失敗していいんだ。ガンガンやれ!」と。
 勝田声優学院にしても、バンタン電脳声優科にしても、プロダクションの附属ではない。プロダクション附属養成所に行く前、劇団へ行く前の、いわば予備校のようなものである。
 だから、生徒の大半は全くの未経験者だ。経験者もいることはいるのだが、基礎をしっかりとやっていないから、その能力は未経験者と変わらない。
 若い世代における平均的身体能力さえ身に付けていないのだから、立つことも、座ることもできない。もちろん、発声もできないし、滑舌もできない。勝田やバンタン電脳声優科は、予備校的性格の学校だからこそ、それら基礎の訓練方法から教える。
 そういう生徒たちだからこそ、失敗をする。失敗して当たり前だし、失敗するのが当然なのである。
 そして、失敗があるからこそ、講師は指導をできるのである。

 私たち講師は、指導のための抽斗(ひきだし)というのを持っている。
 この抽斗は、数百数千とある。訓練方法、現場レベルでの注意、各種演劇論などなど‥‥‥ 「なにか」あれば、サッと開けて、生徒たちに指導として与える。その「なにか」こそが、失敗なのである。

 先週の勝田基礎科でのことだったが、2人の生徒が素敵な失敗をしてくれた。
 それに対し私は「地雷を踏んだね」とニッコリ笑った。
 私の「地雷を踏んだ」とは、失敗=「抽斗をあけたね」ということなのである。
 みんな、よく覚えておいてくれたまえ。誰かが地雷を踏んだ瞬間、誰かが失敗をした瞬間から、私たち講師の抽斗が開けられ、講義であり指導は始まるのである。
 その失敗は演劇的にナニが問題なのか?
 その失敗を成功へと成長させるためには、どんな点を気をつけなければいけないのか?
 どんな訓練を積み重ねれば、その失敗を繰り返さなくなるのか?
 それらを私たちは指導してあげたいのだ。

 同じことはバンタン電脳第2期声優科でも起きている。その時は、こういう説明をした。

「君達、中学や高校で教わった公式を、今でも完全に覚えている? または数学の公式を日常的に使っているか? 覚えていないし、活用していないだろ? キミたちが数学者になりたかったり、数学の能力が必要な道へ進んでいたとしたなら、覚えてもいるし、日常的に活用もしているだろうね。つまり、数学の公式は、キミたちの将来には全く関係ないから覚えていないし、使わないから忘れたんです。
 演劇だって同じなんだよ。三千年にわたる歴史の中、数多くの演劇論が生まれ、今の現代演劇へとつながっている。だけど、君達が必要を感じていない時に演劇論を教えたってチンプンカンプンだし、タイミングを外してしまったらしっかりとした理解はできない。だからといって、教えてもらえなかったら、君達はいつまでも覚えず、わからずじまいでおしまいだ。
 君達が覚えられるタイミング、忘れないタイミング、そして、活用しようと思えるタイミング、それはいつか? 君達が失敗した時だよ。
 君達が失敗した時にこそ、駄目出しとして色んな指導ができるんだ。だから、失敗していいんだよ。ドンドン失敗しな。失敗すればするほど、色んなものが私の中から駄目出しというかたちで出てくる。だから、失敗を恐れちゃいけないんだよ」

 失敗をした本人は、二度三度と同じ失敗を繰り返したくないから、指導を実感しながら覚える。
 目の前で失敗を観ていた他の同期たちだって、本人に準じた気持ちで覚えるというものだ。
 それが駄目出しというものだし、それが演劇における指導というものだ。
 だから、失敗を恐れてはいけない。
 生徒の失敗あってこその指導なのだ。
 これが俳優修業においては、もっとも重要なことだと覚えておいて欲しい。

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☆newsに勝田声優学院秋季生募集の案内を載せます。

全ての行動には“報い”がある
  Date: 2001-05-17 (Thu)

 

 今月の私はハードだ。月曜はバンタンの講義のあとにエモティオ、水曜はバンタンの講義のあとに勝田のゼミ科講義、金・土・日と勝田基礎科の講義。いやはや、なんとも疲れる日々なのである。

 昨日の勝田・安達ゼミでは、発声を教えた。
 首・肩が絶対に緊張せず、完全に喉に負担がかからず、腹式呼吸でしか呼吸できず、声が前にしか飛ばせなくなる私独自の発声法である。これは最近、編み出したもので、半年ぐらい愛弟子相手に研究と実践を重ね、この春にやっと実用レベルに至ったのだ。
 結果‥‥‥ 教室の中は大混乱!
 といっても、失敗したのではない。
 喉が痛くなるからとセーブして発声していた生徒は「喉が痛くない!」と全力で声を出しまくり、
 どうやっても声を前に出しての発声ができなかった生徒は「うわー! 変なカンジー!」と、何度も何度も声を出して生まれて初めての感覚を楽しみ、
 腹式呼吸が不完全で発声が弱かった生徒は「私の声じゃないみたい!」と、これまた何度も全力で声を出しまくったのである。
 教室中に「アー!」「拙者、親方と申すは!」「アエイウエオアオ!」「タアプポポタアプポポチリカラチリカラツッタッポ!」という声が響きまくり、生徒全員が「声を出したい! 出したい!」と狂騒状態になったのである。
 教室の中は耳をふさぎたくなるほどのうるささで、見学に来ていた15期の大津が「いくつもサイレンが鳴っているみたいにうるさかったです」と苦笑し、やはり見学に来ていたバンタン2期の生徒たちは「人間の声って、あそこまで出るんですね」と唖然としていた。
 今まで何度も声を荒らしてきたキバラー、馬之助、ミィヤが、明るい笑顔で全力発声し、
 声がくぐもりがちであったエミッチ、ナムラ、KGB、ヤマモ、エアコン屋、ダカン、トカゲロンが前にクッキリとした音を出せることに驚き、
 発声が安定せず、弱弱しい声しか出なかったノムノムも、力強くまっすぐに伸びる発声をモノにしたのである。この時は、ノムノムばかりではなく、他の生徒たちまでもが一緒になって「すごいね」「よかったな」と大喜びしていた。
 彼ら彼女らが興奮する気持ちもわかる。安達ゼミ生は、基礎科(1年)の頃から本当によく努力してきてくれた生徒たちだ。周囲の雑音に負けず、周囲の堕落に共倒れせず、コツコツと努力を続けてきた奴らなのである。念願だった「喉に負担がかからない発声」「完全な腹式呼吸」「前に飛ぶ発声」を手に入れたことを喜ばぬわけがない。
 なんとか生徒たちの興奮を鎮めた私は、ニッコリと笑顔でこう言った。
「よかったな、おまえら。今までの身体訓練が報われて」

 実は、この新しい発声法を、私は20期基礎科生たちやバンタン電脳声優科2期にも、かる〜く教えている。
 しかし、一年坊主たちには、その効果は薄かった。とにもかくにも身体訓練の不足による全身筋力の弱さのために、音量が変わらないのだ。「喉が痛くならない」「声が前に出る」という以外には、効果はなかったのである(それだって、そう簡単には会得できない凄いことなんだけれどもね)。
 なぜ、エモティオや安達ゼミの連中には凄まじいばかりの効果があったかといえば、この連中は、2年以上にわたる身体訓練の積み重ねがあったからなのだ。
 安達ゼミは、18期の中でも選りすぐりの連中が参加しているといわれている。これは最初から勘が良かったとか、センスが良いといったことでは、絶対にナイと私は思っている。もし、安達ゼミの連中がスゴイとしたなら、彼ら彼女らは愚直なまでに基礎中の基礎である身体訓練を続けてきたことぐらいであろう。たとえ、周囲がどうであろうとも、2年にわたって身体訓練を毎日続けてきた奴らだからこそ、ついに昨日、報われたのである。

 今年の勝田20期基礎科から、私は指導方針をガラリと変えた。
 19期まで、私は具体的に自宅でできる身体訓練を教え、訓練時間の構成まで示し、「やり方は教えたのだから、あとは、やれ!」と指導してきた。
 しかし、やらない奴はやらない。身体訓練から逃げて逃げて逃げまくり、最後は「やれ!」と言った私からも逃げて、私とまともに視線すら合わせられなくなる。挙句の果てには、真面目にやっている同期に対してさえも、あーじゃないの、こーじゃないのと言って、足を引っ張る。
 こんな馬鹿なハナシはない。正直言って、やっていられない。これは19期だけの現象ではない。17期にも18期にもいた。だから、私は20期を境に指導方針を変えたのである。

「この身体訓練は、やりたい奴はやりたいだけやればいいよ。やりたくない奴はやらなくてもいいから。どうぞ、ご自由に」

 「どれぐらいやればいいんですか?」という質問に対しては、
「やりたいだけやればいいよ。まあ、筋肉痛を起こすのが目安かな。人それぞれ違うんだから、自分でやってみな」

 ‥‥‥以上を、笑顔を崩さずに言う。

 実際問題として、基礎を一所懸命にやらなくたって、勝田の中には居場所があるのだ。ノホホンノホホンとお手々をつないで、愚痴を言い合い、努力する他者を根拠無く批判することによって連帯感をもてるお仲間は多数存在しているのである。
 私は生徒の前でも「勝田の名門の名を背負っているのは、各期1〜2割しかいない。あとの連中は、他の評判の悪い専門学校や養成所の連中と五十歩百歩だ」と断言している。
 勝田基礎科(1年生)に限らず、声優志望者のおよそ9割以上が、正しい姿勢で立つことはおろか、座ることも、歩くことすらもできない。それは背筋と腹筋が弱すぎるからである。そんな程度の筋力で、腹式呼吸のサポートなどできるわけがない。
 その事実を真摯に受け止めている奴は、きちんと身体訓練をやる。しかし、やらない奴はやらない。
 勝田でいえば、基礎科の約5割以上、研究科の約6割以上、ゼミ科の約7割以上が、自宅でできる安全かつ合理的な身体訓練を教えたところで、やらない事実があるのだ。この事実に対し、私はもはや精神的に疲れ果てた。もう絶対に尻を叩くもんか、と決めたのである。教えるべきことは、教える。教えたあとについては、本人次第という単純明快な真理に則ることに決めたのだ。
 やる奴は、研究科(2年)になれば安達ジムに、またはゼミ科(3年)になれば安達ゼミに来る。身体訓練は1〜2年やらねば、その効果は出ないのだ。やっている奴以外は、まともに相手をしない。ただ、それだけのことなのである。

 全ての行動には“報い”がある。
 報いとは「なにかをした結果として、自分に跳ね返ってくる事柄」という意味で、善悪両面についていう。
 私を信じて、基礎科(1年)の頃から身体訓練を続けてくれた安達ゼミの生徒たちには、発声という報いがあった。彼らの地道な努力が報われたことを、実は、私こそが一番喜んでいるのかもしれない。
 そんな彼らは、今までよりも、もっと熱心に身体訓練に励むだろう。身体能力の限界から来る発声限界領域とは、身体能力の向上によって更新されるのを、彼ら自身が身をもって知ったからだ。
 そして、指導者としての私は、あと半年待ってから、次の発声ステップにゼミ科全員をのぼらせる。最大音量の次は、音域であり音色だ。来年3月の卒業までに、全員の声区(発声区分)を安定させてやり、過半数を共鳴の入り口まで引っ張ってやろう。身体訓練と発声がイコールにあることを実感できている生徒でなければ、至ることのできない領域というものがあるのだ。
 基礎訓練を積み重ねてこなかった生徒たちにどんな報いがあるのかは、私は知らないし、知ろうとも思わない。

 最後に、もうひとつ、20期基礎科全員に対して言っていることを付け加えて終わりとしよう。

「私のことを、尊敬したり崇拝する必要は一切ありません。私の仕事は、合理的な訓練方法のやり方を教えるまでです。なにが正しくて、なにが間違っているのかは、自分自身の知性と理性で判断し、自分の意志で行動するようにしてください」

