俳優修業だけでなく、全てのクリエイターの修業にとって大事なことは“受け入れ姿勢”である。
たとえば、ハリウッドのシナリオ・メソッドを嫌っているライターやライター志望者は少なくない。
「気持ちは分析できない」「感動は分析できない」といった感情論にも参るが、「アナリシスはこじつけだ」なんて偏見に至ってはショエ〜とぶっとんでしまう。
確かに、気持ちや感動といった情緒そのものはアナリシスできないものだし、すべきではないかもしれない。
が、情緒しかないシナリオでどうすんのさ?
趣味の自主映画かい? だったら、マスコミに流すなよ。ライター自身が制作費の全額を負担して、無料で観客に観ていただけばいいじゃない。「ボクの気持ちでしゅ〜。観てくだしゃぁ〜い」ってさ。観客は独り善がりな感情の垂れ流しなんぞを、金と時間まで提供して受け取る義務なんてありゃしないんだよ。
シナリオ・メソッド(ストーリー・アナリシス手法)とは、あくまでもストラクチュア(構成)を研究するためのものである。ストラクチュア=ストーリーに他ならない。
ストーリーとドラマツルギーをごっちゃにしているだけのことなんだよね。
より良いストーリー構成の中でなら、ドラマツルギーはより際立つと考えればいいだけのハナシだ。
「アナリシスはこじつけだ」という意見は、幼稚な感情論そのもの。
そもそもシナリオ・メソッドとは、紀元前の古代ギリシャ時代の演劇から発展したものだ。
つまり、シナリオ・メソッドとは、人類3000年の歴史をかけて、より良いものを提供するためのテクニックを研究し続けてきた上での現在進行形の判断基準に過ぎない。
そりゃ、どんな理論も技術も、実践されなければ意味はない。が、実践され続けているんだよ、現実に。
たかだか数十年しか生きていない現代人が、3000年かけて構築されたものに唾する? ハン! 凄い度胸だよね。感心しちゃうぜ。よっぽど自信があるんだろうね、自分に。
その他、よく言われる意見に「シナリオ・メソッドは、ハリウッド的大味エンタテイメントをつくる以外に意味はない」なんてのもある。
なにをかいわんや……
シナリオ・メソッドでは、初期の黒澤 明監督作品を徹底的に分析・研究している。その上で黒澤作品のエッセンスを得ている。
なのにねえ、はぁ……
たとえ、国が違おうが、人種が違おうが、良質な作品は良質なのである。ギリシャ悲劇が、能が、シェイクスピアが時代と国境を超えて生き続けるようにね。
ハリウッドのクリエイターたちは、そこんところをよーくわかっている。それに比べて…… 偏見と悪意に満ちた島国根性と、後ろ向きで偏狭な愛国心もたいがいにしてほしいものだよねえ。
これらはアタマがかたいというよりも、自分を守るための自意識だけが過剰になった「歪んだ自己愛」でしかないんだよ。
私は正しい、私は変わりたくない、私を変えたくないという、自己正当化のエゴイズム以外のなにものでもないのだ。
つまり、受け入れ姿勢ができていないだけのこと!
私は以前より「シナリオ・ライター志望者は大嫌いだ」と断言してきた。
机上で屁理屈こねまわし、シナリオ作法すら習得せず、グチャグチャと独り善がりの作品を書きながら、自己愛からなる根拠なきプライドを振り回す。
何様のつもりだ、いったい?
ライター志望者が屁理屈こねまわして根拠なきプライドを育てている間に、
同じクリエイター仲間である俳優志望者は毎日毎日、汗をかいて、地道な基礎訓練に励んでいるんだよ。役者にとって毎日2時間の練習なんて、維持と調整のためのものでしかない。成長のためには1日4時間を超えて稽古を続けるのが常識なんだよ。
同じクリエイター仲間である演出志望者は、人権をはく奪された労働環境で下働きしながら、夢の実現のため、歯を食いしばっているんだよ。私の敬愛する友人の石川氏など、寝食を犠牲にして映画の撮影現場を駆け回っている。私生活など雲散霧消させて、現場で汗をかいているんだよ。
単純に言ってしまえば、心身共に不健全なのである、シナリオ・ライター志望者は。
シナリオ・ライター諸君、君たちはいったい1日何時間を費やして修業しているんだい?
「気分が乗らない。だから、書かない」「筆が乗らない。スランプだ」「シナリオの神が降臨してくるまで待つ」……
はぁーあ。いい御身分ですこと。看板背負った作家先生の言葉ならともかく、駆け出し以前の志望者がよく言うもんだよ。文豪ゴッコやって、なにが楽しいんだ?
シナリオ・ライター志望者のほとんどは、勉強することを厭い、今の自分から出てきたものだけを素晴らしいと思い込んでいる。過去から学ぼうとせず、努力しないでどうにかなるシンデレラ・ストーリーだけを夢見てやがる。
だから、私はシナリオ・ライター志望者が大嫌いなのだ。
で、シナリオ・ライター志望者と同じ傾向をもつ、一部の声優志望者ってのも私は大嫌いだからね。
舞台に立てるレベルに達していないくせに、役者面なんかするんじゃないよ。
修業を始めて数年で身につけるべき基礎すら身につけないで、いっぱしの役者面なんかするんじゃねぇよ。
たかだか3年や5年の修業で、キャラだ、個性だ、営業だ? 冗談じゃねぇってんだよ。
発声すらできない低レベルで、演劇を語るんじゃないよ、恥知らずどもが。
なんで、みんな、そんなに変わることを嫌がるんだろうねえ?
それがわからないんだよ、私には。
そんなに今の自分に自信をもっているわけ? だったら、タレントになりな、タレントに。
そんな奴は、3000年の歴史をもつ演劇界に関わらないでくれる?
変わることができるからこそ、人には可能性というものが満ち溢れてるんだよ。
大事なことは、どう変わりたいかというビジョンを明確にすることなんだ。
そのビジョンに近付くためのステップこそが、修業ってものだよ。
誰かに師事する、誰かに教わるってことは、自分を変えるチャンスなのである。
自分だけでは如何ともしがたい状況を打破し、次のステップへと上がること。それが修業ってものなんだよ。
とにもかくにも、受け入れ姿勢だよ。
違う意見だろうが、同じ意見だろうが、まずは好き嫌いいわずに受け入れるしかないんだよ。
大事なことは、好き嫌いいわずに全てを喰らうこと。バランス良く成長するためには、それしかないのである。
そうやって成長した上で、突出した能力こそが、才能というものなのだ。
「あれは嫌い」「これも嫌い」と好き嫌いいってる限り、成長に偏りが出たり、ビョーキになるのは当たり前なのである。
幼稚園でも言われただろ? 好きだろうが嫌いだろうが、まずは口の中に入れて、よく咀嚼して、きちんと飲み込み、消化をすること。それこそが「自分のため」なんだよ。
バランスの悪い“食事”をして、食べたいものしか食べないなんて態度のうちは、成長なんかしないのだ。
いやいや、ピーマンが嫌いというならばこそ、ピーマンを食え! ニンジンを嫌いというならばこそ、ニンジンを食え! いいから、なんでも食え! 良薬、口に苦し! 医食同源! アロエは苦い表皮にこそ栄養がある! センブリは苦いからこそ胃を治す!
嫌いだから食わないなんてレベルで、ピーマンやニンジンの悪口を言っているんじゃないよ。ったく、幼稚なんだから。幼稚な人は、幼稚園からやり直しなさい。
俳優志望者にしても、ライター志望者にしても、技術的な能力レベルが低いのはしょうがない。
技術なんてもんは、練習すれば確実に得られるものでしかない。
でも、その技術習得のための練習を、やらない言い訳、できない言い訳を探し始めたらオシマイだってぇんだ。
そんなフヤケた姿勢で、成長なんかできるわけねぇじゃねぇか。
身体訓練には『超回復』って理論がある。 いわゆる筋肉痛というやつは、運動の負荷によって筋肉繊維が切れ、回復しようとすることによって起きる痛みだ。
みんな、筋肉痛になったからといって休んじゃいけないんだよ。筋肉痛になった時こそ、そこでもうひと頑張りするんだ。
すると、筋肉は以前より確実に強くなって再生する。それこそが超回復なのだ。
筋肉痛が起きるまでやらなければ、筋肉は成長しないのである。
筋肉痛の時に頑張るからこそ、確実に成長できるのである。
自分にとって都合のいいことしか聞かない姿勢では、今の自分から成長することなんておぼつかないのだ。
自分の弱点や欠点を指摘された時に奮起するからこそ、確実に成長できるのである。
クリエイターとして生きていこうってんなら、自分を甘やかしてちゃいけないよ。
超回復を目指してこその修業なんだ。
一生をかけて、何度も、何度もね。
一生のうち、何度、自分を痛めつけて、超回復をしたか?
超回復を必要とせずに得られるレベルなんてもん、たかが知れているんだよ。
私は発声と滑舌にうるさい指導者だと言われている。でも、これって基礎中の基礎でしかないんだよね。
アマチュア演劇人の中には「発声をあまり意識し過ぎると、妙に朗々とした発声になって不自然だ」という意見がある。
この意見における発声とは、声を軟口蓋にぶつけた声楽発声のことである。いわゆる「裏に回った声」というやつで、そんな発声は演劇における「前に飛ばす発声」ではない。
また、同じくアマチュア演劇には「滑舌を意識し過ぎると、演技に気持ちが入りづらい」という意見もある。
この意見は、もはや論外である。
発声にしても、滑舌にしても、ある水準以上に至ることが大事なのだ。
たとえば、歩いている時に「右足を出して、左足を出して、右足を出して…」と意識している人なんかいるだろうか?
同じく発声も滑舌も、わざわざ意識しなくてもだいじょうぶなレベルにまで向上させることが大事なのである。
つまり、発声や滑舌を意識して演技を損なうレベルなんてのは、「右足を出して、左足を出して、右足を出して…」と歩行するような馬鹿げたレベルでしかないのである。
まあ、アマチュア演劇だったら好き勝手にやっていてもかまわない。しかし、プロ俳優になりたいという諸君らは、そんなレベルにいてはいけない。
で、今回は、発声や滑舌といった基礎的な技術のことではなく、演技の基礎となるエモーションやエチュードについて話してみよう。
エモーションとは情動訓練である。自分の中から感情を湧かせ、その感情を表に出すための訓練だ。
この時に大事なこととは「こうすれば、そういう風に見える」といった小賢しい気持ちを捨てることだ。
諸君の多くはテレビや映画で観たものこそ演技だと思いがちだ。思っているからこそ、その演技をインプットしてしまっている。
怒っているといえば、声を荒げるという記号によって怒りを表現したと思い込んでしまっているのである。
さて、その怒りとは、本当に「自分自身の怒り」だろうか?