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☆安達オリジナル新発声法については、今年予定の安達ジムでも指導する予定。エモティオ・トレスポでもやるよ。参加者ならびに参加予定者は焦らないで待っていてくれ。とりあえず、なにはともあれ、身体訓練に励んでいてくれたまえ。

☆勝田在学生の基礎科生・研究科生を対象として、6月より8月末まで安達ゼミ見学ができるように予定しています。まだ、正式決定ではないけれど、希望者は水曜の夕方〜夜を空けておくようにしてください。ただし、教室の広さの都合で、各回10人程度までしか見学できないと思われるので、連続しての見学は駄目だよ。

トーク
  Date: 2001-05-15 (Tue)

 

 去年、バンタン声優科1期から始め、バンタン電脳声優科2期はもちろん、勝田・安達ゼミ、そして、勝田基礎科19期でもやっていることに1分トークというのがある。
 やるべきことは極めてカンタン。1分間のトークをする、というだけ。55秒〜65秒がグッド、70秒で強制終了、58秒〜62秒がグレイトという判定基準になっている。
 これは将来の養成所受験やオーディションのためにやっている。ほとんどの生徒が最初は苦手にするのだが、数回もやっているうちに慣れてくるようになる。
 このフリートークは、作家の400字特訓にヒントを得た。作家といっても、いきなり誰でも300枚の長編をモノにできるわけではない。最初は短い文章をとにかく書きまくり、文体のシェイプアップを図らねばならない。
 トークも全く同じ。マスコミ仕事をやる以上、トークが苦手だからといって逃げてばかりはいられない。節目節目で必要にされる能力であるばかりではなく、仕事としても必要な能力でもあるのだから、習慣としてやらせてしまおう、というものだ。

 さて、このフリートークであるが、春のうちから夏の課題が出されている。
 そのお題は「怖い話、不思議な話」。時間は3分。
 自分自身が経験したものでも、他人から聞いたものでもかまわないから、キッチリと3分間、観客を怖がらせることを目的とする。
 うまい役者の怪談は、マジで怖い。十数年前、野沢雅子さんから某声優さんが体験した怪異を聞かされた時は、夢にまで見てしまったほどである。声色ばかりではなく、間や転調というものが絶品だからだ。
 そして、私は怖い話のコレクターでもある。

 私は、基本的に霊というものが怖い。殴ろうが蹴ろうが効かない存在だからだ。
 念仏を唱えればいいというが、念仏を唱えたら、霊が笑顔で「効かないよ」なんていう怪談まであるのだからたまったものじゃない。
 霊を信じるかどうかといえば、その存在を信じる。だって、信じていないとか言って、霊にその存在を思い知らされちゃたまらないじゃないか。「霊は、いる! きっと、いる! いるから、私の前にだけは出てこないでください! お願いします!」というのが本音なのである。
 だが、怖い話を聞くのは大好きなのである。聞くだけではなく、しっかりと記憶しておいて、私よりも恐がりなヤツに聞かせるのを至上の喜びとしているのだ。

 そんな私なのだが、金縛りは一度しか経験がない。
 去年の11月頃、その頃、やたらと疲れていて、仕事へ行く前に昼寝をしていた時のことだった。
 目が半開きの状態でウトウトしていると、「キーン!」という耳鳴りが徐々に激しくなってきた。眠かった私はさして気にも止めなかったのだが、やがて周囲の音が、やたらと生々しく聞こえ始めた。まるで、全身が耳になったような状態である。
 おかしいと思った私は、体を動かそうとした。しかし、動かない。指一本すら動かせないのである。
 そして、耳元に、人の歩く音が聞こえ始めたのである。ミシィミシィ‥‥‥と、その足音は徐々に近づいてくる。なんとなく息づかいまで聞こえるような気もする。顔面の皮膚には、人が動いた時の風の流れのようなものまで感じてきた。
 この時、私はようやく「ああ! これが金縛りというものか!」と気付いた。
 無論、怖かったが、それ以上にこの奇妙な体験を色々と探ってみたくなった。
 まず、怖い思いをしたくなかったので、悪い想像をやめた。科学的に金縛りを説明すると、レム睡眠とノンレム睡眠の狭間に起きる現象だという。そして、金縛りの際に見るものは、脳内のイメージがつくりだした【夢】のようなものだと聞いたことがある。とにもかくにも一切のネガティブイメージを捨てようと努力した。
 次に、金縛りによくある「押さえつけられる」という現象を、自分の中で探ってみた。キーンという耳鳴りから、身体は全く動かない。まばたきさえもできない。動こうと思うと、身体が反発するような状態にも近い。なるほど、これならナニモノかに押さえつけられているという風にも思えるだろう。
 と、その時、脚を引っ張られているという感覚が襲ってきた!
 一瞬、やたらとびびったが、冷静に身体の状態を探ってみると、自分自身の「動こう」という意識が、まるで脚を引っ張られているという感覚にとってかわられているようだ。「俺は動かない!」と自分自身に強く念じると、脚を引っ張られているという感覚は一瞬にして消えた。
 この間、ほんの数秒のはずである。そのたった数秒の間で、私の中にイタズラ心まで湧いてきた。「じゃあ、悪いイメージをもったら、どうなるのかな?」。そう思った次の瞬間、半開きの視界に白いモヤモヤが現れたのである!
 もはや恐怖心が一切消え、「こりゃおもしろい! 何が見えるのかな?」とワクワクした瞬間に、「パァーンッ!」という乾いた音が響き、私の身体は自由になったのである。
 以来、一度も金縛りは、ない。だけど、この時に恐怖心からパニックを起こしたら、また、金縛りになるだろうな、とは思っている。スタ・シスやらメソッドをやって、自分の心身状態を探る訓練をしていると、こういう時に便利なんだな、ぐらいに思っている。

 ま。生まれて初めての体験なので、その後、勝田やバンタンの生徒たちには、「おもしろい体験をしたよ!」と散々吹聴してまわったほどである。が、だからといって、私は霊の存在を信じないわけではない。
 私の金縛りは、過労によって起こされる科学的な理由のつく金縛り現象だったのだろう。私ひとりの例によって、霊による金縛りがないとは言い切れない。
 なによりも、霊は、いないよりも、いた方がおもしろい。たとえば、私は、自分が死んだら、大事な人たちを霊になって見守ってあげたいと思う。そして、私の大事な人たちに悪意をもって接する奴は、トコトン怖がらせてやりたい。死んだら、ただの物体だなんて、つまらないじゃないか。死んだ後にも、なにかあると思った方が、希望もあるというものだ。
 それに霊の存在がストッパーとしての役も果たしている。たとえば、私は、本当に憎い相手がいたら、そいつを殺そうと思える人間だ。しかし、霊になって出てきたらたまらないと思う。だって、殴っても蹴っても効かないんだよ、霊は。本気で関節技をしかけても平気なモノなんて、絶対に相手したくないというものだ。だから、私は人殺しをすることはないだろう。

 みなさんも、怖い話があったら、ぜひとも私に教えて欲しい。なるべく実話系でヨロシク。都市伝説系はほとんどコレクションしてあるので、オチが見えてしまうからである。ワガママなコレクターでごめんなさい。

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☆勝田20基礎科の感想を在校生・卒業生、学内・学外問わずに聞かれる。女子のレベルは高いよ。各クラスに2〜3人ずつ「お、これは?」という子がいるからね。ただし、全体のレベルが高いかといえば別。特に男子のレベルについては例年並み。まあ、現時点でのレベルなんて、アテにならないんだけどね。今、教わっていることを、1年後や2年後までやり続けられるかどうかがカギ。現時点でレベルが高くても、やらないヤツは堕ちる。現時点でレベルが低くても、やるヤツは伸びる。ただ、それだけのことでしょ。ウサギになるも、カメになるも、全ては自分次第ということだね。

☆今年から私は、指導方針を変えました。19期までは、尻をひっぱたいて「俺はやり方を教える。だから、やれ!」と言っていましたが、20期からは「やり方は教える。やりたいヤツはやれ。やりたいだけ、やればいい。やりたくないヤツはやらなくてもいいよ」。オトナになったな、私も(笑)。

自主自立
  Date: 2001-05-04 (Fri)

 

 ドラマラボ・エモティオの第1回公演予定が決まった。
 公演予定は今年の11月。主要メンバーの勝田16期生たちが、勝田卒業後1年半に迎えた念願成就である。
 この1年半、彼らはなにをやってきたか?
 卒業後の進路である附属養成所に通いつつ、自分たちで身体訓練と発声・滑舌をやり続け、公演資金を貯め続けてきたのである。
 身体訓練・発声・滑舌といっても、基本はお芝居1年生のやっていることと変わらない。
 身体訓練は負荷のかけ方を強め、
 発声はそうやって鍛えた身体をベースに腹式呼吸を高め、腹式呼吸ができるからこそ可能な共鳴をメインにやり、
 滑舌は、オリジナル長文をより厳しく追求しているだけである。
 エモティオの練習に、私は毎回出席しているわけではない。私が出席しようがしまいが、基本は自分たちの自主自立に任せている。私が出席する時であっても、発声がメインであり、お芝居そのものをやらせているわけではない。
 あっさりと自主自立と書いたが、これがどれだけ困難なことか。

 今、世間はゴールデンウィーク真っ盛り。勝田や劇団系附属養成所を除き、ほとんどの専門学校声優科や養成所は休みだ。
 この休みに、何をするのかが重要なのである。
 たとえば、勝田声優学院は週に1回の講義が基本である。あとの6日間は、自分でやらねばならない。
 週に1日の講義で教わったことを、週6日間の練習でものにし、
 週6日間の成果を披露するのが、週1回講義の基本である。
 講義のない6日間に、なにをやったのが問われるのが勝田なのだ。
 そう考えたとき、ゴールデンウィークは最高の練習期間だ。日ごろ、バイトや学業でつかえない時間を思いっきり練習に当てられる。
 志望者諸君は、このゴールデンウィークをどう活用するかが大事か、なのである。
 私の知っている志望者は、このゴールデンウィークに、志望者仲間といっしょに自主練習会をやるそうだ。
 素晴らしい! その志望者たちは、勝田生でもバンタン生でもないが、勝田の基礎科レッスンがなければ、私も顔ぐらいは出したかったと思う。
 養成所には、長い休み期間がある。ゴールデンウィーク、夏休み、冬休み、春休み、だ。
 そういう休みの間にこそ、自主自立が問われる。その場に指導者がいなくとも、基礎訓練はできるのだ。なぜなら、諸君はレッスンにおいて、基礎訓練のやり方を教わっているはずなのだから。

 現在、勝田声優学院の最上級生(ゼミ科)は18期だ。この18期は、16期に並ぶレベルの高さを見せている。毎週、安達ゼミを見ていて、本当にそう思う。
 しかし、これは勝田のジンクス(偶数期はアタリ、奇数期はハズレ)など一切関係ない。
 色々とくだらないゴタゴタはあったが、18期の一部は1年坊主のうちから、自分たちでクラスを超越した練習会を毎週やっていた。それが3年後の今、実を結びつつあるだけのことなのである(注・という具合に、18期の全員のレベルが高いというわけではない。あの頃、一所懸命に自主練習をやっていた一部のみのレベルが高い)。

 先日、ふとしたことから知ったのだが、19期の一部に「私たちは見捨てられている。20期の方が扱いがよい」という、半分本気半分シャレのような話が出てきているという。
 そんなことないよ。今、勝田も21世紀の体制を整えようとしている変革期というだけのことだ。
 そんないじけたことをいってないで、まずはやることをやりたまえ。発声にしても滑舌にしても、私は練習のやり方を基礎科のうちに教えているはずだ。
 19期の一部も、自主練習会を続けていたことは、私の耳にもちゃんと届いている。その姿勢を守り抜きたまえ。18期は実質半年間、練習会を続けることによって、今のレベルに至っている。
 19期が1年以上、自主練習会を持続できたなら、今から1年後に18期を超えることは夢でもなんでもない。

 そして、20期の諸君には、今週から私が教えに行く。
 20期は実質2倍近い競争を勝ち抜いて残った。レベルは高くて当たり前。期待しているぞ。
 といっても、基礎は基礎。みっちりと教えるからね。あー、楽しみだなあ。くすくす♪