自分の中から真の感情を迸らせるためには、ひじょうに強い集中力が必要なのだ。集中して、集中して、集中して……そして、湧きあがってきた感情とは、誰にも真似できない自分だけの表現となる。
バンタンの体験授業では、時間があれば希望者にエモーションをさせる。そして、参加者全員に問う。
「どうだ? 誰か、今のエモーションを真似できる奴はいるか? 真似できないだろう? これこそが演技の基本なんだよ。誰かの真似でもなければ、誰にも真似できない、自分だけのもの。それが演技なんだ」
もうひとつ、本科の講議で同時進行でやらせるのがエチュードである。エチュードとは「小品、習作」という意味で、演劇訓練のこれまた基礎だ。
エチュードの初期はごくごく短いものだ。初期段階で求められるものは「記憶の再生」である。ふとした仕草であったり、日常の動作を再現させたりする。つまり、ミザンス(アクション)の訓練でもある。
が、このエチュードも進むに従い、エモーションとの境界線がなくなっていく。ミザンスをミザンスとしてやるのではなく、気持ちから生まれるミザンスを芽生えさせ、定着させ、伸ばしていかなければならない。
その領域に達するためには、とにかく練習を繰り返すしかない。
先週、先々週と、劇団ムーンライトの和田みちるがバンタン電脳声優科土曜クラスの見学に来ていた。
土曜クラスは週に1回のクラスで、まだ本科には入学できない高校生や大学生を中心に構成されている。本科生たちも参加でき、そこで土曜生といっしょになって、基礎中の基礎を何度も繰り返す。
みちるはムーンライト本公演に5回出演している。その経験からいえば、芝居を始めて数カ月しか経っていないバンタン生たちから得られるものは、ほとんどないに等しいかもしれない。
が、みちるは違う。みちるの凄いところは、たとえ、相手が1年目であろうと、3年目であろうと、謙虚な気持ちでいっしょに勉強できるところだ。
私は常々言っている。
「戯曲を1本演ずるということは、90分から120分連続でエモーションをやり続けることである。それだけの集中力とテンションを維持できるか?」
今回の見学で、みちるはこのことをよくわかってくれたようだった。拙いとはいえ、気持ちを入れようとする挑戦心をひじょうによく理解し、感動していた。
また、みちるが見学した日、私はエチュードを観て泣くという経験を、生まれて初めて得た。こんな経験は滅多にあることではない。このこともまた、みちるに大きな刺激を与えたようであった。
やっぱり基礎なんだよね、基礎。
周囲に埋もれて発声をないがしろにしたまま、芝居をやってるつもりになっているんじゃ駄目。
周囲に埋もれて滑舌から逃げ回り、芝居をやっているつもりになっているんじゃ駄目。
たかだか数本の戯曲をやった程度のレベルで、エモーションやエチュードを初心者のやるものだと思っているようじゃ駄目。
低い低いレベルで「あいつらよりマシ」なんて発想でやっていたところで、しょせんは井の中の蛙、ドングリの背比べ。プロの土俵にはどうやったって上がれっこない。
先週の金曜日からエモティオ主催トレーニング・スポットが始まった。
バンタン電脳生と勝田19期生が中心なのだから、一般から参加した芝居歴1年、3年、7年の連中が差を見せるかと思ったら、そんなこともなかった。結局、何年やろうとも基礎ができていないうちは無意味というしかないのである。
基礎というのは、誰でもできるから基礎というのである。
選ばれた人しかできないというのであれば、それは基礎ではない。
どんなに練習を繰り返してもできないというのであれば、それは基礎ではない。
基礎は、練習さえすればできるようになるものなのだ。
なのに、基礎が身についていない志望者がいる。基礎というのは、やればできることでしかないというのに……
さあ、誰が悪いのかな?
よく考えてみよう。
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☆34300アクセス突破! さんきゅ♪
☆APT盛況のようです。8/11のセミナーの申し込みはお早めに!
当HPは1999年6月23日を正式オープンとしている。今日は2000年6月23日。つまり、記念すべき1周年だ。
さっき私が接続した時のカウンターは34007HIT。1年でのべ約34000人の方が訪れてくれている計算になる。1日平均93人の来場者だね。
いや、ホント、ありがたいことです。
舞台稽古を3ヶ月以上やるとかったるがってしまうほど面倒くさがり屋の私が、なんと1年もHPをやっていられたのは、このHPを訪れてくれている人たちのおかげです。
これが1年で1000HITとかだったら、とっくに癇癪を起して辞めてるなあ。いや、マジで。
ちなみにカウンター設置は1999年6月25日。最初の頃は、1日50HITぐらいだったんだよね。ここでチョット軌跡を振り返ってみよう。
1999年7月15日・1000HIT達成(6/25〜7/15平均50アクセス/日)。
1999年8月4日・2000HIT達成(7/16〜8/4平均50アクセス/日)
1999年8月25日・3000HIT達成(8/5〜8/25平均50アクセス/日)
1999年9月13日・4000HIT達成(8/26〜9/13平均55アクセス/日)
1999年9月29日・5300HIT達成(9/14〜9/29平均86アクセス/日)
1999年10月7日・6000HIT達成(9/30〜10/7平均87アクセス/日)
1999年10月20日・7100HIT達成(10/8〜10/20平均91アクセス/日)
1999年10月28日・8000HIT達成(10/21〜10/28平均128アクセス/日)
1999年11月9日・9000HIT達成(10/29〜11/9平均100アクセス/日)
1999年11月6日・10000HIT達成(11/10〜11/16平均166アクセス/日)
1999年11月29日・11100HIT達成(11/17〜11/29平均91アクセス/日)
1999年12月9日・12000HIT達成(11/30〜12/9平均100アクセス/日)
1999年12月24日・13300HIT達成(12/10〜12/24平均92アクセス/日)
2000年1月13日・15000HIT達成(12/25〜1/13平均89アクセス/日)
2000年2月7日・17000HIT達成(1/14〜2/7平均83アクセス/日)
2000年3月12日・20100HIT達成(2/8〜3/12平均96アクセス/日)
2000年4月30日・25400HIT達成(3/13〜4/30平均112アクセス/日)
2000年5月30日・30000HIT達成(5/1〜5/30平均158アクセス/日)
2000年6月23日・34000HIT達成(5/31〜6/23平均166アクセス/日)
あらためて、こうして数字にしてみると驚きだね。
8割から9割は自滅する声優志望者だが、真面目な世界を求める志望者も少なくないってことなんだなあ。
とゆーわけで、気を引き締めて、2年目をがんばるね、このHPも。
20世紀最後の年である今年は、企画がテンコ盛りなんだな、これが。
その第1弾が、先日、募集を開始して、24時間で締切ったエモティオ主催トレーニング・スポット。
第2弾は、かねてより、このHP上でもチラチラと話題にしていた俳優専門のフィジカル・トレーニング・スクール“APT”の開校だ。
講師はもちろん、君塚さんと植草さん。newsだけでなく、雑記帳も読んでくれているキミには耳寄り情報を。実は、昨日、APTのHPが公開されたばかりなのである。ちょっと観に行ってみそ。
http://hey.to/japts/
第3弾は2000年8月12日に予定されているエモティオ主催合同練習会だ。
これ、朝9時〜夜9時まで体育館を丸々ひとつ借り切ったからね。12時間をぶっ続けで芝居の稽古ができる幸福に浸ってくれ。
とにもかくにも、ジ・アクエリアス・ステューディオの2年目は忙しいのである。
……って、実はヒジョーに疲れてるんだけれどもね。はひゅひゅひゅ〜…
なにはともあれ、頑張ってみるわ。
近頃、ナニが腹が立つって「イマドキの17歳はキケンだ!」とゆーワケワカラン意見だ。
冗談じゃねぇよな、ったく。おめぇの目の前に、いったい何人のリアルな17歳がいるってんだ。
小学生を殺して、その首を校門に晒す奴が普通か、おい?
バスジャックして人殺しする奴が普通か、おい?
リンチして金を巻き上げ、自分らが捕まりそうになったら殺す奴が普通か、おい?
そんな連中は、異常なんだよ、異常! もし、イマドキの17歳の一般像が猟奇殺人者だというなら、高校なんて処刑場になってらあ。
これと同じ憤りは、かっての「女子高校生=エンコー」とゆー括りが騒がれた時にもあった。
当時、うちのウリボーは女子高校生だ。ふざけんじゃあないよ。うちのウリボーが、んなことするわけねーだろ、バカヤロー!
この時は宮台ナントカとゆーそれなりに有名な学者センセーが言い出したもんで、早稲田大学で社会学をやったヤツまでもが同じようなことを言ったのでブチ切れたもんだ。
今、17歳といえば、勝田ではアリリンや橋本 栞、バンタン土曜コースでは、バボやモモコやハユだ。
あいつらを知っている者なら、わかるだろう。
あいつらが人を殺すか? あいつらが凶悪犯罪を冒すか? あいつらが少年法を楯にして悪事を働くか?
んなわけねーんだよ!
人を殺す、売春をする、そんなことをやること自体が特別なんだよ。誰でもできることなわけ、ねーじゃねぇかよ。
私は、中学の頃から飲酒・喫煙、無免許運転だのやって、散々パーカーから逃げ回った。それで補導されたことも何度かある。
だけど、私は、万引きだけはしたことねぇんだよなあ。万引きみたいな微罪だって、誰もがやることじゃねぇんだよ。ましてや、凶悪犯罪だの売春なんてもん、そんなホイホイとできるわけねぇじゃねぇか。
そりゃ、私だって「近頃の若いモンは……」とぶつぶつ言うよ。
先日、同世代の役者であるkaasanと会った時は、「近頃の若いモン」ネタで盛り上がったよ。
でもさ、それとこれとは全く別の問題なんだ。
今、「17歳がキケンだ!」と言っている連中って、具体的にナニをするつもりだよ? ただ、キケンだ、キケンだと騒いでいるだけで、その当の17歳に対して、直接的なアクションなんか起こしてねぇじゃねぇか。
私は、公教育の教職員じゃない。
が、演劇界の指導者のひとりとして、目の前の17歳はどうにかしてやろうって、身体を張ってるんだよ。
その上での実感としての「近頃の若いモンは」なんだ。
テレビや雑誌で仕入れたセンセーショナルな知識でテキトーなことぬかしてやがるバカとは違うんだ、ボケッ!
エンコー世代だと? ふざけんじゃねぇや!
渋谷にタムロするクソガキを意図的に選別した上での悪意あるデータなんぞで、私の生徒たちまで一括りにするんじゃねぇ!