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★というわけで、5月第1週〜第4週までの金土日は、勝田声優学院基礎科レッスンを私がやります。この期間、勝田生は見学自由。だけど、第1週の今日・明日・明後日は遠慮して。教室を広く使うので、見学者のいるスペースはないから。

バンタン電脳情報学院声優科2期始動!
  Date: 2001-04-23 (Mon)

 

 バンタン電脳情報学院声優科2期が始まった。オープニングは、もちろん合宿。4泊5日にわたって、演技の基礎と身体訓練をやりまくる。

 4月17日。お昼頃に加須青年の家に到着し、午後から体育館でシアターゲームと3分間の自己紹介。今回のメンバーは、高校演劇をやっていたものが1人、他の養成所に通った経験のある者が3人。残りの11人が全くの演劇初心者。とにもかくにも出すことに慣れさせるのが、一番の大事な作業である。
 そして、夜は「卒業後の進路について」。入学早々から卒業後の進路というのも何なのだが、目標は早いうちに明確化させるに越したことはない。厳しい現実を理解させることが、取り組み姿勢に影響を与えるというものだ。

 4月18日。午前9時から午後9時まで、食事や風呂などを除きドップリと芝居漬け。
 何度もスピーチをやってもらいつつ、演劇理論の初歩をエチュードなどを通じて講義。駄目出しにしてもひとりひとりやっていくから、それなり以上に時間はかかる。が、時間がかかることを承知しているからこその寝食をともにした合宿である。
 こういう教え方をしている時ほど、合宿の有効性を感じる時はない。じっくりと腰をすえて指導できるから、私にも余裕がある。ただし、丸1日講義をすると、ホント、疲れるのだが‥‥‥

 4月19日。君塚さんたちが合流し、身体訓練と演技がほぼ半々。
 正直言って、ホッとする。たったひとりで15人の生徒を相手するのは、いろんな意味で疲れるのだ。しかも、今回の合宿で会ったばかりの生徒たちである。いくら私でも気疲れぐらいはするというものだ。
 夜、生徒たちと消灯時間まで演劇談義。演劇といってもまだまだ初歩的な段階なのだが、けっこうチンプンカンプンそう。「今は完全に理解できなくてもいいから、覚えておけば、あとで必ず役に立つよ」と言っておく。

 4月20日。9時〜15時まで身体訓練、15時〜21時まで演技。
 身体訓練の方は、生徒ひとりひとりの運動能力や身体能力の程度を見極めるためのもので、まだまだぬるい。もっとも生徒たちはそれどころではなかったようだが‥‥‥
 演技は、初歩中の初歩であるコーヒーのエチュード。「記憶の再生と再現」を説く。今回、バンタン声優科2期生には、しょっぱなから「内面からの演技」を前面に押し出して指導をするのが、私の教育目標である。
 夜、生徒たちと消灯時間まで演劇談義。生徒たちの顔つきが完全に変わりはじめている。

 4月21日。午前に身体訓練。
 そろそろ身体訓練も本腰。リトミック体操でヘトヘトになる生徒たち。まだまだ甘いよん。椅子に座る・立つをやらされ、全身筋肉痛の様相を呈している。よかったねえ。そして、解散。

 合宿の最終日前日、1分間トークとして「今回の合宿で得たもの」を生徒たちひとりひとりに語らせた。
 その中でバンコがこんなことを言った。
「今回の合宿で一番良かったことは、ココが一所懸命やってもイイ場所だということです。ここには一所懸命やっている人を馬鹿にする人はいないし、みんなが頑張っているから、凄く刺激がありました」
 これを聞いて、誰よりもウンウンと頷いていたのは、お世話係兼助手の勝田生・トモゾーであった。
 養成所や学校の質において、もっとも大事なことはシスティマティックなカリキュラムだ。講師の質がどんなに高くても、カリキュラムが成立していなければ、講師はその力を発揮できない。そして、次に大事なのは、講師の能力よりも、生徒たちの姿勢ともいうべきものである。
 どんなに優秀な講師であっても、やる気のない人間の能力を高めることは不可能だ。また、向上心のない集団においては、講師の能力は半分も発揮できない。
 教室の中にたったひとりでもやる気のない人間がいると、デレデレ・オーラともいうべき嫌な空気が流れ始める。これは講師のやる気をそぐばかりではなく、全体の士気を下げてしまう。
 問題は、生徒がヘタクソなことではなく、生徒たちのやる気の問題なのである。やる気のない人間の自己保身のための覚めた雰囲気は、教室全体の雰囲気を損なってしまうものなのである。無論、そんな状態では、他の生徒たちもおもしろくはない。
 帰り道、トモゾーがひじょうに羨ましがっていた。「勝田のやる気のある人間ばかり1クラスに集めたみたいな状態になっていましたね。いいな、いいなー」と。
 現役勝田生の愚直娘ナンバーワンがこう言っているのだから、今回の合宿は大成功である。

 さーて、今年のバンタン電脳情報学院声優科2期生は、2年がかりでの教育になる。みっちりと鍛えてやろうと思う。
 そして、バンタン電脳情報学院声優科最後の生徒でもある。げっぷが出るほどにまで、ありとあらゆる演劇教育を施そう。
 今年の勝田20期基礎科は高い倍率を勝ち抜いてきた連中ばかりだし、色んな意味でおもしろくなりそうな21世紀である。

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☆H"からFeelH"にしました。早速、ネットのMIDIファイルを16和音にコンバートして転送。現在、お気に入りの着信メロディは蝶野のテーマとUWFのテーマ。どちらも鳴ればすぐに私にかかってきたとすぐにわかるのでベンリ(笑)。

棚卸(たなおろし)
  Date: 2001-04-23 (Mon)

 

 4月から、勝田声優学院では安達ゼミが始まった。ゼミが始まる前に、私はゼミ参加者たちに記名アンケートとレポートの提出を義務付けた。
 アンケートの内容は、希望する進路、自覚する弱点と欠点、そして、この1年の目標。そして、レポートの題は「勝田声優学院在籍2年間において、失ったものと得たもの」。
 これをやらせた理由は、生徒たちに自分自身の「棚卸(たなおろし)」をしてほしかったからだ。
 商店では、数ヶ月に一度、棚卸をやる。帳簿上における商品の数と、店頭や倉庫にある実際の商品の数を確認する作業のことだ。理屈でいえば、正しい帳簿をつけていれば、帳簿上の商品数と実際の商品数は変わらないはずである。しかし、現実には、破損や汚損、その他のミスなどによって幾分かの食い違いがある。その食い違いを何ヶ月かに1回は訂正する作業、それが棚卸である。
 私は、この棚卸が、人間にも必要だと思っている。

 「声優になりたい」「俳優になりたい」という最初の気持ちは、とてもシンプルである。それは「やらねばならぬ努力の内容と量」が漠然としているからだ。なによりも「努力の質」に至っては、修行を始めてからでないと想像すらもつかない。
 実際に修業を始めてみると「え? こんなに大変だったの?」というのがわかる。それでもまだ、最初のうちは純粋だ。とにもかくにも出された課題に食いついていこうと努力する。
 ところが1年も経ってくると、徐々に手を抜くようになってくる。周囲の平均的レベルを基準に考え、「この程度でいいだろう」とか「○○よりも自分はマシ」といったレベルで手を抜く。それなりに理屈も覚え始めているから、個性を隠れ蓑にして、確実に自分よりも能力が上の連中とは張り合おうとは考えなくなってきている。
 特に、勝田声優学院のように3年間も在籍できるような場所だと、その考え方が顕著となる。ほぼ確実に、研究科(2年生)の過半数が中だるみを起こす。「まだ、あと1年以上あるんだから」と。
 そして、3年目に突入してから、「やや! もう1年を切ったじゃないか」と焦る。もっともこの焦りは千差万別で、夏を過ぎて残り半年で焦り始めるのもいれば、残り3ヶ月を切った新年の1月頃に焦り始めるのもいる。
 焦らないよりは焦った方が、はるかにいい。しかし、焦っているだけではしょうがない。大事なことは、焦りをマイナス要素にすることではなく、プラスに転ずることだ。焦りをエネルギーに転換せねばならない。
 その時にこそ大事なのが、自分自身による自分自身の棚卸なのである。

 この春、2年目、3年目に突入した志望者諸君、自分自身をあらためて客観的に評価してみよう。
 1年前、2年前と比べて、自分はどれだけ成長しているか?
 1年前、2年前に立てた目標を、今の自分は達成しているか?
 発声・滑舌といった基礎中の基礎は、自分の目指すレベルに達しているか?
 そして、なによりも、修行を始めたばかりの頃と今では、どちらがより頑張っていたか?
 キミの予定は、順調に進んでいるだろうか?
 順調に、予定通りに、という人はほとんどいるまい。大多数が、自分が立てた目標に達してはいないはずだ。
 焦りというネガティブな感情を、ポジティブな感情へと転換させるカギは、ここにある。
 漠然とした不安感でしかない焦りを整理し、確固とした目標へと代えること。これが大事なことである。
 そして、これからは、自分自身による自分自身の棚卸を欠かさないようにすることだ。
 目の前のことにイッパイイッパイになっていたり、周囲にただ流されているだけでは、自分自身の大いなる夢の実現は難しい。
 自分の今いる位置を確認しつつ、前に向かって一歩一歩を確実に踏みしめていって欲しい。

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☆久々なので、2連発です。

イメージング
  Date: 2001-04-03 (Tue)

 

 演劇を指導する場合、道は大きくふたつに分かれる。
 ひとつは、入り口が右脳。感性をベースとした、情緒的な面を大事にする。
 もうひとつは、入り口が左脳。思考をベースとし、理論的な面を大事にする。
 どちらを入り口にするとしても、、右脳だけ、左脳だけではいけない。
 右脳を入り口にする場合のメリットは、柔軟性のある俳優を育てやすいということ。感性を活かした自由な表現を極めたとき、枠にはまらない生き生きとした演技へと昇華される。デメリットは、ステップが見えづらいこと。そのため、キャリア的には備えていて当然の基礎能力が置き去りにされていることも多い。後ろを振り返りながら、基礎力を高めることを俳優本人が忘れてはいけない。
 私は左脳を入り口にするタイプである。
 左脳を入り口とする場合のメリットは、段階を細かく分類できるため、成長度がくっきりと見えることだ。だから、次のステップを示しやすいし、本人も自覚しやすい。デメリットは、中盤以降がひじょうに辛いこと。左脳を入り口にするといっても、右脳は置き去りというわけではない。ステップをあがる度に右脳の働きが求められるようになっていき、最後は右脳を全開にすることが求められる。
 どちらであっても、入り口はあくまでも入り口なのだから、いつまでも、その地点にとどまっていてはいけないということだ。

 先日、うちの愛弟子が振るい落とし養成所の進級審査を受けた。
 第一次試験の直前に、彼女は喉を痛めてしまった。試験日の数週間前に風邪をひき、菌が喉から入ってしまい腫れてしまったのである。(だから、風邪なんかひいちゃいけないんだってば!)
 本人は「ずびばぜぇ〜ん」と猛省。喉をやられてしまっているのだから、とにかく発声ができない。発声ができないということは、もちろん滑舌もできない。ということは、一次試験に向けての、練習らしい練習、準備らしい準備がほとんどできないということだ。
 これは精神的に辛い。焦りに焦りまくる。普段ならともかく、今後の人生に大きな影響を与えると誰よりも本人がわかっているのだから、そのプレッシャーは相当なものだ。もはや本人はグチャグチャに近い。
 私が最初に出した指示は「とにかく声を出すな、喉を休ませろ! 今すぐに耳鼻咽喉科に行って来い!」。
 そして、次の指示は、イメージングだった。