キケンな17歳だと? 私の周囲にいる17歳は、アホもいるが、みーんな、私の「大人としての許容範囲」の中に入ってるんだよ。
入ってなけりゃ、私が無理矢理にでも入れるってぇんだ。こちとら、それだけの気合いをもって、ガキどもと付き合ってるんだ。
ガキと真正面から向き合えず、見えないところから石を投げるような腐った卑怯者といっしょにするんじゃねぇよ。
で、若いキミたちにも注文がある。
怒れよ、おめぇら!
今、18歳から20歳のキミ。キミの彼女までエンコー世代と一括りにしてるバカ大人がゴロゴロしてやがんだぞ。
おめぇ、自分の彼女がエンコーやってると言われてもヘラヘラしてられんのか、をい。
今、17歳のキミ。キミは人殺しする同世代が普通だと思うか? 普通じゃねぇだろ。過半数が凶悪犯罪者なんてわけねぇだろうが。
だけど、そう言って、騒いでいるバカ大人が世の中にはゴロゴロしてんだよ。
怒れよ、バカ! 「ふざけんな!」って言えよ、おめぇら!
ハッキリ言っておくよ。キミたちのそういう態度が、芝居を上達させないんだ。
他人のことであったとしても、自分のことと同じように感情を震わせる感覚が弱いから、キミたちのエモーション(情動)はインチキなんだよ。
だから、エモーション訓練をやっていても、それらしくやればいいと思うヘッポコ志望者にしかなれねぇんだよ。
他人のことであっても、怒れよ。
自分のことは我慢しててもいい。だが、他人のことには、怒らなくちゃいけねぇんだよ。
他人のことでは真剣になれないキミたちだから、「イマドキの若いモンは」って私やkaasanに嘆かれるんだよ。
どいつもこいつも若いうちから諦めばっかり覚えるんじゃねぇよ!
諦めるってぇんなら、それまでの過程ぐらいは徹底的にやってみろよ。
ちょっと考えただけで面倒くさかったり、かったるかったりするようなことにこそ、諦めずに挑戦してみろよ!
その程度の辛抱も忍耐もなく、なにかといえば諦めるだと?
おまえら、それでも生きてるのか!
そんなフヌケたガキの思うようにならなければ、今度はキレるだと?
冗談じゃねぇんだよ! やることやってねぇガキがキレたのなんのとほざいたぐらいで腰が引けるほど、演劇人は甘くねぇぞ!
ホントにもう、しっかりしてくれよな!
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☆33000アクセス突破! さんきゅ♪
☆最近のお気に入り……ポッキーのプリン味。ホントにプリンの味がするんだな、これが。プリン、好きなのだ♪
昨日、生徒のひとりが亡くなった。
彼は22歳、大学生。バンタン電脳声優科土曜コースに来ていて、大学卒業後は声優科の本科に入学するつもりだったらしい。
死因は心筋梗塞。以前から心臓に問題があったのを本人も承知していたらしい。
この生徒は、ハッキリ言ってしまえば変わったヤツだった。
土曜コースが始まって早々、私が休講した時の代理講師に睨まれ、同じ生徒からも奇異の目で見られていた。まあ、問題児というやつだろう。
実は、私はこの生徒に1回しか会ったことがない。それまで噂だけが先行していた。
「哲学好きの変なヤツがいる」と。
私は「へぇ。どんなヤツなんだろう。とにもかくにも、一度、会ってみないとわからんな」と思っていた。
会ってみての感想は、まあ、こんなのもいるよな、という感じであった。
で、初日に叱った。
エチュードのあとのダメだしの時に、私の言葉にいちいち反応して、「ええ、そうなんですよね」と、まるで他人事のように語ったからだ。
「おまえね、その反応はナニ? なにはともあれ、俺の話をキチンと聞けよ。質問はあとで受け付ける。まずは、他人の話をキチンと聞く姿勢を備えろ」
彼は「はあ、すみません」。
最後に私は、苦笑しながら言った。
「おまえさ、芝居以前に、コミュニケーションから一緒にやっていこうな。あと半年か1年かけて」
講義後、何人かの生徒から「彼、どう思います?」と質問を受けた。
私は笑って言った。
「まあ、あれぐらいだったら許容範囲だよ。言ってわからないヤツではないようだしね。本人にも言ったように、半年か1年かけて直すさ」
が、彼は、それきりだった。
あと半年は教えてやりたかった。。
悲しいとかなんとかより、私にはこれが悔やまれてならない。
あいつが、たとえ、声優になれなかったとしても、一般社会には溶け込めるようにしてやりたかった。
第一印象だけで疎まれるようなことのないよう、他人との接し方というやつを教えてやりたかった。
彼は言っていた。
「もっと、人と語り合いたいんですけどね」と。
私は言った。
「おまえが、他人と話す態度ってやつを身につければ、今よりもっと多くの人と語り合えるようになるよ」と。
人は必ず死ぬものである。
死ぬ時がいつかは、誰にもわからない。
だから、精一杯生きなければならない。
だから、悔いのないよう生きなければならない。
1年後に死ぬ可能性もあれば、1ヶ月後に死ぬ可能性だってある。いや、1週間後かもしれないし、明日かもしれない。1時間後でも10分後でも1分後でも、死ぬ可能性というものはあるのだ。
今、これを読んでいるキミだって、いつかは死ぬのだ。
誰も死からは逃れられない。
だから、がんばれよ。
声優になりたいんだろ?
プロ俳優になりたいんだろ?
人間ってのは、いつ死ぬかわからないんだぞ。
生きている間に、その夢を手中にすべく、がんばれよ!
たとえ、志半ばでたおれたとしても、自分は出来る限りのことをやってきたと思える生き方をしろよ。
いい加減にデレデレタラタラやってんじゃねぇよ。
死んじまったら、俳優修業もへったくれもねぇんだよ。
死ぬ寸前になって、あの時、もっとがんばればよかったなんて思ったって遅いんだよ。
言い訳探して、ボケボケやってんじゃねぇよ。
死ぬまで言い訳し続けるつもりか!
死にたくなくたって、死んじまうのが人間なんだ、馬鹿野郎!
もし、人間に生まれ変わりというものがあるなら、16年後に、また、俺の生徒になれや。
16年後、俺は50歳だ。今よりは人間がデキているはずだからな。
その時は、もっとイッパイ話をしような。色んなこと、教えてやるからさ。
今度、生まれ変わった時は、健康な身体で生まれてくるんだぞ。
世の中には、いっぱい楽しいことがあるんだ。
おまえは人間と触れあうのが、あまり、好きじゃなかったようだけど、人間っていいものだぜ。
人間には、いい面がもっといっぱいあるんだってことも教えてやるよ。
人間ってのは、自分のことだけが可愛い、愚かで、狡くて、どうしようもない生き物なんだけどな、そればっかりでもねぇんだよ。
俺は生き続ける限り、なんか、創ってるからさ。
生まれ変わった幼いおまえのためにも、なんか、必ず創ってやるから。
親や教師が推薦するためになるようなものをつくる自信はないが、幼いおまえが心から喜ぶものを創ってやるよ。
だから、安らかに眠れよ。
ちゃんと成仏するんだぞ。
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★32300アクセス突破
日曜日、劇団ムーンライトの『ジプシー』のラクを観てきた。
中身はもちろんグッド。芝居そのものの感想については、なにかのおりに土井代表にでも話そうと思う。
問題はただ一つ。それはムーンライトではなく、一部の観客にあった。
掲示板でも目撃報告(?)が相次いでいるように、足の具合が悪い私は雛壇席のほぼ中央に、開場10分前から案内してもらっていた。
待つこと40分。その間に、私はムカムカしっぱなしだったのである。
理由……某養成所のバカ女が、子分を5人ぐらい連れて、私の真後ろでクッダラネー話をくっちゃべってやがったからだ。
バカ女「私、今、プータローなのよねー。参っちゃうわー」
子分「でもぉ、仕事があるから、いいじゃないですかぁ」
バカ女「えー。でもぉ〜」
子分「ラジオのレギュラーもってるくせにぃ」
バカ女「んんー、でも、やっぱりねえ。うふふ」
この会話をヒソヒソやってやがるんなら、私も聞かなかったことにしておこう。
ところがこのバカ女軍団ときたら、5人ぐらいで真横一列に並んでやがるものだから、その端と端で会話されると、聞きたくなくても聞こえちゃうんだよ、バーロー!
その後も、このバカ女は、滑舌の悪いオシャベリを聞こえよがしにペチャクチャペチャクチャ……
「私は仕事をやってるから、志望者とは違うのよん」「こんなにイッパイ取り巻きがいる私って凄いのよん」…… そーゆー醜悪な自意識が見え隠れする下品な会話を、よりによって、私の真後ろでやりやがって。
よっぽど、立ち上がって「静かにしろ、このバカアマ! 観劇ってのはなぁ、入場直後から始まってるんだよ。観客は、てめぇのクダラネー自慢話を聞かされるためにいるんじゃねぇんだ」と怒鳴りつけようと思ったのだが、
私がマジで怒鳴ろうものなら開場の雰囲気が確実に悪くなって、ムーンライトに迷惑をかけるだろうと思ってやめておいた(オトナだな、私……)。
あのね、この業界、すっげぇ狭いんだよ。たとえ、養成所の生徒であろうとも、顔や体型、その他の特徴さえつかめば、そいつの正体を確定することは、けっして難しくないのだ。
で、私は、マジで、このバカ女の正体突き止めたぞ。つけられてるアダ名も、3月にやった研究公演では何の役をやったかもな。
よっぽどココで、養成所とそのバカ女の生徒の実名を暴露してやろうかと思ったのだが、それじゃあ、その養成所にいるマジメな生徒が可哀相だから我慢しておく(嗚呼、なんてオトナな私……)。
そのバカ女、今はラジオの仕事をもらって有頂天になっているようだが、その先は絶対にないね。あんなに常識を知らないバカを許容するほど、業界は甘くないんだよ。
そのバカ女を親分みたいにして、くっついて歩いている子分どもにも未来はないよ。あんな下品なヤツを親分にしていたら、どんなに才能溢れていても自滅すること間違いなし。だって、知性が低いってことなんだからよ。
ホント、ソコの養成所の生徒って、評判悪いんだよな。
私個人は、いい子が何人かいるのを知っているんだよ。だが、それじゃ庇いきれないほど、生徒全体の評判が悪いのである。
やれ、無意味にプライドが高い、基礎ができていないくせに錯覚してるマヌケが多い、現場マナーが悪い……
声優志望者諸君、キミたちの素行や行儀が問題になった時、恥をかくのはキミたちじゃあないんだよ。
キミの師匠であり、キミの通っている養成所や学校の全体が恥をかくんだ。
だって、私は今回の件で思ったもん。
「あーあ。ホント、○○さんのトコロの生徒はシツケが悪いよな、ったく。どいつもこいつも、野良犬か野良猫みたいなもんだね。アノ人、どーゆー教育してんだよ」と。
演劇界の一員である自覚があるなら、みんな、観劇のマナーぐらい身につけなくちゃダメだよ、ホント。
「会場の外に並んでいる時は、通行人の邪魔にならないよう配慮すること」
……これぐらいの常識がわからないヤツは今すぐに死んでしまえぃ!
「並んでいる間に出したゴミの類は、自分のバッグに入れて持ち帰ること」
……これ、スタッフが片づけてるんだぞ。いい芝居をみせてもらいたいなら、余計な仕事を増やすんじゃねぇよ! これは10回は死ね!
「外で並んでいる間であったとしても、知り合いに会ったからといって大騒ぎをしないこと」
……歩道は志望者の社交場じゃねぇんだよ。挨拶するなら、小さな声で、手短にしろ。これは50回は死ね!
「開演までの待ち時間、いっしょに来た人間とおしゃべりするのは構わないが、声は小さくして、業界や学校の内部事情(講義のことなど)については触れないようにすること」
……「自分は普通の観客と違うんだ。わかっているんだ」って態度は、他の客の鼻につくんだよ。その劇団の迷惑にしかならねぇんだ、バーロー! 100回は死ね!
「上演中、ホンモノのプロと業界に認知されてないガキが、知った顔して滑舌や発声の批評をしないこと」
……ホント、批評家面した志望者の客ってのはムカつくんだよな。これは1000回は死ね!
「上演中、NGを苦笑すること自体はかまわないが、それをいつまでも引きずらないこと」
……これは、キミらが普通の観客ならかまわん。が、同じクリエイターとして来ているんなら、武士の情けをかけてやれよ。絶対にNGがない舞台なんてありっこないんだ。これは100回は死ね!
「閉幕直後、感動に浸っている観客に冷水をぶっかけるようなバカ批評を『待ってました』とばかりに始めないこと」
……言いたいことがあるんなら、実名と連絡先を記した上で、アンケートに書け! これはムカつくなんてもんじゃないね。その罪、万死に値する! よって、10000回は死ね!
そのプロダクションの養成所生徒が、また、下品なことをやりやがったら、今度こそ、業界の知人・友人連絡網を通じて、「あそこの生徒はダメダメ」って回すぞ。
2万人はいる養成所生徒だって特定できるぐらい、この業界は狭いんだ。
ドコでダレの目が光っているかわからないと思って、自分の行儀・礼儀については細心の注意を払うように。
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☆マッハロッドはブロロローブロロローブロロローン! ドールゲー!(今回の文章を読めば、わかるやつにはわかる暗号。なんのことだかわからない人は気にしないように)
シナリオを書き上げ、見直しを済ませたと同時に、私は叫ぶ。
「俺って天才!」
ガイスターズの場合、仕上げたと同時にシナリオのファイルは井上さんへと送信される。で、そろそろ受信しただろうという頃を見計らって、私は電話をかける。
「な、な? おもしろいだろ? おもしろいだろ? おもしろいだろ?」
先日、13話の第1稿をホン読みした時は、トイレで純央監督と連れションしながら、
「いやぁ、おもしろいんですよ、13話! 早くやりましょう、早く!」
純央監督は苦笑しながら、洗面台で手を洗っていた。
とゆーわけで、私はよく言われる。
「なるなるぅって幸せだよねえ」と。
声優養成講師をやっていても、私は同じだ。
たとえば、マ行をキチンと言えない生徒がいたとする。本人も半ば諦めているような状態だ。
が、私が教えると、必ずや言えるようになる。その時、生徒は嬉しさと同時に不思議そうな顔をする。私はニマァと笑って言う。
「なんで、俺って、こんなに教えるのが上手なんだろう。やっぱ俺って天才だなあ」
たとえば、戯曲をやっていて、解釈が通じずにウンウン悩んでいる生徒がいる。
で、私が解釈のキーワードを一言与えると、一瞬にして悩みは氷解する。戯曲のアタマからオワリまで一気に解釈が通る。生徒は悩みが雲散霧消してスッキリ顔。
私は当然の顔をして言う。
「おまえら、誰が演出してると思ってるんだ。天才だよ、俺は?」
なんで、こんなことを言うか。
だって、みんな、褒めてくれないんだもん。
私は褒められないとイヤなのだ。「すごい!」「えらい!」「天才!」と言われないと、ゼーンゼン乗らないのだ。
私がこんな風になったのは、漫画家・藤田和日郎さんとお会いしてからだ。藤田さんは小学館漫画賞受賞の名作『うしおととら』の作者であり、今もヒット漫画『からくりサーカス』を描かれている、日本で最も熱い漫画家である。
藤田さんは原稿を描き終えると同時に、ひとりで「俺って天才!」と踊るそうだ。
藤田さんと私が同一だなんて言うつもりはない。とんでもない話だ。私が藤田さんと並ぶなんて。
でも、その気持ちはすごくわかるのだ。
作家なんて言ってたって、実際はひじょうに孤独な作業だ。
執筆に取りかかる前は騒がしい。あーじゃないの、こーじゃないのと資料をひっくり返し、アチコチに飛んでいって取材をする。
が、執筆に取りかかると、静かなものである。話をする暇なんてないし、なんかをやりながらのついでにできるような作業ではない。
ひとり孤独にシコシコと書きあげていくしかない。
ホントは自信なんかないんだよ。
自分が天才だなんて、コレッポッチも思ってやしない。
だけど、それを認めちゃったら、もう、次なんか書けなくなる。
演技を教えるのだって同じ。いつも、もっとわかりやすい教え方はないか、どう言えば、わかるだろうかって考えている。
教える時は、その時の最高のものを与えたいと思っているだけ。その時、自信がなかったら、他人に教えるなんてこと、できるわけがない。
「俺って天才!」と、自分で自分を鼓舞し、次のステップへ上ろうとしているだけの話なのである。
黒澤 明監督とサム・ペキンパー監督には、全く同一のエピソードがある。
ふたりとも、記者に「最高傑作は?」と問われた時、「次回作だ」と答えたのである。
そりゃそうよ。いつも、今この時が最高であり、次はもっとレベルが上がっていると思えないでどうすんのさ。
そして、そう言うためには、絶え間なく努力をしていくしかないのである。
水曜日は安達ジムだ。
今年の安達ジムは、卒業した16期のその後からのフィードバックを踏まえ、最も高いレベルでの講義となっている。
私は、自分が手がけた16期のレベルに自信を持っている。特に、選抜チームの連中に関しては、修業3年とは思えないまでのレベルにまで達しさせたと思っている。16期は卒業時点で、ここ数年、最も高い評価をもらっていた14期を超えた。それも、名門・勝田で、だ。
が、そんな16期だって、完全ではない。あくまでも修業3年としては優秀なのであって、私が心から望むレベルに達しているわけではないのだ。実際、私は卒業生たちが集まったドラマ・ラボ
エモティオで、体練・発声・滑舌からやり直しをさせている。
16期は、解釈力と表現力において、素晴らしいレベルには達しているのだが、発声の面において物足りなかったのだ。
だから、18期安達ジムでは、例年になく発声にうるさい。発声を、いかにして、実際の芝居にもっていくかを、きめ細かく教えている。腹式呼吸ができなければ、どれだけ不自由になるかを、徹底的に思い知らせている。
生徒たちがいつも無自覚にやっているだけの外郎売りを、どうやれば発声と滑舌の練習になるかというレベルで、それはそれは細かくチェックしている。
これらはみな、18期安達ジムの参加者たちにとっては試練である。基礎を追求するということの意味をトコトン思い知らせようと思っている。
基礎の追求、これこそが16期で果たせなかった心残りでもあるのだ。天才を名乗る以上、同じ心残りを繰り返したくないのである。
自分で自分を「天才」と言った時点で、もう、逃げられないんだよね。
天才たる者、前回よりレベルの低いものなんか提供できるわけなどないのだ。
天才たる者、その名にふさわしい行動と結果を生み出さねばならないのだ。
優雅に泳いでいる白鳥は、水面下ではせわしなく足を動かしている。
天才を名乗る以上、他人には見えないところで、必死でその名を守るしかないのだ。
で、そうやって努力した自分へのご褒美として、私は「俺って天才!」と叫んでいるだけのことなのである。
でも、やっぱり、天才という賞賛は、他人からこそ言って貰いたいものだ。
というわけで、私が物欲しそうな顔をしていたら、「さすが天才!」と遠慮なく言って欲しいと心より願う次第である。
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☆いやぁ、おもしろいんだよ、ガイスターズの13話。14話はもっともっとおもしろく仕上げなくちゃね!(^-^)
私が苦手なことのひとつに「営業」というものがある。営業をしかけるのも苦手なら、営業をしかけられるのも苦手だ。
私の場合、なにかしらのきっかけで仕事をして以来、それが細々と続いているうちに紹介が広がるか、または仕事と関係のない付き合いをしているうちに、ある日突然仕事になるパターンが多い。
色々といわれるんだけどねえ。もうちょっと営業を頑張れ、頭を下げに来たら仕事をやる、とかね。別に私のプライドが高いわけじゃない。ただ、得意じゃないだけ。
愛想は良い方だと思うよ、実際にお仕事をさせてもらっているお得意先様にはね。ただ、「政治とお世辞」は苦手なの。
それから、「便利使い」されるのもイヤなんだよね。よくあるんだよ、企画書やプロット出してノーギャラで終わりとかさ。
私がライター志望者を嫌う一番の理由は、実力よりも営業力でどうにかなろうって輩が多すぎるということ。
原稿用紙の使い方も知らなければ、ト書きもろくに書けないくせして、営業しかけようってんだから腹が立つんだよね。
だから、ライター志望者と会話していても、話題が下品なんだよなあ。なにかといえば、すぐにギャラの話になる。
誰某はいくらのギャラを貰ったとか、誰某はプロットライターでいくら貰っているとか……
本人たちは情報交換のつもりかもしれないが、デビュー前やデビューそこそこのヤツがなんの情報交換だ。その前に行儀や礼儀を勉強しやがれってぇんだ。なんで、実力で上り詰めようって意識が生まれないのかねえ。
で、この手の営業重視傾向が、声優の世界にもジワジワと表れてきているのが困りものだ。
たとえば、私は今までに50人以上の勝田生を、自分の現場に連れて行っている。無論、きちんとギャラを払っているが、これにはふたつの意味がある。
ひとつはOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)、現場での実践トレーニングだ。弟子に、現場とはどういうところなのかをわからせる。
もうひとつは「プロダクションのジュニアよりも優秀な生徒の見せびらかし」だ。現場に連れて行って恥ずかしいようなヤツは、最初から連れて行かない。