 スポーツ界では、イメージ・トレーニングが大事とされている。
 勝つイメージ、具体的な試合展開のイメージ、リラクゼーションのイメージ、ナイス・プレイのイメージ。試合前にこれらのイメージを頭に強く思い浮かべることにより、実際の試合に活かす、というものである。
 人間は、イメージに支配されている。
 たとえば、簡単なダンスを躍るにしても、イメージは大切だ。
 素人のダンスが、なぜ、ヘタクソに見えるかといえば、それは自信がなさ過ぎるからだ。成功しているイメージをもてないから、ダンスの段取りを追うことに精一杯になってしまう。ステップは間違っていないのに、本人に自信がないから、伸ばすべき腕を伸ばさない、上げるべき足を上げない。これでは満足なダンスに見えるわけがない。
 これは演技でも同じなのだ。

 私は、戯曲を論理的に解析する解釈術の指導を得意とし、重要視しているが、それにしてもイメージは大事なのである。
 私はこれを「絵姿」を持て、と教えている。
 戯曲はシナリオと違って、演技条件が緩い。シナリオはタイミングやどういう気持ちかまで記述されているが、戯曲は台詞以外はほとんど書かれていない。緩い分、戯曲は俳優本人が考えに考え抜かなければならない。その時、演技者として見える絵、観客として見える絵の両方をイメージとして持っているのと持っていないのでは、大きな違いがあるのだ。
 たとえるなら、スイッチィング・カメラのようなものである。
 自分という役から見える舞台上の視界、相手の役から見える舞台上の視界、そして、観客から見える視界を、スイッチ(切り替え)できるようになること。解釈には、こういった面までが含まれている。
 その上で、演技をイメージする。ここからが右脳の領域だ。

 解釈によって、台詞を言っている人間、台詞が出てくる必然などは容易に出てくる。あとはその解釈に沿って集中していけばいい。しかし、左脳だけで解釈している限り、テンションを伴った具体性はない。あくまでも理由が見えるだけであって、情緒的なものについては出してみない限りはわからないわけだ。
 ここで、出た状態をイメージすることが大事なのだ。そのためには、自分の能力を冷静に把握していることも重要である。
 先日、深夜に池袋を歩いていたら、西口で『スターな男』を唄っているストリート・ミュージシャンを見かけた。メガネをかけた貧弱な青年で、おっそろしく音程を外しまくりつつシャウトしている。思わず苦笑してしまったのだが、本人は極めて気持ちよさそうであった。
 彼のイメージの中では、彼は見事に唄い切っているのであろう。しかし、残念ながら、彼のイメージには、自分の出せる音域や声量というものがインプットされていない。だから、外しまくっている。そして、皮肉なことに、他人からどう見えるのかもイメージングされていない。
 演技をイメージングするにしても、この点が重要なのだ。本人の中では仲代達也ばりに演じているイメージがあったとしても、仲代さんのような集中も声量も音域もなかったら、出ているものは仲代さんには遠く及ばぬヘナチョコでしかない。
 この点について、うちの愛弟子は優秀であった。自分の各能力について、きちんと客観視した評価ができている。だから、自分自身の演技のイメージングが正しくできる。
 彼女は、課題を、自分の演技をとことんイメージングしぬいた。結果として、試験の前々日まで声を出せなかったのだが、試験日は見事に5倍以上の競争を勝ち抜けた。そして、今は二次試験の結果待ちである。

 演技は、左脳だけでも駄目なら、右脳だけでも駄目。
 もし、うちの愛弟子が左脳だけで演技をしていたなら、または右脳だけで演技をしていたなら、今回の振るい落としを生き残ることは難しかったであろう。それを一番実感しているのは当の本人でもある。今回の件で、彼女は右脳の力というものを思い知ったのだから。
 左脳が入り口であった彼女は、これから右脳を開くためのステップに上がらなければならない。そして、また、修業に次ぐ修業の日々となるわけだ。
 そして、バンタン卒業生や、勝田の18期・19期は、早いところ、この領域がわかるようになってほしいものである。ここからが本当のお芝居のオハナシなんだから。

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☆しまった! 今年はまだ、さくら餅を食ってない! 早く食わねば!

Young! Young!のおわり
  Date: 2001-04-02 (Mon)

 

 3月31日は勝田声優学院選抜チーム『Young! Young!』の解散記念日だった。14期がゼミ科だった1997年夏にスタートし、17期メンバー卒業と共に4年の短い歴史の幕を降ろした。
 勝田を卒業して3年の14期メンバーも、今はずいぶんと差がついてきている。劇団の本公演キャストで頑張っているのもいれば、プロダクションのジュニアとして現場に行っているのもいる。かと思えば、3つめ4つめの養成所でヒーヒーやっているのもいるし、無論、俳優の道そのものを諦めたのもいる。
 私が一番力を注いで育てた16期メンバーは、振るい落とし系附属養成所に進路をとった者たちはほとんどが進級。あと1年後がどうなっているか楽しみな状況になっている。かと思えば、もう一度、マスコミ仕事のプロ俳優としての戦略を一から練り直しているのもいる。
 OB・OGたちのほとんどがなんだかんだでおもしろい状況となっているおかげで、4年後の2005年頃が楽しみだ。

 さて、無論、最後は飲み会だ。
 14期から18期まで揃って、ワイワイ飲みながら思い出話に花を咲かせていると、「安達さんは変わった」という話題になった。
「え? そうか?」
「そうですよ。昔は、もっと怖かったですよ」
「そ、そうかぁ?」
「覚えてますか? 初めて14期の前に現れた時のこと。一通り外郎売りやらせたあとに、深くため息ついて『キミたち、2年間、ナニやってきたの? オハナシにならないね』とおっしゃったんですよ」
「‥‥‥俺、そんなこと言ったっけ?」
「言いましたっ!」
 これ、バックレてるわけでもなんでもない。マジで忘れてた。
「16期も、ずいぶん叱られましたよ」
「そうだっけか?」
「『ヘタクソに人権はない!』ってよく怒鳴られましたよね」
「そうそう。やってる途中に『それ、もしかしてお芝居のつもり? ハナシになんねぇ』って止められたり」
「あー‥‥‥ 言ったこと、あるかも?」
 14〜16期一同「ホント、変わりましたよねー!」

 思い返せば、私は元々、教えるつもりは一切なかった。チェック以上のことをやるつもりはなかったのである。
 発声・滑舌を現場水準でチェックし、新人としての能力に至っている人間については、現場で使おうと。そう考えていたんだよね、最初は。だけど、本当に駄目だったのよ、基礎が。発声や滑舌がボロボロでさ。かっての勝田のレベルを期待していたのに、ことごとく裏切られたようなものだ。
 16期が研究科の頃にジムを始め、基礎科入学直後の17期から発声を教え‥‥‥ いつのまにやら、教える人になっていった。16期までは、発声は自前でボイトレに通ってどうにかしろと言っていた。でも、みんな、やらないから、しょうがねぇやと17期からは身体訓練を含めて教えたんだよな。
 そのうち、私の教える身体訓練では限界があるから、君塚さんをこっちの世界に引っ張り込んだ。
 私は左脳の使い方を教える人だから、右脳の使い方を教われといって、咲良さんを紹介したりもした。
 カリキュラムやプログラムの効率を意識して教えるようになったのは、18期からだった。ステップをきめ細かにつくるようになったとでもいうのかな。
 もしかしたら、Young! Young!というのは、私が演劇指導者になるためのステップだったのかもしれない、と今では思う。

 まぁ、なんやかんやと色々やりましたよ、Young! Young!では。16期体制では1年半の間に6本の戯曲をテキストとしてこなし、そのうち4本は所内発表をした。ほぼ4ヶ月に1本のペースというのは、劇団並なんだよね。
 そういや、稽古場として貸してもらってた児童館で、児童向けのお芝居なんてのもやったっけ。ナベとシンタに全身タイツを着させて『泣いた赤鬼』をやったんだよね。
 14期メンバーは、今では現場で会えるようになったんだから、感慨ひとしおだよ。また、そいつらが会う度に上手になっていくんだよな。これが気持ちイイんだ。
 でもね、本当に嬉しいのは、ことYoung! Young!メンバーってのは、役者として、人間としてまっすぐに成長してくれていることだね。
 今回、14期〜18期までの連中が集まったんだけど、先輩風を吹かせて空威張りする奴なんていないし、聞かれればもったいぶらずになんでも親切に教えてやってくれる。
 嬉しいなあ、ホントに。これはね、自慢したいよ。
 業界事情がわかってくると、後輩相手にエラソーに講釈垂れる奴ってのがいるんだけど、そんなのと無縁だもん、あいつらは。無意味に威張り腐って、説教かますようなこともしないしね。それどころか、後輩たちを励まし、共に競い合おうとする。
 そういう奴らとだから、私は無給でYoung! Young!をやってこれたんだよね。

 もう、Young! Young!みたいな活動をすることはないと思う。ってゆーか、私の身体的にもう無理だ。いいかげん、私も身体のアチコチにガタがきている自覚がでてきた。私自身のステップアップのためにも、そろそろ色んな意味で整理が必要な時期だという自覚も生まれてきた。
 私は、あの頃の“過激な安達”には、戻らないし、戻れない。正直に言って、あの時ほどのエネルギーとテンションが、今の私にはなくなっている。最後の17期にだって、振り絞ったような感じなのだ。
 でも、Young! Young!で私が言っていたことこそが、凝縮しぬかれた業界のエッセンスというべきものだよ。
 Young! Young!に関わった連中は、いつまでも覚えておいて欲しい。

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☆18期安達ゼミ、そろそろアイドリング開始だぜ。フフフフ‥‥‥

名言録
  Date: 2001-03-29 (Thu)

 

「役者なんてのは、今日があっても明日がない、やくざな稼業だと思っています。無気力で怠惰で見栄っ張りというのが役者なんですよ。一歩あやまれば明日は乞食なんですからねェ、決して今金が入るからといって、いばれる商売じゃありませんね」‥‥‥渥美 清
 有名人になりたいから俳優になりたいという人は多い。有名人=エライって公式があるんだろうね。有名であること=認められることと思っていたりさ。
 それは修業や芸とは無関係のタレントの論理であって、俳優は違うんだよ。

「演技している時って恥ずかしい。私、ものすごく恥の感覚がある、だから、開き直っちゃう」‥‥‥緑 魔子
 演技って恥ずかしいものだよ、本来は。どう考えたって、尋常じゃないよ。大勢の前で喜怒哀楽をさらけ出すなんていうのは。だけどね、演じている当の本人が恥ずかしがっていたら、観客はしらけるばかり。だから、開き直りな。
 舞台に立っているのは役であって、自分ではない、とね。

「師匠は釣鐘なり、弟子は衝木なり」‥‥‥五世 沢村宗十郎
 どんなに素晴らしい鐘だって、衝かなければ音は出ない。教えてもらおうと待ってばかりじゃ駄目。師匠という釣鐘は、衝かない限りはウンともスンともいわない。
 師匠から教えを引き出してこその弟子というものだよ。

「せりふにつかまるな、役につかまれ。若いうちは若さにつかまれ。若いときはできるだけ考えたことをやれ。年とともに必要以外のものを捨てろ。写真になるな、名画になれ。昨日のように演じようと思うな。今日は今日の気持ちでやれ。稽古中は臆病に、舞台へ出たら自信を持て。言葉を切らずに呼吸を切れ」‥‥‥中村翫右衛門
 お芝居初心者は、上手にやろうとか考えずに、とにかく「出す」ことを意識したほうがいいんだよ。どんな気持ちであろうとも、出ていなかったら観客には通じないんだから。
 一番いけないのは、自分だけが演じた気持ちになっていること。がむしゃらに精一杯演じるという若さは、けっして否定されるものではないから。ただし、いつまでもそればっかりじゃ駄目なんだけどさ。

「今の若い人によういうことですが、昔よりいまの人のほうが難しいと思うのです。昔の修業は辛いには違いおへんが、むずかしいことも、いやがることも押しつけて勉強さしてくれました。今の人はそれがしてもらえないから」‥‥‥十世 豊竹若太夫
 優しい講師というと、いつでもニコニコというイメージがあるけど、本気だったらそんなもんじゃないとわかるはず。特に初心者のうちにやっておかねばならぬことというのは、いっぱいあるんだよ。
 私はやり方を教えて、やるやらないは本人次第と言っているんだから、実は冷たい指導者ということだね。初心者のうちに、本気で叱ってくれる指導者に出会えたなら、本当に幸福だよ。

「舞台に出る時のコツは、人間になって出りゃいいんです」‥‥‥喜多村緑郎
 役は、自分ではない。役そのものが人間なんだよね。演技とは、戯曲という紙の上に書かれた役を、血肉を持った人間にする作業なんだ。
 稽古の間に、役という人間を成立させていくこと。本番だからって、なにも特別なことをやるわけじゃない。役という人間が、板の上に存在すればいいだけのこと。人間がただ立っているだけなのだから、うまくやってやろうとか、失敗しちゃいけないなんて思うほうがおかしいのさ。

「俳優になろうとする人たちが自分へ投資することをいかに忘れているか、本当に心寒い思いがします」‥‥‥市川雷蔵
 俳優修業って、なんだかんだで金と時間がかかる。金がないからできない、時間がないからできないといっているかぎり、いつまでたっても、なんにもできないんだよね。
 結局はなんにもやらない、できない人間と、自分の生活を切り詰めて費用を捻出し、寝食惜しんで稽古をしている人間。どっちが上手になると思う? 簡単なんだけどもね、答えはさ。

「こっちが包丁なら向こうへまわる役者は砥石だす。こっちが鋼なら向こうはヤスリだす。こっちの身は、痩せますやろ。けど痩せてこそ光るのだす。こっちを削ることもでけん役者を相手にしたんでは、却ってしんどの仕損です」‥‥‥初代 中村鴈治郎
 役者の楽しみに、相手役がナニを仕掛けてくるか、そこからどんな演技が新しく生まれてくるか、がある。自分ひとりでやりたいことをやっているうちは、まだまだ。芝居の楽しみの1割もわかっていない。
 ああして、こうしてと段取りに終始している連中と演じていたって、失敗しない安心感はあったとしても、成功を予感させるようなワクワクドキドキするような楽しい気持ちは生まれないものだよ。

「人間、苦労したほうがいいんじゃないの、ぼくなんか人の心のあたたかさも、景色ひとつ見るのでも人の倍わかるなァ」‥‥‥辰巳柳太郎
 表現者に向いている人には2種類ある。ひとつは、心が純真そのものの素直な感性の持ち主。もうひとつは、人間の醜さや汚さなどをしっかりとその身で体験しながらも、許している人。
 どちらも感じたという結果論ではない。感じられるという点が最も大事なのだよ。

「俳優ってのは、結局、心の遊びを自分の肉体でどう表現するかってことしかない」‥‥‥東野英治郎
 遊び心のない役者ってつまらないんだよね。一所懸命やってます、だから褒めて下さいって感じでさ。一所懸命やるのは当たり前なんだよ。一所懸命やらなければ、なにもできないレベルじゃプロではない。
 大事なことは、遊ぶということ。「演ずる」は英語で「プレイ」、遊ぶと同じ意味。遊べるだけの裏づけがないから、遊べないんだよ。

 以上、参考書籍『役者 その世界』永六輔著・文藝春秋刊より。昭和46年(1971年)の発行だから、もう入手できないかな? もしかしたら、文庫で再発されているかもしれないけどね。

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劇団員という生き方
  Date: 2001-03-27 (Tue)

 

 今回は、劇団を進路にしようと思っている人、または春から劇団へ行こうと思っている人に向ける。

 一般的には「声優=アニメ声優」というイメージが強いため、劇団へ進路をとるのに抵抗感が強い人が多い。
 しかし、本格的に声優となるための勉強を始めた人ならば、声優が舞台をやるのは不自然なことでもなんでもないことが理解できているはずだ。

 声優養成所というものは、まだ歴史的には浅いものである。
 今から20年前には、声優養成をうたったところは勝田声優学院(当時・勝田話法研究所声優科)ぐらいしかなかったぐらいである。その前は、勝田声優学院の学院長である勝田 久による俳協演技研究所のコースとしてしかなかった。それも勝田話法研究所設立と共になくなり、その後、青二塾、バオバブ学園、日本ナレーション演技研究所、81プロデュース附属養成所、俳協ボイスアクトコース‥‥‥ と次々と開校・開講し、現在に至る。
 ちなみに私が勝田話法研究所3期(ちなみにこの春20期ね)を卒業した頃は、紹介状をもってプロダクションへ直接チャレンジするのが普通だった。その他の進路としては、マネジメント部署をもった劇団へ進むのが一般的であった。
 そして、今でも、本当に声優になろうと思ったならば、舞台を避けては通れない。まず、この事実をよく理解しておいて欲しい。
 発声ひとつとってみても、舞台で通用する発声がなければ、スタジオでマイクのノリが極めて悪いし、
 解釈力というものは、戯曲を一言一句に至るまで解釈する経験がなければ、なかなか向上しないし、
 こと表現力については、全身を使って、空間(物理的距離、精神的距離)を把握しての演技を客前で演じられるようになければ、演技の本質的な向上はありえない。
 なによりも今の時代、アイドル声優ブームの影響で、プロダクションの年齢制限がかなり厳しくなっている。
 声優として現場に立てる能力を身に付けるまで、どんなに優秀でも5年、一般的には8年かかる。が、中にはもっと時間をかけなければならない人もいるし、年齢を経てからこその演技が必要な場合もある。
 そういった状況の中、劇団において連日の稽古をこなし、年に数回の舞台公演において能力を向上させ、マスコミ仕事のチャンスを待つというのも、進路としてはかなり有効である。

 さて、劇団において、最初に意識せねばならぬことはなにか?
 「劇団とは、家族である」ということだ。
 今年、劇団研究生として入団したなら、周囲の全てはお兄さんでありお姉さんであると認識せねばならない。主催や演出は、お父さん、お母さんといってもよい。
 普通の家族なら、末っ子である新人が一番甘やかしてもらえるのだが、劇団という家族においては違う。お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんたちの仕事を進んで手伝うのが、劇団という家族だ。
 それはイジメでもイビリでもない。お兄さんやお姉さんたちは、末っ子ではできない複雑で難しい仕事をしなければならないのだ。末っ子は、自分でもできる仕事を手伝うのが当然。ただ、それだけのことなのである。
 具体的には、掃除である。最近の小学校や中学校、高校、大学の校舎内は汚いと評判だが、劇団の稽古場はそんなわけにはいかない。自分たちの手でせっせせっせと丁寧に掃除をする。自分たちが使う稽古場なのである。自分たちで綺麗にしないでどうするのか。もしも、床に小さなゴミが落ちていたらどうするか? 自分の手で拾ってポケットに入れておき、あとでゴミ箱に捨てる。これぐらいは当然としてできなければ、ファミリーの一員としては認められないのである。
 劇団では、言われた仕事をやっているだけでは、なにもやっていないのと変わらない。先輩がなにか仕事をしていたら、すっ飛んでいって「なにかお手伝いできることありませんか?」と聞く。手が空いたら、仕事を探してでもやる。
 養成所や専門学校声優科のように「やりたい奴がやればいい」「言われた奴がやればいい」「面倒くさい仕事からは逃げよう」なんて姿勢でいたら、いつまでたってもファミリーの一員としては認められないのである。
 劇団と附属養成所の一番大きな違いは、「劇団では講義のようには教えてもらえないこと」である。
 たとえば、発声や滑舌、身体訓練といったものは、先輩にお願いして教えてもらうか、自分でボイストレーナーなどを探さなければならない。
 ここで考えておいてほしいのは、先輩に教える義務などというものはないということだ。講師ではないのだから、教えるならば、教えてやってもいいだろうと思える奴にしか教えなくてもよい。
 だからこそ、なにはともあれ、ファミリーの一員として認めてもらわねばならないのだ。

 マネジメント部署をもった劇団のほとんどは、いきなり最初から正劇団員として登録はしてもらえない。1年〜3年に及ぶ研究生・準劇団員期間というのを経て、認められたならば正劇団員となる。
 この研究生・準劇団員期間に声優志望者はつまづきがちとなる。お芝居をしたいのに、なかなか芝居をさせてもらえないからだ。
 明けても暮れても掃除掃除、雑用に次ぐ雑用の日々。いざ、公演が近づいても、大道具の仕込みやバラシといった力仕事、小道具揃え(持ち道具揃え)、衣装や音響や制作などなどの裏方仕事。これらのことばっかりで、めったなことでは芝居をやらせてはもらえない。
 芝居をしたくて劇団に入ったのに芝居をさせてもらえない。これでやる気を失ってしまうようなら、最初から劇団に入ろうと思うのが間違いだ。
 現代演劇とは、アンサンブル演劇である。これは俳優同士の演技におけるアンサンブルだけではなく、劇団運営から裏方さんまで含めてアンサンブルを必要とされる。
 たとえば、大道具づくりひとつとってみても、大事な大事な仕事なのだ。イマドキの若い人たちはナグリ(トンカチ)ひとつ満足に扱えず、釘を次から次へとグニャグニャ曲げてしまうし、カンナひとつ満足にかけられない。
 が、考えてみて欲しい。カンナをかけ、ヤスリをかけなかったなら、どうなる? ゲネプロ中や本番中に衣装が引っかかったりしてしまって、入りや出のタイミングを失敗してしまったら、作品の完成度はガクンと落ちてしまう。釘や木ネジをしっかりとしめられなくて、大道具が本番中に倒れたり壊れたりしたならば、作品の完成度はどうなる? 作品の成功こそが劇団の成功だ。というよりも、お金をとって観てもらう以上、大道具や小道具といったレベルでの失敗はあってはならない。作品が失敗すれば劇団としての信用はガタ落ちになってしまい、これから先、二度三度と観てくれるかもしれなかったお客様を失ってしまうかもしれないのだ。つまり、劇団存続の危機になりかねない。
 ここで大事なことはなにか?
 劇団への、愛である。
 愛せない劇団、愛していない劇団には、最初から行ってはいけない。
 愛している劇団だからこそ、自分のもてる力の全てをつかって劇団に尽くそうと思えない人間は、劇団という進路をとってはいけないのである。
 劇団を愛していればこそ、掃除も雑用も、裏方仕事の全ても苦にはならないはずだ。苦になってしまうようなら、それは劇団を愛していないというだけのことでしかない。
 そして、先輩の演技を盗め。自分が出演していない公演であっても、稽古場に通い詰めて、先輩の芝居をどんどん盗めばいいのだ。
 そして、もしも、稽古日に先輩が休んだりした時には、すぐに代役ができるよう台本の全てを頭の中に叩き込め。
 末っ子だから、演技をやらせてもらえないのではない。いつも臨戦態勢にないから、演技をやらせてもらえないだけのことだ。
 劇団における修業であり、チャンスというものは、そうやって掴んでいくものなのである。

 劇団に行くということは、生活の全てを劇団ベースにするということだ。
 そのつもりがなかったら、劇団に行ってはいけない。
 生活のためのアルバイトが忙しくても、時間を何とか工面して、1日1回は稽古場に顔を出すようにする。どんなに「正しい言い訳」があったとしても、稽古場から足が遠のいたならば「負け」だ。
 
 そして、なによりも大事なこと。
 いつまでも末っ子ではいられない、ということ。
 毎年、次から次へと弟や妹が生まれてくる。
 兄や姉は、弟や妹の面倒を見るのが当たり前なのだ。

 劇団という進路は、演劇における王道であり正道である。
 だからこそ、厳しく、辛く、そして、なによりも楽しい。
 劇団で生きていく楽しさを理解できるようになってほしい。

 がんばれよ。

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☆いやぁ、3連発は疲れたな、けっこう(笑)。

振るい落とされないために
  Date: 2001-03-27 (Tue)

 