よくいるよね。声優になる=デビューだと思っているひと。デビューするだけなら、現場で一度でも仕事をすればデビューなんだよ。そういった意味では、私は50人以上をデビューさせているってことになる。
が、私といっしょに現場に行ったなら、デビューが目標地点なんてものじゃないと、明確にわかるのだ。
まず、プロダクションに正所属すること。プロダクションに所属できる能力がない時点でダメなんだよ。デビュー時点またはデビューから数年でフリー声優なんてのはおかしいのだ。
だいたい危なっかしくてしょうがないよ、フリー声優なんて。中堅やベテランとして位置されているフリーならともかく、無名のフリーなんて信じられるわけがない。
私個人が信じたとしても、その他のスタッフにまで「私を信じるように、こいつも信じてくれ」なんて言えるわけがない。
で、俳優として営業をするんなら、まずは舞台のチケットを送ってくれ。
間違えても私に音声ファイルとか送ってくんなよな、もう。冗談じゃないよ、プロダクションに所属もできない無名クンから、2Mもある音声ファイルを送られるなんてさ。
私はデモテープなんか信じないからね。3分でバレる欠点なんて論外だが、3分をノーミスといったって、練習と編集の賜物だもん。私が今までに何百本のデモテープを聴いてきたと思ってるんだ。しかも、私自身がデモテープの作り方だって教えているんだぜ、デモテープの裏の裏まで見抜くってんだよ。
いっぱしの俳優として、営業を仕掛けたいんなら、とにかく舞台を観せてみろって。
マスコミ仕事をできる俳優だってことを、まずは舞台で証明してみせなよ。
そもそも新人や若手の声優の中には、ちゃんとした舞台を経験したこともない連中がいるってことにも困ってるんだよ。
アマチュア演出、アマチュア作家の舞台なんてのは、プロ俳優のキャリアのうちには入らないんだってーの。
プロ演出、プロ作家による舞台でなけりゃ、プロ俳優のキャリアとは呼べないのだ。
また、舞台とマスコミ仕事を完全に分離させて考えているヤツの多さにも困る。
舞台=ホンモノ、マスコミ仕事=ニセモノとゆー短絡思考……ああ、情けない。
私だって「俳優の故郷は舞台である」と明言してる。その根幹は「舞台で築いた能力の全ては、マスコミ仕事に応用できる」ということだ。断じて「マスコミ仕事より舞台が上」とかいう問題ではない。
そもそも舞台だからって滑舌が悪くていいわけがないだろうが。
舞台で通用する発声じゃなければ、マスコミ仕事では通用しないんだよ。
舞台で研き抜かれた解釈力じゃなければ、マスコミ仕事でだって通用しないんだよ。
舞台で通用する発声と滑舌と解釈力があってこその、俳優のマスコミ仕事でしかないのだ。
マスコミ仕事ができないハンチク役者の逃げ場としての舞台なんてぇものは、私は絶対に認めない。死んでも認めるもんか。
私に営業を仕掛けたいんなら、自分が出演する舞台のチケットを送ってくれ。
それ以外の俳優からの営業は、私は一切受け付けない。やってもムダだから。
付け加えておくが、演出と作家がプロではない舞台を、私は観に行かないからね。
とにもかくにも、二度と音声ファイルなんて送ってくるなよ>該当者クン
まずはプロ演出・プロ作家による舞台公演チケットを送ってくるように>営業を仕掛けようと思っているひとたちへ。
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☆ちゃーんと仕事してますからね〜。(^^;>すみお監督
先日、足首を抱えて「いてぇなぁ」とボーッとテレビを観ていたところ、情報バラエティ番組で「有名になりたい症候群」ってのを紹介していた。
その番組では懐かしい言葉を思い出させてくれた。「マズローの欲求5段階説」だ。
人間の欲求には、大きく分けて5つのステップがある。
第1段階「生理的欲求」
これはよーするに生物として生存するための本能的欲求である。食欲や睡眠欲などだ。
第2段階「安全の欲求」
これは生命の安全、生活の安定などである。
ここまでは生命体なら当たり前の生理的欲求だ。全ての動物に当てはまる。
第3段階「親和の欲求(所属の欲求)」
ここからが社会的動物ならではの欲求である。集団や組織に自己の置き場を求める。
第4段階「承認の欲求(自我の欲求)」
これが「有名になりたい!」という気持ちの根幹である。自分を認めて欲しいというやつだ。が、ここには、欲求はあっても、そのための努力はあり得ない。
第5段階「自己実現の欲求」
自己実現とは、自分が思い描いた理想の結果を得るために努力することをいう。この段階には有名・無名の差なんてものはない。無論、努力がイヤだとか面倒くさいとか、努力しないでなんとかならないか、なんて甘えた考えは存在しない。
さて、なぜ、私が「マズローの欲求5段階説」なんて行動科学の理論を持ち出したかと言えば、声優志望者のほとんどは、第4段階で止まっちゃっているからなのだ。
第3段階「親和の欲求(所属の欲求)」で止まっちゃってるヤツ、多いよね。
勝田にも掃いて捨てるほどいるよ。「クラスの輪が云々」とほざいて、飲み会だのなんだのでコミュニケーションすることが練習よりも大事だと思いこんでいるバカ。
こーゆーヤツの言い訳は「演劇はアンサンブルだから」。上等だよ、俺の前でアンサンブル演劇の成立と発展の歴史を語ってみろや、ああ?
そもそもアンサンブルの意味、知ってるのか? 「統一的な効果・調和」って意味であって、「馴れ合い」じゃないんだよ。
で、統一的といった時に、だ。下にレベルを合わせるのか? 合わせるんだったら、上にレベルを合わせろよ。せめて、真ん中より上にさ。ここで甘えるからダメになっちゃうんだよ。
まあ、だいたい6割はココでダメになるんだよね。周囲と自分を比べて、「こんなもんでいいや」と甘える。だから、自滅っていうんだ。
第4段階「承認の欲求(自我の欲求)」で終わっているヤツも多いねえ。
日々の地道な努力を放棄して、ただただ「声優になりたい」って念仏唱えてるだけのバカ。または学校や養成所に通うだけで声優になれると勘違いしているマヌケ。
勝田は週に1回しかない。週に6日はフリーとなる。このフリーの6日間にナニをやるかが修業なんだよ。週に1回の授業とは、授業のない6日間にナニをやってきたかの発表の場所でしかないのだ。
でも、やらないんだ。第3段階で終わってるヤツが6割なら、この第4段階で終わっているヤツが3割だね。
このレベルの意識じゃ、俳優には絶対になれないよ。今からでも遅くないから、タレントでも目指せばいい。意識レベル的には、有名になりたくて殺人を冒すヤツと変わらないね。
さて、第5段階「自己実現の欲求」だ。
ここに至っているヤツは、私がギャーギャー言わなくてもやる。
たとえば、体練。君塚さんと出会ってからというもの、私はなにかにつけて体練をやらせるようになった。なぜなら、体練を乗り越えられるかどうかが、その生徒のやる気をはかる正確なバロメーターだとわかったからである。
エモティオでいえば、ユキンコ、カオリン、マサヨサマ、ヘロミ、
選抜チームでいえば、ちしゃ猫、エミコ、ウリボー……
ジムでいえば、アリリン、アダトモ……
ここらへんは体練を習慣化する以前と、習慣化した今で、発声が全然違っている。
以前は、体力不足に起因するヘロヘロなビブラートばかりが耳についたが、
今は、力強く、まっすぐな音が前に向けて伸びるようになった。
が、これさえもステップでしかない。そう理解できていることこそが、この第5段階なのである。
滑舌……めんどくさいよねえ。辛いよねえ。つまんないよねえ。地味だよねえ。滑舌なんかやっているよりも、台本片手にお芝居やってるつもりになっている方が、どんなに楽しいことか。
でも、滑舌をやらないわけにはいかないんだよ。やらなけりゃ、プロの滑舌レベルには達しないんだから。
私が求める努力ってのは、第4段階までのヤツじゃ理解できないんだろうね。知識として「そうなんだ」とわかっても、いざ、自分がやる段となると、かったるくなるようなものばっかりだからさ。
でもさ、じゃあ、私が「発声や滑舌は自己責任でやってこい!」って言い出したら、いったいどうなるのかなあ?
発声や滑舌といった基礎中の基礎ってのは、誰にでもできることなんだよ。誰にでもできることを望んでいるだけだよ、私は。
いつだって、私は、誰にでもできるレベルからしか求めないよ。誰にでもできるレベルを積み重ねていくことによって、俳優としての土台をつくりなさいって言ってるだけじゃん。
第5段階「自己実現の欲求」ってのは、自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を追求する欲求のことなんだよ。
ここに至らない限り、絶対に俳優にはなれない。
第3段階、第4段階でモタモタしてちゃダメだよ。
俳優を5段階にわけるなら、
第1段階「基礎体力(2時間以上を動きっぱなしでいられる体力)」、
第2段階「発声(喉を開放し、正しい腹式呼吸による発声)」、
第3段階「滑舌(苦手がない、きれいな発音)」、
第4段階「解釈(必然と根拠のある演技プラン)」、
第5段階「表現(自らの内から表現を生み出す)」だろうね。
さあ、自分は今、どの段階にいるかな?
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☆とりあえず松葉杖をゲット。なにはともあれ、バンタンの講義を休むわけにはいかないからね。(^^;
今日の安達ジムは発声チェックである。
ここでも何度か書いているのだが、とにもかくにも声優志望者のほとんどは発声がダメ。
修業を始めて5年目であろうとも、発声がきちんとできている志望者などめったにいない。志望者を無作為に100人集めたところでマトモな発声をできるのは1人いるかいないかというほどダメダメ。
まず、俳優の発声の基本である腹式呼吸。ここで、まず、9割が脱落する。だって、みんな、身体を鍛えていないもん。
今日のジムでは、3人ぐらいの生徒に「腹式ができていないから、その先のステップには進めない」と申し渡した。
みんな、できているようで、できていないんだよね。カタチだけの腹式でしかないの。これ以上は吸えないというところ、これ以上は吐けないというところで、筋力をつかってグッと吸って吐いてをしなくちゃいけない。この繰り返しが腹式呼吸のレンジを広げる。
なぜ、こんなにも腹式呼吸をうるさく言うか?