 さて、前々回はこれから養成所に入学する人のために、前回は養成所受験を失敗した人のためにと来たわけだが、今回は振るい落とし系養成所の進級について話をする。
 ちなみに‥‥‥ 最近、ネットを回っていると、振るい落とし系や育て系といった単語をちょこちょこ見かけるようになった。
 プロダクション附属養成所を「育て系」「振るい落とし系」「ジュニア直結型」と命名して大別したのは、私です。以前から似たような分類をしていた人はいるが、パソコン通信時代からネットにおいて使っていたのは私。こんなに普及したということは、それだけ、うちのhpが広まっているということなんだな、と感慨深い。

 振るい落とし系とは、数年かけて育てることを目的とするのではなく、半期または1年ごとに成績が悪い人間を振るい落としていく(退所、または進級保留)養成所をいう。が、しかし、育て系養成所であっても、あまりにもあまりな場合はやめてもらうケースが多いんだけれども。
 よーするに即戦力となるかどうかを見極めているわけで、その倍率はかなり厳しいものがある。
 あるところは、受験時競争率が4倍で、合格後、全3クラス60人弱のうち半期(6ヶ月)で約40人が振るい落とされ、1年後には20人弱のうち1〜2人程度をジュニアとして残す。
 あるところは、受験時競争率が3倍で、合格後、全4クラス100人のうち1年で50人が振るい落とされ、2年後には5人程度をジュニアとして残す。
 あるところは、受験時競争率が5倍で、合格から1年後に全クラス100人のうち、20人程度を預かりとして残し、現場での実績を元に3年後、20人のうち1〜2人程度をジュニアとして残す。
 このように受験時から競争率が高く、半年後、卒業後の競争率がひじょうに高い。振るい落とし系は、プロダクション本体の残れた場合のデビュー率が極めて高いのが特長だが、まったくの初心者の場合、生存競争に生き残ることは極めて難しい。

 そろそろ振るい落とし系附属養成所の結果が見えてきはじめた。
 勝田卒業後満1年(経験4年)の16期を中心とするエモティオ・メンバーについていえば、卒業で落ちてしまったのが1人、あとの6人は順当に2年目へ駒を進めている。
 これって、実際に、養成所に通っている人間でなければ、どれぐらい凄いことなのかナカナカわからないんだよね。
 競争率が高い振るい落とし系附属養成所であっても、合格までは勝田出身者だったら当たり前。どんなにショボい奴であっても、勝田で3年は勉強してきたんだから、そこいらの初心者に負けているようじゃハナシにならない。
 しかし、振るい落とし系の進級となると、勝田出身者であっても厳しい。ましてや、卒業して残れるかどうかとなると、プロダクションの要求もあるから、かなり難しくなる。
 実際問題として、勝田を卒業して満3年(経験6年)になる14期の状況はかなり個人差がでてきている。プロダクションの正所属が3人程度、準所属が8人程度。あとは進級で落とされたり、卒業で落とされたりしながら、3つめ4つめの養成所を探していたりするのが現実だ。14期というのは、レベルが高い期であった。その14期の中でも特に優秀なトップクラスであっても、この有様というのが現実だ。
 しかも、振るい落とし系の進級は、他養成所への受験時期と重なるか、他養成所の受験終了後となってしまうため、1年のブランクが空いてしまい、かなり危険でもある。

 もし、キミが今年の春から振るい落とし系に行くのなら、いくつか覚悟しておいてほしいことがある。

 競争率が高い振るい落とし系であっても、員数確保であったり、トップのビジネス関係から専門学校声優科の出身者をとっていたりもする。
 (養成所運営というのは、員数確保がポイントなのだ。毎年、受験者数と競争率が一定しているわけではないからね)
 そのため、専門学校声優科出身者であっても、振るい落とし系に合格はするのだが‥‥‥
 ここで専門学校声優科出身者の多くは、振るい落とし系の厳しさを理解していないことが多い。「合格したのだから、才能がある」と短絡的に考えている人があまりにも多いのである。そのため、勝田や他養成所では考えられないようなミスを連発する。
 たとえば、遅刻、欠席。どんな事情があろうとも講義の5分前には教室に入り、すぐにでも授業を受けられる態勢を整えておくのが常識なのだが、規則が緩い専門学校声優科の生徒はここで今までどおりの感覚で遅刻をしてしまう。
 たとえば、受講姿勢。勝田や他養成所では、講師が叱ったりしながら声優としての躾を施すのは当たり前の光景である。しかし、一部を除いて、専門学校声優科では行儀や礼儀をうるさくいわないので(というか、講師がやりたくても、教務から「叱らないでくれ」と注文をされている)、これまた、今までどおりの感覚のままでいる。挨拶ができない、だらしなーく座る、ハキハキとした受け答えができない、私語が多い、率先して課題に挑戦しない‥‥…
 これらは進級以前の問題である。

 振るい落としの究極は、オーディションである。たった数分から、どんなに長くても10分の間しか見てもらえないのがオーディションというものだ。
 それに比べ、振るい落とし系養成所は、どんなに短くても半年、または1年間も見てもらえる。これは能力を存分に発揮できるということでもあるが、両刃の剣でもある。
 最終的な卒業試験はプロダクションの事情に左右されるが、こと進級について言えばカギを握っているのは講師なのである。なにはともあれ、進級できなかったら、卒業試験にさえ行き着かないのだ。毎回、毎回の講義が、講師の前におけるオーディションなのだということを、まずは理解しよう。そうすれば、遅刻や欠席の問題であったり、受講姿勢というものがどれだけ大事かがしっかり意識できるはずだ。
 遅刻、欠席は厳禁。生活のためのバイトでどうしても遅刻する場合もあるだろう。そう、前回もいった「正しい言い訳」である。しかし、どんなに正しい言い訳があって、遅刻を正当化したとしても、遅刻は遅刻。なによりも、キミはナニになりたいのだろうか?
 特に振るい落とし系では、この点を厳しく見られる。遅刻をするのは、人間としてイイカゲンな奴だと思われるから、現場で問題を起こす危険が高いと判断される。「生活のため」という正しい言い訳をして遅刻を正当化しようとも、それは「本気ではない、真剣ではない」と判断されるだけのことだ。
 受講姿勢については、行儀・礼儀が駄目なら、その時点で見放される。振るい落とし系の大半は、行儀・礼儀についてはチェックもしないし、指導もしない。それは、できていて当然であり、当たり前のことでしかないからだ。
 能力についていえば、能力の成長度について厳しくチェックされる。たとえ、振るい落とし系であったとしても、一発限りのオーディションではないのだから、どれだけ伸びるかという成長度はしっかりと見る。特に講師の目は、ここに向けられている。受験時点、入学時点からナニも変わっていないようなら、その人はそれまでの能力であり、今後の成長は期待できないと判断されるだけのことである。
 俳優としての一挙手一投足と立居振舞の全てに始まり、課題への取り組み姿勢とその成果、そして、講義への参加意欲。それらを総合して、毎回の講義を乗り切らねばならない。
 言い換えれば、毎回、毎回がオーディションなのだ。出来なければそれまででしかない。それが振るい落とし系養成所というものである。

 世間では、「勝田は厳しい」と言われている。他の私塾であり、専門学校声優科について言えば、まあ厳しいところだろうとは私自身も思う。しかし、その厳しさは無意味な厳しさではない。振るい落とし系を生き残るのに比べたら、勝田など甘い甘い。行儀や礼儀、取り組み姿勢といった常識から、いちいち注意したり叱ったりしてくれる勝田は優し過ぎるぐらいである。

 世の中で、一番怖いのは、怒鳴られたり叱られたりすることではない。
 見放され、見捨てられ、何も言ってもらえず、ある日突然、バシッと切り捨てられることなのだ。

 見放されぬよう、見捨てられぬよう、そして、切り捨てられぬよう、毎日の練習の成果を、毎回の講義で発揮してくれ。
 それが振るい落とし系附属養成所における生き方というものである。

 がんばりなよ。

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☆3連発の第2弾!

失敗にこそ教訓がある
  Date: 2001-03-27 (Tue)

 

 今年の勝田声優学院一般受験はかなり厳しかった。
 例年、定員25人×4クラス=100人募集していたところを、今年は定員25人×3クラス=75人募集へと減らしたためである。
 理由は、声優ブーム終焉と少子化による志望者の減少を背景とした競争率の低下=レベルの低下だ。このレベルの低下とは、技術的な問題よりも、取り組み姿勢の問題が大きい。
 昔なら不合格であろうレベルの人を入学させても、結局は年度途中で辞めてしまう。また、そういうレベルの人がいると、講義の進行が遅くなり、横つながりの中で生徒の士気が下がる。
 勝田声優学院の講義のレベルを保つためには、競争率を高める必要があるので、定員を減少させたというわけである。
 今年の場合、結果として競争率は2倍近くになっただろう。そのため、例年なら合格できた人が、今年は合格できなかったりもした。「勝田は初心者のための学校ではないのか?」と思う人もいるだろう。
 今年も例年と同じく、未経験者であっても合格するし、経験者であっても不合格というのは変わらない。勝田の場合、合格・不合格の要因に、経験の有無は関係ないといってもよい。

 勝田以外の養成所では、まっぷたつに別れた。去年より競争率が上昇したところと、去年より競争率が下がったところである。
 競争率が上がったのは、大手のプロダクションが運営する養成所。下がったのは中小プロダクションが運営する養成所だ。大手プロダクション運営であっても、ほぼ全入の附属養成所は下がっている。
 特に育て系養成所に関しては、大手の倍率がグンと上がった。競争率が女子のみ3倍以上にまで跳ね上がったところもあるという。育て系といいながらも、勝田よりも厳しい状況となっている。

 既にほとんどの養成所の受験は終わり、結果は出ている。4月からの講義を心待ちにしている人もいれば、落ちてしまって今年一年をどうしようか悩んでいる人もいるだろう。

 まず、なにが合否のポイントになったのか? これについて、勝田についてだけではなく他養成所にも通用する一般論も交えて、来年受験しようという人たちに説明をしよう。

 まず、第一に「面接」。
 声優=俳優、声優の勉強=俳優修業である。こと声優に関しては、プロ俳優のマスコミ仕事であることを忘れてはいけない。
 学校演劇、アマチュア演劇では、先輩といってもほぼ同世代だ。しかし、プロ俳優のマスコミ仕事の現場では、新人からするとおじいちゃんやおとうさんといった世代といっしょに仕事をしなければいけない。
 めったやたらに愛想をふりまけとはいわないが、「いっしょに芝居をさせたい」と思わせる程度の、社会常識的範疇における行儀・礼儀ぐらいは出来ていて欲しいものだ。
 ところが、面接で落とされている人はひじょうに多い。
 姿勢正しく礼をすることが出来ず、きれいな姿勢で座ることができない。明るく大きな声で挨拶ができない。笑顔で質疑応答ができない。
 デレーと礼をし、ベターと座り、ボケーと挨拶し、ムニャムニャ〜と返事をしているようでは、養成所合格の前にバイトの面接だって難しいのが社会常識というものである。
 そんな人では、みんなと協力し合って講義に参加するとは到底思えないし、まかり間違えて現場に出たとき、周囲の先輩・大先輩に迷惑をかけ不評を買うのは間違いない。
 だから、不合格となる。

 次に、「アクセントとイントネーション」。
 初心者向きの育て系だから、アクセントとイントネーションからバッチリ全てを教えてもらえると思っていたら大間違いである。
 勝田には入学してすぐにアクセント50問という関門があるが、他の養成所では最初のうちは「アクセント違うよ」と指摘されることはあっても、逐一チェックなどはしない。
 そもそも演劇の世界では、アクセントとイントネーションは自分でなんとかするのが原則なのである。アクセントやイントネーションを自分で矯正できるくらいの音感を求められているのだ。
 ちなみにこのアクセントとイントネーションの問題があるから、私は早い時期での上京を勧めている。地元にいたままでは、同居している親兄弟ばかりではなく、友人までも方言をつかっている。方言に全身を包み込まれたままの状態で、標準アクセントを身に付けるのは至難の業だ。
 完璧にせよとまでは言わないが、方言バリバリではないこと。これが一番大事なポイントである。アクセントやイントネーションは「声優になりたい」と思ったその瞬間から可能な自主訓練なのにやっていない。
 だから、不合格となる。

 最後に、「事前準備をしていない」。
 うちのhpでは、夏書房の『養成所問題集』を紹介している。これには全ての養成所の問題が載っているわけではないが、各養成所がどんな基準で人を選んでいるのか、どんな問題が出るのかがしっかりと書かれている。
 わざわざ問い合わせまでできるように紹介しているのに、手元になく、手元にあってもやっていない人が多い。全くの初心者はエチュードや台詞を見ても、どう練習していいかわからないかもしれない。しかし、どんな問題が出るのかさえ予測がつかないよりも、あらかじめ知っておいた方が楽なことは間違いないはずだ。
 また、勝田の場合でいえば、サマースクールやウィンタースクールといった体験授業があり、事前に問い合わせれば通常授業の見学もできる。その他の養成所でも体験授業や授業見学をさせているのに、行っていない人があまりに多い。
 そのため、実際の受験時に校風や雰囲気といったものに対応できず、緊張のうちに全てが終わってしまう人が多い。
 だから、不合格となる。

 面接は、髪型やメイク、服装などを清潔で自分に似合ったものとし、笑顔と大きな声で、元気よく明朗に受け答えすること。
 アクセントやイントネーションについては、アクセント辞典を入手し、日常から気をつけるよう努力すること。
 夏休みや冬休み、連休といった長期休暇を利用し、体験授業や授業見学で校風や講師の方針を掴み、
 インターネット通販や書籍取り寄せなどを利用し、養成所問題集を手に入れ、載っている問題は一通り網羅すること。
 たった、これだけのことで、合格率は一気に高まる。
 そして、これらは難しいことでもなんでもない。あなた自身のアクションがあるかどうかだけのことである。

 面接はともかくとして、「独学でアクセントやイントネーションを直すのは難しい」「地方に住んでいるので体験授業参加や授業見学、書籍の入手が難しい」といった事情はあるだろう。
 それらの都合で「できない」というのは、『正しい言い訳』ではある。反論するほうが、それこそ難しい。
 では、正しい言い訳さえあれば、「できない、やれない」で済ませていいものかどうか、自分自身でよく考えるべきだ。
 どんなに正しい言い訳があったとしても、養成所さえ合格できない現実をしっかりと見つめなおすべきではないのか?
 もし、たったこれだけのことであっても「困難だ」というのであれば、声優の道そのものをあきらめたほうがいいかもしれない。声優となるためには5〜8年はかかる。その間、こんな程度のことよりも難しいことが山積みとなるのだ。
 「教訓は失敗のうちにこそ、ある」。不合格という失敗を教訓にし、自分の夢のためにがんばってほしい。
 誰かがキミを声優にしたいわけではない。他ならぬ自分が声優になりたいと思ったのではないか?

 今年の養成所受験は、ほとんどが終わってしまっている。今から受験して間に合うのは、専門学校声優科や随時入学の養成所、私も1校しか知らないが5月入学の養成所のみだ。
 もし、キミが意中にしている養成所があり、妥協したくないというのであれば、今年1年を身体訓練とボイス・トレーニングに集中すればいい。
 今年、運良く合格した人にしてみても、格別に身体機能が優れているというわけではない。「養成所に合格した」という事実だけで、自分には才能があると思い込み、安心しきっているおめでたい連中は数多くいる。また、授業が始まっても、講義課題を練習しない連中などゴロゴロしている。そんな連中が自主訓練や他へ行ってレッスンなどするわけがない。
 この1年という浪人期間を、そういう連中と差をつける1年にすればいいのだ。腹式呼吸のための身体機能は、1ヶ月や2ヶ月で身に付くものではない。数年かけてつくりあげていくものだ。水泳やエアロビクスをやるなら、養成所に通うよりもはるかに金はかからないしね。
 また、養成所の2年生・3年生であっても、ボイストレーニングに通っている者など1割にも満たない。1ヶ月ほどかけてボイストレーナーを探し、来年までミッチリと発声を鍛えあげていけばいい。発声も、数ヶ月で身に付くものではないのだから。
 そうすれば、この1年の浪人期間もけっして無駄ではなくなる。デレデレやっている“センパイ”なんてものなら、踏み台にしてやることさえ可能だ。来年、合格したなら、同期に対しては圧倒的な差をつけられる。

 今年、残念にも不合格となってしまった人たちは、やるべきこと、やれることを探して、この1年を有効に過ごして欲しい。
 がんばってくれ。

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☆最近、忙しさにかまけて更新さぼり気味‥‥ というわけで、一挙に雑記帳を3本アップ!(笑)

 


 

1年生になったらー♪
  Date: 2001-03-23 (Fri)

 

 もうすぐ新学期だ。
 初めて養成所や専門学校に通う人もいれば、二番目、三番目の養成所に通う人もいるだろう。

 初めて養成所に通う人は、なにはともあれ、床屋さんや美容院に出かけておこう。
 服をわざわざ新調することもないが、自分に似合っていて清潔な服ぐらいは揃えておく。
 唇ガサガサじゃみっともない。男子でもリップクリームぐらいは塗っておこう。
 爪を切る、ヒゲをそる、髪を整える、ハンカチとティッシュを持っておく、歯を磨いておく、前の晩か当日の朝にお風呂に入っておく。
 こんな当たり前のことであっても、出来ていない志望者はひじょうに多い。
 伸びてアカだらけの爪、ただの無精ヒゲ、口臭、汗臭い‥‥‥ 
 声優=俳優である。人並みの身だしなみぐらいは整えておいて当然である。

 教室に入る時間は早すぎず、遅すぎず。されど、遅刻は厳禁。
 初っ端から遅刻なんてみっともなさすぎる。この業界、遅刻は大罪だ。もし、学業や仕事の都合で遅れてしまうなら、きちんと連絡を済ませておくこと。
 無連絡で遅刻や欠席なんて、俳優・声優以前に人間的として問題がある。

 教室に入ると、緊張した仲間たちがいるはずだ。
 これが高校や中学だったら、不必要に目立ってはいけない。しかし、養成所や声優学校では違う。
 明るい笑顔で「おはようございます」と、みんなに挨拶しよう。
 もし、自分が一番乗りだったら後から入ってきた人たちに、やはり明るい笑顔で「おはようございます」と挨拶していく。

 席は、前のほうに座ろう。
 特に女子は、どんなに大きくても、なるべく前に。
 男で体格がいいのは、自主的に後ろに。
 講師は、前に座っている生徒を「向学心がある」と判断する。逆に、席が後ろから埋まっていくようだと「このクラスはやる気のない生徒ばかりだ」と判断することもある。
 恥ずかしがらずに、前に座ることが大事である。

 さて、席にも座った。クラスメートへの最初の挨拶も済んだ。
 みんなは、ここで「友達をつくらなくちゃ」と思うだろう。
 が、「妙に浮いてもいけない」とも思うだろう。
 大事なことは自然体である。気負ったり、かっこつけたりせずに、リラックスしていればいい。
 ただし、初対面の相手ばかりなのだから、話し掛けたり、話し掛けられたりした時は、笑顔を忘れてはいけない。
 もし、おしゃべりの相手を見つけたとしても、おしゃべりにばかり夢中になってはいけない。
 おもしろいもので、芝居が上手な人間には“たたずまい”というものがある。
 おどおどしているわけでもなければ、はしゃいでいるわけでもなく、かといって、かっこうをつけているわけでもない。自然体というやつだ。
 この自然体ができている同期がいるかどうか、しっかりとチェックしておこう。
 その人こそがライバル、または当座の目標というやつである。

 講師が入ってきた。挨拶をする。この時は、明るいのはもちろん、元気も大事だ。明るく元気よく挨拶をすることが、初心者が最初に覚えるべきことである。
 講師が簡単な自己紹介をすることもあるだろうし、心構えについての訓辞をしてくれることもある。この時は、講師の目を真剣に見つめて、うなずきながらしっかりと聞くこと。

 さて、ここで多くの場合は、自分自身の自己紹介がある。
 この時、絶対に恥ずかしがってはいけない。恥ずかしがるフリをして、カワイサをアピールしようというのも、すぐに見破られる。
 事前から準備しておけば、自己紹介は難しくもなんともない。
 年齢、出身や生まれ育った地域、今の立場(学生、社会人、フリーター)、声優を志した動機、どんな声優を目指すのか、長所と短所、特技や趣味などなど‥‥‥
 これらを1分バージョン、2分バージョン、3分バージョンで準備しておけば、焦らずに話すことができる。
 なお、特技や趣味には“地雷”もある。
 「特技は裁縫。コスづくりなら任せてください」
 「趣味はアニメ。最近、夢中なのは○○。○○のことならなんでも聞いてください」
 「趣味はコスプレ。夏コミでいっしょに△△のコスやってくれる人探してます」
 「趣味は同人誌。夏コミの原稿で、今、修羅場です」
 ここらへんは地雷だ。講師の印象はドッカーンと最低最悪になり、マイナス評定から始まる。
 講師=業界人である。業界人が最も嫌うのは、マニアでありミーハーである。
 自己紹介で最も大事なことは、明るく元気よく、大きな声でしっかりはっきりと話すことである。
 ボソボソしゃべっているとネクラな奴と思われ、舌っ足らずなキャンキャン声で喋っていると頭が悪い奴だと思われる。
 大きな声で、しっかりと、はっきりとしゃべるだけでも、講師から好印象をゲットできる。

 最初の講義は、講師の訓話、自己紹介などでほとんどが終わる。
 なにかやったとしても、何人かで終わりだ。
 が、もし、なにかをやると講師が言い出したら、率先して手を挙げてやらせてもらうべきである。
 なんでもそうだが、最初の人が失敗をするのは当たり前なのである。そして、講師もそれをわかっているから、最初の人にこそ、もっとも重要な指導=駄目出しをくれる。
 「誰かがやるのを待って、後からうまくやってやろう」なんていうセコい了見ではいけない。
 「失敗上等!」と、力いっぱい一所懸命にやってくれればいい。
 また、ここで叱られたりしても、めげてはいけない。ちょっとぐらいの怒鳴り声でビクビクオドオドメソメソするようなら、この先、何年にもわたる俳優修業などまっとうできるわけがないのだ。
 トコトン喰らいつくこと。叱られても、怒鳴られても、何度でも手を挙げ、頑張りに頑張りぬくこと。
 初めて芝居をするキミたちが、上手なわけがない。
 初心者は下手糞で当然。叱られ、怒鳴られながら、徐々にうまくなっていくだけのことである。
 また、ノートを1冊つくっておいて、自分への駄目出しばかりではなく、他人への駄目出しもメモしておこう。
 このメモは、キミが成長すればするほど、後になって絶対に役立つ。
 初心者のうちは、講師の指導の全てを理解できない。その時、その場では理解できなかったとしても、メモで残しておけば、理解できるだけの成長をした時に役立つのである。

 最初の講義は、あっという間に終わるはずだ。
 帰り道、教室のそばでタムロしていてはいけない。通行人の迷惑となり、自分の養成所や学校の評判を落としてしまう。
 もし、気が合う人を見つけたら、いっしょにお茶にでもいけばいい。
 ここらへんは臨機応変、テキトーに。
 お茶会に絶対に参加しなくてはいけないわけではないし、自分の予定や都合を曲げてまでおつきあいをすることもない。養成所や声優学校は、お友達づくりの場ではないのだ。自分というものをしっかりと持ってほしい。
 お茶会に参加したとしても、自分の意志でキリのいいところで切り上げればいい。大学のサークルのコンパではないのだ。ここらへんは自分自身で判断するように。

 家に帰る。気分的にヘトヘトになっている人もいるだろうし、逆に目が冴えてしかたがない人もいるだろう。
 もし、練習方法を教わっているなら、練習をすればいい。
 教科書にある発声交錯表や外郎売りを覚えるのもいいだろう。
 勉強・修業で大事なことは、予習ではなく復習である。何度も何度も繰り返して練習しなければ身に付かないことというものがある。どんな時も復習を忘れないように。