腹式呼吸をきちんとつかえるようになっていないと、次の段階からヒジョーに苦労するからなのだ。
次の段階が「喉を開く」。
これは文章では書きづらい。簡単にいえば、「声を喉にアタックさせない発声」で、かつ「前に出る発声」だ。この時、大量の呼吸が必要となるのである。
ジムの連中のだいたい半分くらいは「喉を開く」ということを実感できてきたかな。ただ、安定はしないんだよな。ここをキチンとやらないと、結局、芝居で喉声になってしまうのである。
で、実感できて、安定するようになったとしても、腹式呼吸が甘いと、声が全然続かない。
喉を開けるようになると、まず、声が荒れなくなる。
よくアマチュアの舞台では、声をガラガラに荒らして台詞を言っているが、あんなのは「一所懸命やってまーす」という自己満足でしかない。
正しい発声では、声は荒れないものなのである。声を荒らすようなヤツは、プロの現場に来て欲しくない。
新人や若手の声優にもいるんだよ、ここらへんがダメなヤツって。収録の最初の方で大きな声(たとえば、叫び)をやらせると、そこで声がガサガサになってしまい、そのあと、本来の声を出せないようなのがさ。(しかも、そこそこ売れてるってぇんだから、現場スタッフにしてみると頭が痛い)
さて、その次の段階というのも存在する。今日は簡単にやったのだが、共鳴をつかっての低音の補強というやつだ。
声質というのは、その人の体格・骨格に左右される。
たとえば、私は、電話の声からだけで、その人の体格や骨格が見える。頭蓋の直径と長さと幅、鼻梁の大きさ、頬肉の付き具合、首の長さと太さ、胸板の厚さなどなど……
よっぽどつくった声でないかぎり、だいたいは当たるね。
これを見極める時のポイントが、声における低音成分だ。
声を高いとか低いというが、どんな声にも高音・中音・低音の各成分がミックスされている。
アニメのヒロインには高い声が向いているといわれるが、高音成分だけの声では無意味だ。高音・中音・低音がミックスされた上で、和音になっていなければならない。
高音は訓練次第でかなり伸びる。訓練によっては、人間の可聴領域を超え、ガラスのコップを割る超音波を出すことだって可能だ(とはいえ、そんなマジックを身につけたところで、俳優の演技にはなんのプラスにはならんけどね)。
が、低音は、骨格と体格により限界がくる。そこで利用されるのが、共鳴だ。
知られているのはベルカント共鳴。あまり知られていないが、身につけると便利なのは胸式共鳴(和式発声)。
よく言われることに「つくった声では芝居ができない」というのがある。私に言わせれば「喉でつくった声では芝居ができない」なんだよね。喉でつくった声は、レンジが狭いし、喉に多大な負担がかかるからさ。しかし、「共鳴によってできた声」なら芝居は十分可能なのだ。
理想を言えば、低音部から高音部までを、胸式共鳴とベルカント共鳴をつかって、無段階に出せること。つまり、全てのレンジにおいて、共鳴をつかった発声ができれば最高だ。
で、共鳴をつかえるようになると、音圧が高くなる。つまり、舞台においては客席の隅々まで台詞が届きやすくなり、現場においては「マイクのり」が良くなるのだ。
が、この共鳴もまた腹式ができていないとダメなんだよなあ。声を続けられないと、響きが持続させられないのである。
しかも、喉の開放が出来ていなかったら、一瞬で声が荒れる。そりゃそうだよ。音=空気の振動を増しているんだもん。喉にアタックしたら、一瞬でおかしくなっちまう。
ここまでで理解できただろう。「発声ができている」というのは、身体能力・腹式呼吸・喉の開放・共鳴まできて、初めて得られる評価なのである。
どのステップであろうと、ひとつでも欠けたら、ダメな発声なのだ。
ところで、私は、まだ気管支炎が完治していない。相変わらずタバコをバンバン吸ってるしね。
が、声は出るんだよ。私が声を出すたびに、サカキバラやアダトモが「ひぃー」と驚いていたが、んなもん、当たり前でしょうが。腹式呼吸と喉の開放、そして共鳴をつかっているんだから。
逆に言えば、ちょっと体調が悪いぐらいで出なくなる声ってのは、そもそもの発声が間違えているのである。
しかも、正しい発声であれば、出せば出すほどに、雑音成分が消え、声の通りが良くなり、広がりが生まれる。
出せば出すほど荒れる声なんてのは論外。出せば出すほどに声が良くなるのが、俳優の発声なのだ。
俳優の中でも、特に優れた台詞能力を持つ者だけができるマスコミ仕事こそが声優なのだ。
まともな発声すらできないで「声優になりたい」だって? シュミの悪い冗談だよ、ったく。
みんな、やるべきことは山積みだよ。発声ひとつとってみても、大事なことは基礎なんだよ、基礎。
生まれついての声質だけでは、アナウンサーやナレーターにはなれても、声優をできる俳優にはなれないんだよ。
発声すらできていないヤツが、プロダクションへの売り込みだの売り出しだって?
はんっ! ヘソが茶を沸かしちゃうよ。
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☆30300アクセス突破! ありがとうございます♪ 3週間後の1周年には、いったい、どれぐらいアクセス数が伸びているんだろうなあ。わくわく!(^-^)
☆健康報告…とりあえず、歩くぐらいは可能となりました。痛いけどね。でも、階段がコワイんだよなあ。特に下りの階段。はひゅ〜。(^^;
全くの演劇初心者には、必ず「コーヒーのエチュード」というのをやる。
コーヒーカップの大きさ、取っ手をどう持つか、どれぐらい傾けるかなどなどを思い出しながら、再現する。
すると、まあ、みんな、イロイロとやってくれるわけですよ。バケツのような大きさのコーヒーカップであったり、顔面でコーヒーを受け止めたり、鼻から飲もうとしたり。
いきなり最初から、コーヒーカップのサイズや形状を正確に再現できる人などめったにいないのである。
このエチュードで理解させることは、人間は日常に対して、実に無頓着に生きているという自覚だ。この体験をきっかけとして、私は「ほら、君たちは『コーヒー』を飲むことすらできない。演技には『観察』と『記憶』と『再現』が必要なんだよ」と教えるわけである。
さて、私は今、最低最悪の身体状況にある。左足首の関節炎が痛くて痛くてどうしようもないのだ。
この関節炎とは、かれこれ、5年近く付き合っている。疲労が重なると左足首に激痛が走り、歩行不能となってしまうのだ。発症のペースは1年に1度。最近、やってないなあ、と思っていたら、昨日、発症した。
私はどちらかといえば、痛みに強い方だ。
小学生の頃は、神経が死ぬまで虫歯痛を我慢しぬいたし、(この時は、気絶した)
中学生の頃は、左足首にヒビが入っていたのを我慢しぬいて、自然にくっつけてしまったし、(注・それが現在の関節炎の元凶といわれている)
高校生の時は、盲腸を24時間以上我慢して破裂寸前までいったことがある。(破裂寸前の盲腸を抱えたまま、30分以上も歩いて病院に行った)
我ながら「阿呆だなあ」とは思うのだが、しょうがない。おおげさに痛いのなんのと騒ぐのは、男としてみっともない。苦痛を我慢してこその男である。←馬鹿。
昨日の場合は、打ち合わせ中から「やばいな」とは思っていた。
人間って、痛みを我慢していると、熱が出るんだよね。昨日は私が書いた回のシナリオを読み合わせしていたのだが、その最中、熱がじょじょにあがってきている自覚があった。
それでも、読み合わせ中はなんでもない。気が紛れているというより、集中している最中は全然気にならないものだ。
が、読み合わせが終わった直後から、痛みは階段を2段飛びで駆け上がるように倍増していった。
昨日は、渡辺監督と井上さんに痛みの実況中継をしていた。
「なんで、痛みを我慢していると、熱があがるんだろう。身体の変なところに力を入れるからかな」
「あ……呼吸数が上がってきている。なんでだろうね。腹式でゆったり呼吸している方が楽になるとわかっているのに、痛みを我慢していると、胸で呼吸しちゃうものなんだね」
「うーん……食欲がないなあ。飲むのも嫌だなあ。痛いと食欲って麻痺しちゃうよね。なんでだろう」
昨日は、結局、渡辺監督に車で救急病院まで運んでもらい、患部に直接、炎症止めと痛み止めを注射するという荒療治をやってもらった。今までの経験上、これ以外の治療は無意味だと知っている。
これまた、おもしろいことに、病院に電話をかけ「注射してもらえますか」と何件か当たり、やってくれるという病院を見つけた瞬間から、痛みというのは当社比20%減となる。
この患部への直接注射って、マジで痛いのだ。筋肉注射やせき髄注射より痛いね。こればかりは、我慢強い私でも思わず声をあげてしまう。ストレッチャーに腹ばいとなり、奥歯をギュウと噛み締め、ストレッチャーのへりを思いっきり握り締めていても、「んんんんんんんんんっ!」と声をあげてしまうほどに痛い。
が、実は、こんなに痛い注射をされるとわかっていても、精神的には随分と気楽になる。「これさえ乗り越えれば!」というカンジだ。ストレッチャーに乗った時点で、痛みは当社比30%減だ。
注射をしてもらった直後から劇的に効くわけではないのだが、「ああ。これで楽になる」と思った瞬間から、痛みは当社比50%減だ。
で、痛みがある程度おさまると、まずはタバコが欲しくなる。ゆったりと落ち着いた気分でタバコを吸い終わると、今度は腹が減っていたのを思い出す。
人体とは、まこと、不思議なものである。
私が野沢雅子さんから伺ったエピソードにこんなのがある。
雅子さんが肉親の葬式に出た時のことだ。とにかく、もう、涙が出て仕方がない。泣いても泣いても泣き足りない。なんでこんなに泣けるのだろうというほどに、雅子さんは泣いていた。
が、ある瞬間、愕然としたのだそうだ。涙がとめどなく流れてくるほど哀しいはずなのに、雅子さんの中にはもうひとり、ひじょうに冷静な自分がいて、泣いている自分は言うに及ばず、列席者の姿や反応を観察していた、というのである。
誤解のないよう言っておくが、雅子さんは人間ではない、天女様である。慈悲深く、優しい、素晴らしい人格者だ。人の不幸を喜ぶようなゲスではない。
その時、雅子さんは思ったそうだ。「ああ、私は女優なんだな」と。そして、その時の『観察』と『記憶』を、女優としての『抽き出し』にソッとしまったそうである。
実は、私の左足首は、まだ痛い。最高歩行速度は時速2キロもないだろう。これから病院に行き、また、患部へ直接注射を打ってもらうつもりだ。
本来なら、動かない方が治るのは早い。でも、今日は安達ジムがあるんだよね。