 最後に、キミたちに提案がある。
 俳優修業の記念すべき第一歩を記した日から、「修業日記」をつけてみよう。
 これは練習や稽古をした日、授業・講義を受けた日、演劇書や戯曲を読んだ日、お芝居を観に行った日にだけつければいい。
 将来、自分がどんな稽古をしてきたか、どんな講義を受けてきたか、どんな演劇書や戯曲を読んできたか、どんなお芝居を観てきたか‥‥‥は、とても重要なことである。
 日記だから毎日つけるのではなく、修業だからこそ毎日つけるのだということを忘れないように。

 みんな、がんばってくれ。

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☆73600アクセス突破! さんきゅ♪

☆去年の今ごろも、同じようなことを書いた気がするなあ(笑)。

☆特選かっぱえびせんはうまい! エビ4倍と謳うだけあって、ちゃんとエビの味がする。チョコベビーの新製品、プリンベビーもなかなか! ちゃんとプリンっぽい味がする(笑)。

進路指導は疲れるねえ
  Date: 2001-03-10 (Sat)

 

 養成所・声優学校の卒業シーズンだ。
 養成所ではジュニアとして残れるかどうかの瀬戸際、声優学校では次の進路のことで一喜一憂している。
 進路指導する身としては、色々と忙しい時期でもある。
 バンタン電脳情報学院声優科は、ほとんどが収まるべきところに収まった、という感じだ。附属養成所に合格しながらも浪人を選んだ者もいるが、上等といったところであろう。
 勝田声優学院の進路指導は、今年はひじょうに楽だった。今年卒業する17期で、私が面倒を見るべきなのはたったの3人。1人は附属養成所へ、2人は基礎を高めるべくあえて浪人。まあ、順当な線である。

 本来であれば、私は浪人を勧めない。
 ほとんどの場合、浪人中にモチベーションが下がってあきらめることが多いからだ。
 また、マスコミ仕事をやるにあたって、年齢というファクターはひじょうに重要な価値を持つ。
 たった1年、されど1年。時間の貴重さには計り知れないものがある。
 しかし、本人がしっかりしているならば、問題は別だ。
 今年も、浪人を勧めたわけではない。本人が浪人はどうかと考え、個別面談して決意と覚悟、そして計画性を確認してから承諾をした。(もっとも反対したからといって、浪人する奴は浪人するのだが)
 浪人を承諾する場合、ケースはいくつかしかない。
 ひとつは身体的事情。持病があるとか、故障を抱えている場合には、治療に専念することを第一にして許可する。
 ひとつは経済的事情。これはもう、なんともしようがない。そんなことがないように、勝田の場合は1年目から「しっかり貯金しておけよ」と言っているのだが、できなかったら、ハイ、それまでよ、だ。
 そして、最後は精神的な問題である。

 今夜も面談であった。
 彼女は自信がない、という。
 「芝居始めて3年やそこいらで自信を持たれては困るよ」と笑うと、「そういう意味じゃありません」と言う。じゃあ、どんな意味かと問えば、「努力して向上させねばならない点はわかっているが、努力を出来る自信がない」と。
 これでは話にならないので、いっしょに1年めからをじっくりとトレースしてみた。
 芝居を始めたばかりの頃は、誰でも色んな意味で無我夢中だ。
 効果とか合理性なんてものとは無縁で、しっちゃかめっちゃかになりながら頑張る。また、それが楽しい。努力している自分というヒロイズムに酔う。1年めはそうでなければならない。
 だが、2年めぐらいから、トーンダウンしてくる。ある種の慣れが生まれてきて、頭では「やらなくちゃいけない」とわかっていながらも、いざ、実行となると周囲を眺めてしまう。周囲がやっていなければ、自分で勝手に「やらなくてもいいかな」と思い始める。
 また、トーンダウンを加速させるムードといったものも、周囲に蔓延してくる。なまじ知恵がついてきているものだから、やらなくてもいい言い訳をつくりはじめるようになるのだ。将来・未来のことではなく、目先のことをやるのに精一杯となってしまう。こうなると、日常的な努力をすることが、ひじょうに辛くなってくる。
 そして、3年め。ここで気を引き締めなおせるかどうかで、卒業時の進路は変わる。
 春に気を引き締められれば、3年めの1年間は極めて濃いものとなる。そりゃ、そうだ。練習方法などは1年・2年で教わっているのだから、本人がその気にさえなれば、まだまだ向上の余地がある。
 夏までに気を引き締められなかった場合、あとは惰性でズルズルといく。周囲が受験するから自分も受験するといった以上の意識しかない。進路だっておざなりの産物でしかないから、次の養成所でも気を引き締められない。

 養成所への進路指導は、高校受験のように輪切りは出来ない。
 本人の経験、本人の年齢、本人が希望するマスコミ仕事の種類はもちろん、至っているレベルというものがある。
 厄介なのは、附属養成所の場合、そのプロダクションのカラーや要求であったり、附属養成所の目的やレッスン内容・システム、それら全てを含めた相性というものが問題になる。もはや、こうなると宝くじみたいなものだ。宝くじだからこそ買わねばわからないが、確実に残るのが無理なようでは生徒に勧めることはできない。
 だが、なによりも大事なことがひとつある。
 それは、本人の芝居への愛情ともいうべきものだ。
 実は‥‥ 昨夜も卒業生の面談をしている。
 その時も結論は同じだった。

 「芝居を一生やっていく気はあるの?」

 私は「23歳限界説」であったり、「8年やっても、どこのジュニアにもなれないようなら、冷静になって考えた方がいい」と広言している。
 それはあくまでもマスコミ仕事として、「声優をやりたい!」という希望を前提とした一般論だ。
 当の本人から、声優というマスコミ仕事だけにこだわらず、「芝居が好きなんです! 一生芝居をやっていきたいんです!」と言われたなら、説得する術はないと思っている。
 芝居が好きだというパッション、これだけは講師が教えるものではない。演技への愛、演劇への愛、これは本人の心のうちに燃えさかるものだ。
 真に演劇を愛してくれたなら、進路は無制限だ。年齢制限もタイムオーバーもへったくれもない。
 一生が修業であり、一生が役者人生というものである。

 結局、昨夜の卒業生も、今夜の生徒も、2人とも自分をより追い込んでみるかたちに収まった。
 最終的な結論を出すには、まだ、早い。
 演劇の喜びと悦び、そして、歓びを十分に知っているわけではないからね。

 今年4月から、勝田では安達ゼミが始まる。
 ここで私が1年をかけてわかってほしい領域がある。
 それは‥‥‥
 Fun Play,Enjoy Play,Play is Play
 ‥‥‥の精神である。
 これをわかってくれたならば、演劇人としての未来は無限大だ。

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☆72100アクセス突破! さんきゅ♪
☆今年の末から来年の今ごろは進路指導でモーレツに忙しいだろうなあ。あふぅ‥‥(涙) 

一年坊主じゃいられない
  Date: 2001-03-08 (Thu)

 3月4日に、バンタン電脳情報学院声優科の卒業公演を終えた。
 会場は恵比寿のエコー劇場。一年坊主たちの卒業公演にはもったいないくらいの良い場所だ。
 肝心の出来は、まあ、良かった。一年坊主のやった芝居としては。
 お客様の評判も上場だった。一年坊主のやった芝居としては。
 そう。あくまでも一年坊主としては、という注釈つきなのである。

 確かに、あいつらはよく頑張った。
 あいつらがどれだけ成長したかを知っているのは、他ならぬ講師である私たちだ。
 入学半年過ぎるまで、なかなかエチュードをやりたがらなかったダイスケ。
 本番当日の最終リハのギリギリまで私に駄目を出され続け、本番が一番いい出来だった。
 エモーションがなかなか見えてこなかったサッサ。
 「役の背骨」「意識の流れ」が見えてからは本番ギリギリまで成長し続けた。
 ショーコは、勢いはあるが自分に甘い性格が災いして成長が遅かった。
 本番数週間前まで三歩進んで二歩下がる状態だったが、集中が高まるにつれ、成長した。
 自分の枠内でしか芝居をしようとしなかったネコ。
 呼吸のコントロールから、役へ集中するようになってからは、ダイスケとのアンサンブルで成長した。
 自分の過去の感情を掘り起こすことは得意だが、役としての感情を喚起することが苦手だったウサコ。
 本番ギリギリまで私に駄目を出され続け、自分を捨てようという意識が高まるにつれ成長した。
 完全に納得しないと何も出来ず、悩んでばかりいたナナコ。
 本番当日の最終リハでは、かなり高い集中を掴み、自分では意識していなかった情動の昂ぶりに自分自身が驚いていた。

 今だからこそ、あえて言おう。
 彼ら彼女らは、本当に不器用で、かなりの劣等生だった。
 君塚さんに「人間じゃない」と言われるほどに身体能力が低かった。
 1年前の彼ら彼女らには、ダンスなんて夢のまた夢。立つこと・歩くこと・座ることから教わり、正しい腕立て伏せのフォームをやっていた。
 なのに、すぐに発声ができるようになりたいと気ばかりを焦らせ、ヴォイストレーナーの田中先生を困らせていたりもした。
 土井代表を始めとしたムーンライト幹部たちに滑舌を教わっているにも関わらず、自分たちの意識の低さからなかなか向上せず、私に大目玉を喰らっていたりもした。
 そんな彼ら彼女らが、一年坊主としてはまともな舞台を仕立て上げられたのは、君塚さんについていってくれたからであり、田中先生のじっくりと腰をすえた指導であり、ムーンライト幹部たちの滑舌があったからこそだ。

 そして、主任講師の私としては「一年坊主としては」で満足はしたくないし、させたくもないというのが本音である。
 どんなに評判が良かったとしても、あくまでも一年坊主なのだ。
 これから附属養成所に通う彼ら彼女らは、2年〜3年やってきた連中とガップリ四つに組んで、勝ち残らねばならない。
 附属養成所に行ってからは、もう、「一年坊主だから」なんて目では見てはもらえない。
 17期はもちろんのこと、16期より上の勝田卒業生とも張り合わねばならないし、また、勝たねばならない。

 そんな彼ら彼女らに一番大事なことは、なにかあったら、基礎を振り返れ、ということだ。
 自分のイメージする芝居がナカナカできない時。そんな時は、
「リラクゼーションはできているか?」
「ストーリー・ドラマ・キャラクタライゼーションといった解釈はきちんと通っているか?」
「自我から離れ、しっかりと役へ集中しているか?」
「発声に問題はないか?」
「滑舌は甘くなっていないか?」
「身体機能はフルに使えているか?」
 といった基礎的なことを振り返ればいい。
 元々、あいつらは不器用な劣等生だ。
 しかし、今はただの不器用な劣等生では、ない。
 講師陣から1年かけて叩き込まれた訓練の数々を思い出せば、いくらでも自主練習できるだけの能力を持っている。

 本番当日、私は芝居では泣かなかった。
 泣かされたのは彼ら彼女らの親たちに会った時だった。
 満面の笑顔の親は、まだ、良かった。
 顔面をぐしゃぐしゃにして泣き崩れた親が何人かいたのだ。
 「うちの子が‥‥ うちの子が‥‥ 本当にありがとうございます」と。
 これには、本当に胸を打たれてしまった。
 不覚にも私まで貰い泣きしてしまい、まともな話ができなくなってしまった。
 他ならぬ実の親が「変わった」と思ったのだ。
 あいつらは本当に変わったのである。
 これが紀元前から続く演劇というものの凄さだ。

 バンタン電脳情報学院声優科卒業生たちよ。
 いつも、胸を張れ。
 胸を張っていられるだけの努力を続けろ。
 胸を張れなくなった時は、自分にやましさがある時だ。
 やましさがなければ、人はいつも、明るい笑顔で胸を張り続けられる。
 いついかなる時も、胸を張っていられるような、そんな大人に、そんな演劇人になってほしい。
 それが私の一番の願いである。

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☆とゆーわけで、私のカラダはボロボロです。背中から腰にかけてが痛くて痛くて仕方がない。いやはや、もう、中古のオンボロといった感じですな(苦笑)。