「先週は体練やったから、今週は発声をやろう。腹式呼吸のチェックして、発声が裏に回ってないかどうかチェックして……」と考えると、休んじゃいられないのである。
でも、こうやって考えていると、痛みはやや薄らぐ。
なんなんだろうね。
不思議だよね。
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☆30200アクセス突破! いやはや、なんともめでたいことでございます。これからもがんばりますね。(⌒-⌒)
今日はヒジョーに忙しい。
午後一番からバンタン電脳声優科の講師を5時間ぶっ続けでやり、18時から夏書房のインタビューを受け、20時からはエモティオで発声を指導した。で、これから、朝までにシナリオを1本仕上げる。はひゅぅ〜。
で、小さな事件があった。
私がバンタン電脳の教室でインタビューを受けている最中、バンタン生たちは各自で自主練習をやっていた。
その時、教室の戸が開き、笑い声と共に閉まった。
生徒たちが「なんだろ?」と思っていると、もう一度、戸が開き、ふたりのバンタン映画映像の生徒が入ってきたのだという。
で、なにごとかモゴモゴと言っているので、うちのウサコが「なんでしょう?」といっても要領を得ない。
代わってダイスケが「なんですか?」と聞くと、「CMの実習があるので、ナレーションを手伝ってほしい。誰かドラゴンボールの物真似をできるヒトはいませんか?」と。
ダイスケが「はあ?」と聞き返そうとしたところを、インタビューに立ち会っていた広報担当者が断って、出ていってもらったのだという。
私はなーんにも知らなかったのだが、あとから事の次第を聞いて、やっぱり「はあ?」だった。
疑問その1「なんで、その生徒は、入室する際に『練習中に失礼します。○○科の××と申しますが、ちょっとよろしいでしょうか』と挨拶をしなかったのだろう?」
最初に開けた扉を閉めたのは、きっと恥ずかしかったのだろう。そのあと聞こえた笑い声は照れ隠しだろうということも推測できる。
しかし、次に思い直して扉を開けた時、常識的なお行儀で挨拶をしたならば、なーんにも問題はないはずだ。
疑問その2「なんで、ドラゴンボールの物真似を頼まれるのだろう?」
声優を物真似タレントと同一視しちゃってたんだろうね。でも、その時点でヒジョーに失礼だということをわかっていない。
俳優はタレントと違うし、物真似は演技ではない。バンタン電脳声優科の生徒たちは、タマゴとはいえ俳優である。したがって、このお願いは、俳優の存在意義を正当に理解していないとして却下されるものでしかない。
そもそも私は、アマチュアやセミプロに、私の生徒や弟子を触らせるつもりは一切ない。
たとえば、ウリボーなどは、大学に入った時点で「絶対に自主映画や自主演劇には近づくな」と釘を刺されている。
ちしゃ猫などは「いつまで自主演劇をやっているつもりだ。プロになるのか、アマで終わるのか、さっさと決めろ」と何度も怒鳴り飛ばされていた。
理由は簡単。
アマチュアが育てたプロはいない。プロを育てられるのは、プロだけなのである。
アマチュアやセミプロによって、妙な癖や変な癖をつけられてはたまったものじゃない。
実際、勝田では、自主映画や自主演劇出身の生徒は苦労をする。
変な癖を個性だと思い、しかも、変な癖をアマチュアやセミプロの演出や監督によって増幅されているものだから、直すのにひじょうに時間がかかる。
先ほど講義をした19期にも自主演劇の出身者がいて、私に「今までの経験を忘れて、一からやりなおすつもりにならなくちゃダメだ」と言われた生徒が数人いた。
もうひとつの理由は、アマチュアやセミプロは、俳優への接し方を知らない。
なんで、私がアマチュアやセミプロの監督や演出を弟子や生徒たちに寄せ付けないかといえば、俳優を独立したクリエイターとして認知せず、人形や猿回しのサル扱いするからである。
たとえば、ミスター・トラビスのディレクティング実習では、バンタン映画映像の生徒たちが私の弟子たちを相手に、
「○歩歩いて、そこで止まって、5秒待ってから台詞を始めてください」なんてディレクティングをやってくれた。
冗談じゃないよって。
我が弟子たちは、3ACTストラクチャも理解していれば、セットアップもミッドポイントもキャラクターブレイクダウンも理解している。
その上で、累計3000時間どころか5000時間を超える練習量を誇る俳優に、勉強を始めてから数ヶ月の監督が演出をかけるだって?
当然、我が弟子たちからは質問が出る。「なぜ、止まるんですか?」「なぜ、歩くんですか?」と。
答なんか出てくるわけがない。イメージとやらで演出をしているにすぎないんだから。
全ての演技には根拠と必然があるなんてことすら知らないんだから、「演技とは説得の芸術である。俳優は自分が納得したものでしか、観客を説得できない」なんて領域は及びもつかないんだろうね。
さあ、そんなアマチュアやセミプロの監督にいじられたなら、いったい、どうなるか?
俳優の内面には、演出や監督に対する強烈な反発心が芽生え、まともなプロ演出に対してまで偏見をもってしまう危険がある。または、演出や監督の指示さえ聞いていればいいと勘違いした「人間の姿をしたサル」ができあがるのが関の山だ。
ドコの世界に、ロボットやサル扱いされたくて、毎日の鍛錬を乗り越えるマゾヒストがいるんだってぇの。
全ての演技を「あーやれ、こーやれ」なんて指示を出すディレクティングは、演出や監督に比べ、俳優が明らかに劣っている場合にのみ有効なやり方だ。
つまり、演出や監督より、はるかに優秀なベテランの俳優にはつかえない。
さあ、この世の演出志望者及び監督志望者諸君、キミは自分より劣った相手に囲まれて作品を仕上げるのと、自分より優秀な人材に囲まれて作品を仕上げるのと、どちらを選ぶつもりかな?
私は御年60歳を超えるベテラン声優さんに自作へご出演いただいたこともある。
バリバリの新劇俳優で、私が生まれる前からお芝居に命をかけている役者さんだ。
そんな凄い方に、格下扱いするディレクティングなんかしたら、どうなるかわかっているのかな?
その俳優さんの大激怒によって現場は大混乱に陥り、挙げ句の果てには、以後、その役者さんの仲間は絶対に私の作品に出演してくれなくなるよ。
忘れちゃイケナイことは、俳優もまたクリエイターのひとりということである。
俳優自身から生まれる表現を尊重する姿勢をもたなかったら、優秀な俳優の協力を得ての作品成立などおぼつかないのだ。
そういった基本中の基本である行儀や礼儀といったものが欠けているアマチュアやセミプロに、勉強中の生徒を任せるわけにはいかない。
プロってのは、ひとりひとりが最大限の能力を発揮し、作品の成立に仕える。
そのためには、全てのパートが全力を出すことが重要だ。監督や演出は、そのためのサポート役にすぎない。
いわば、監督や演出とは、オーケストラの指揮者なのである。
どんなに優秀な指揮者であったとしても、オーケストラにひとりでもヘタクソな演奏者いたら、素晴らしい作品の上梓など不可能だ。
まず、優秀な演奏者を集めねばならない。次に、集めた優秀な演奏者たちの能力をフルに発揮できる環境をつくらねばならない。
その上で、タクトが宙を舞い、素晴らしい作品の上梓が可能となるのである。
さてさて、キミは、どんなオーケストラを率いるつもりなのかな?>演出・監督志望者諸君
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☆ギャッ! オープン1周年を待たずして30000アクセス突破だあ! ありがとう!
☆7月発売の『進路おたすけガイド声優編』に、今日のインタビューが掲載されます。発売されたら、ここでも紹介するね。
☆そういえば……『声優グランプリ』と『ボイス・アニメージュ』の取材も受けたんだけど、いつ、掲載されるのかしらん?
先日、ある生徒から、こんな相談を受けた。
「朝起きると、『あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ』と思って、すごく精神的に疲れるんです……」
私は「うーん」と唸ってしまった。
私が言うところの「1日2時間の基礎訓練は、俳優としての能力維持と調整のためのレベルでしかない。1日3時間、4時間を練習することから努力と呼べるレベルとなる」は、頭ではわかっていても、いざ実行するのは難しいことだろう。
真剣に俳優修業をやろうと思ったなら、1日24時間が恨めしくなる。真剣に練習すればするほどに「せめて、1日が28時間になったなら」「1日が36時間あったら」と思う。それこそ分刻みのスケジュールを立てるつもりにならねば、目標とする練習量はこなせない。かって私も通った道だからこそ、この目まぐるしさは本当によくわかる。
が、「精神的に疲れる」ってのはどういうことなのかな、と考えてしまった。
タバコ会社には「テイスター」という職種がある。
タバコは工場で大量生産されるものだが、原材料であるタバコの葉の状態や刻み方、まぶされるスパイスの微妙な量の調節によって、味に若干のばらつきが出る。
テイスターはつくられたタバコを生産ロットごとに抜き取り検査し、この味で販売してもいいかどうかを試す味見役のようなものだ。ってことは、1日に何十本というタバコをすわねばならない。
以前、テレビのクイズ番組で、このテイスターを紹介していた。
「テイスターのみなさんは、休み時間にあることをして、気分をリフレッシュするそうです。さて、いったい、なにをするのでしょうか?」
答は「休み時間は、自分がいつもすっているタバコをすう」である。
同じようなことを、新劇の大女優さんも言っていた。
「1年365日、芝居漬けの日々を送っていると、芝居に対する情熱が弱くなる時というのもあるんですね。そういう時は、ひとりの観客に戻って、お芝居を観に行きます。すると、また、お芝居を頑張ろうって気持ちになれるんですよ」
ここで何度も言っていることだが、演技が上達するいちばんの近道は、「なによりも芝居を好きになる」ことである。
芝居以外に好きなもの、芝居と同等に好きなものがあったなら、演技が上達するわけなどない。人生の全てを芝居にかける意気こそが、いちばん重要なのである。
これまた、前にも書いたことがあるが、役者は芝居しかできない人間がやればいいものなのである。「芝居しかできないからこそ、役者になる」でいいのだ。芝居以外にできることがあるなら、他の職業に就けばいい。
……とはいえ、難しいことなんだよな、ここんところがイチバン。精神論だけではいかんともしがたいものなのである。
じゃ、どうすればいいか?
自分の行動に優先順位をつければいいのである。
みんな、無頓着なんだよね、ここらへんがさ。
一度でもサラリーマンをやればわかるのだが、物事には優先順位というものがある。仕事は大きく分けて、スピード優先、内容(質)優先となる。で、手元に集まったいくつもの仕事を分類しながら、スケジュールをたてるのが、サラリーマンの仕事というものだ。
同じく声優志望者の諸君も、自分のやるべきことに優先順位をつければいい。
まず、体練。体練をしっかりとやって、基礎体力を全般的に向上させないかぎりは、発声など及びもつかない。
そして、発声。発声がきちんとできなければ、滑舌を向上させることなど不可能だ。
で、滑舌。滑舌は毎日やらなければ、確実に落ちる能力である。つまり、やるしかない。
どんなに忙しくても、この3つだけは毎日やるしかない。
体練と発声は、なるべくセットでやった方がいいから、1日1時間以上のまとまった時間をつくるようにする。これは朝、早起きしてやればいい。起き抜けに発声するのはタブーなのだが、体練で暖まった身体であれば問題はない。
滑舌はばらけてもいいが、表情筋や舌筋のウォーミングアップの問題もあるので、1日30分のまとまった時間を2回ほどつくるようにする。自宅に風呂があるなら、入浴中にやってもいいかもしれない。湯気が喉に優しいからね。ちなみに私の友人のナレーター志望者は、バイクを運転中、ヘルメットの中で大声出して外郎売りをやっているのだそうだ。
台本の読み込みは、通勤や通学のための移動時間などにすればよい。徒歩による移動の場合は、全ての台詞をカセットに録音して、ウォークマンなどで聴くというのも手だ。台本をコピーして、トイレに貼っておくのもいい(以上、全て私が役者時代にやったこと……)。
と、こうやって具体的に書き出してみると、1日で3時間以上の練習時間をつくるのは難しいことでもなんでもないというのが、おわかりだろう。
問題は、時間の有無よりも、「やらねばならない」という強迫観念である。
この場合は、芝居のおもしろさを思い返せばいい。
練習はイヤイヤやっていたって、なーんにもならない。
「もっと発声がよくなれば、より良い芝居をできる!」「もっと滑舌がよくなれば、より良い芝居ができる!」「もっと台本を読み込み、解釈に磨きをかければ、より良い芝居ができる!」と考え、そうなった時の姿を想像する……
ねえ。ワクワクしてこない?
「いい発声だったから、舞台の隅々までよく台詞が聞こえたよ」
「いい滑舌だったから、台詞がきちんと聞き取れて、芝居に集中できたよ」
「そんな解釈があったんだね。いやぁ、よかったよ!」
……そう、言われることを想像したら、「グフフフゥ!」ってならないかな? あとは、それを現実とするために頑張ればいいだけのハナシ(妄想するだけじゃ駄目ってこと)。
他人の体力や発声や滑舌を羨ましがっているだけじゃ、絶対にプロにはなれないよ。
ねえねえ。芝居っておもしろいでしょ?
君が芝居のおもしろさを知っているなら、基礎を徹底するのは、練習時間をつくるのは、萎えた気持ちを奮い立たせるのは、けっして難しいことじゃないよ。
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☆29800アクセス突破! しょえー! 5月31日までに30000アクセスいく?
☆18期安達ジムの解釈訓練用テキスト決定。17期の『セイムタイム、ネクストイヤー』に続き、ストレートプレイの名作『奇跡の人』。が、ジムには「立ち稽古はやらない」という原則がある。でも、やるもんねー。ホン読みでヘレン・ケラーをやらせるのだ。だいじょうぶ、可能だよ。解釈に解釈を重ねた末に成り立った演技表現であれば、ね。あー、楽しみだなあ!(⌒-⌒)
世の中では、演出というとイバリンボだと思っている人が多い。
男の夢といったら、オーケストラの指揮者、野球監督、映画監督だという冗談もあるぐらいだ。
ある集団の頂点に立ち、思いのままに采配を振るう、そんなイメージなんだろうね。演出というのは。
実際には、そんなことないよ。
ここでも何回か言っているが、演出としての私は「役者が生み出すもの」を大事にしようと努めている。
たとえば、エチュード。
今のバンタン電脳声優科生や、勝田基礎科を数週間担当する時にはエチュードをやるのだが、「それじゃダメだ」とか「間違っている」なんて言ったことはない。
役者たちから出てきた表現から解釈を逆算した上で「そういうことをやりたいなら、こうすれば、もっと効果的だよ」と指示を出す。
たとえば、戯曲。
私が要求するのは「必然ある芝居」「根拠ある芝居」である。
だから、ジムでも選抜チームでも、いちばん最初に教えるのは、「戯曲の読み解き方=解釈術」からだ。
解釈に、唯一無二の正解はない。色々な解釈が出てきてかまわないのだが、それにしたって絞り込んでいけば、無数の解釈が存在するわけではない。
が、表現には、演じる役者それぞれによって、ありとあらゆる表現がある。
だから、私は、解釈が通ったなら、演技表現そのものには「違う」とか「間違えている」なんてことはいわない。
なにはともあれ、「やってごらん」という。「思った通りの効果が得られるか得られないかはやってみなければわからないよ。稽古でこそ、試してごらん」と。
私の評価の第1段階は「そういうことだよね」=解釈を間違えてはいない。でも、それなら誰にでも思いつくね。もっと色々と試してごらん。
第2段階が「それもアリだよね」=がんばって表現してるじゃない。だけど、それがベストの表現かな。もっと色々と試してごらん。
第3段階が「そうきたか。なるほどね」=その表現は思いもよらなかった。いいよ、いいよ。その調子でがんばってごらん。
そして、第4段階が「やりたかったんだよね」=試してみたい衝動を抑えきれなかったんだよな。いいよ、いいよ。その気持ちを大事にして表現しな。
みんな、うまくやろう、うまくやろうって意気込みすぎなんだよ。
君たちは下手くそで当たり前なんだ。
下手くそだからこそ、学校や養成所に通って、うまくなろうとしているんじゃないか。
だいたい、芝居を始めて10年やそこいらでうまく演技できるわけなんてないじゃん。
失敗の中にこそ、未来へのステップはあるんだよ。養成段階でこそ、失敗をしなくちゃいけないんだよ。
何度も何度も失敗しながら、より良い表現に近づけばいいだけのことなのである。
で、このことを、先日のマーク・トラビス監督のセミナーで、改めて思った。
私が連れて行ったアカリが、エチュードの最中に泣きを入れてしまったのだ。「私じゃうまくできません。他の人に代えてください」と。
ミスター・トラビスは悲しそうに顔を振った。
「キミはせっかくのチャンスを他人に譲ってしまうのかい? もったいないとは思わないのか? キミは女優になりたいんだろう。女優になれると思っているから、頑張ってるんだろう。女優になれないと思ったら、もう練習なんかできないはずじゃないか。
君がすべきは、毎朝、『私は女優になるんだ』と誓うことだよ。それを繰り返すんだ。
さあ、やってみよう。失敗かどうかを判断するのはボクだ。演出は、キミの手助けをするためにいるんだということを忘れないでくれたまえ」
アカリは勝田を中退した子である。
役者のタイプとしては、リョーコにひじょうに似ている。考えに考えて、納得しなければ芝居をできない。ただし、納得したならば、素晴らしい集中力で芝居をする。
で、精神的に脆い。かなり打たれ弱い。せっかく良い芝居をしているのに、自信がないから、失敗するのがコワイから、表現が萎縮してしまう。
私はウリボーのように特攻精神で芝居をする役者も好きなら、アカリやリョーコみたいに練りに練り上げていく役者も好きだ。
だから、アカリについては、勝田在学中からなんとかフォローをしてあげようと思っていた。
だが、あと半年頑張れば、安達ジムでなんとかしてあげられるというところで、アカリは勝田を辞めてしまったのである。
で、たまたま今回、ミスター・トラビスのセミナーに呼んでみたのだった。
ミスター・トラビスなら、次の一歩を踏み出せないでいるアカリに、なにかしらのキッカケを与えてくれるんじゃないか、と思ってのことである。
結果は、大成功だ。
ブロードウェイにおいて21の賞をとった演出家であり、ハリウッドにおいてはエミー賞までとった監督は、アカリを優しく導いてくれたのだった。
プロ演出は、俳優を縛らない、作品を私物化しない、俳優を私物化しない。
俳優自身が自律し自立することを望んでいる。
演出はなんのためにいるか?
君たちを助けるためにいるんだってことを忘れないでほしい。
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☆29700アクセス突破! 感謝感激、アメアラレです。(^-^)
☆近日中に、エモティオ主催によるトレーニングスポットの詳細と募集をアップします。
ひょんなことからエモティオのメンバーとプラスαをハリウッドの映画監督に会わせることになった。
マーク・トラビス監督……エール大学演劇科を卒業した後、演劇方面で21の賞をとり、映像方面でも『ファミリータイズ』などの人気TVシリーズに携わりエミー賞(世界最高峰のTV賞)を受賞。DGA(全米監督協会)においてプロの監督のためのセミナーや、UCLAでも講義するなど、ハリウッドにおいて最も尊敬されている監督のひとりである。その著書『ディレクターズ・ジャーニー』は、アメリカの監督志望者なら誰でも一度は読むというベストセラーにもなっている。
そのミスター・トラビスに、うちのナベ・コパ・リョーコ・マサヨサマ・ヘロミ・ウリボー・ちしゃ猫が、ディレクション(演出)を受けたのである。
これ、凄いことなんだよ、ホントに。
だいたい日本の俳優で、ハリウッド第1線級で活躍している監督に指導を受けた人なんて、100人もいないのが現実なんだから。
この話が来たとき、最初はバンタン電脳学院声優科の生徒たちはどうか、と聞かれた。
「ばっばっばっバカいってるんじゃないよっ! ミスター・トラビスといったら、ハリウッドでも偉大な監督のひとりとして尊敬されている方なんだよ。演劇人出身の監督として、アクターズ・メソッドをキチンと理解されているんだ。そんな方に修業を始めて2ヶ月足らずの子なんか会わせられるわけないだろお!」
実際、このセミナーそのものはバンタン映像映画学院の生徒のためのものなんだから、スジからいえば同じバンタン・グループの電脳声優科の生徒を連れて行くべきなんだろう。
が、このミスター・トラビスのセミナーの内容というのは、以前、佐藤善木さんから「監督と役者のコラボレーションを大事にする独特なスタイルだ」と聞いていた。
しかも、仕掛け人である……ってゆーか、日本でミスター・トラビスを招聘できるルートをもっているのは、たったひとり。その岡田さん(フィルム&メディア研究所代表)も知り合いで、「演劇出身の監督らしい演出をする」と聞いている。
無理なんだよね、修業を始めて数ヶ月の人じゃあね。舞台経験のないヤツを役者とは呼べないんだよ。ハリウッドだけではなく、ブロードウェイでも成功した演出家の前には出せない。
私の弟子たちは、監督講座の中の「俳優とのコラボレーション」で参加した。
ミスター・トラビスの前で、数時間前に渡された初見の台本をまずは1回読む。
その後、簡単なエチュードをやってみてから、もう一度、台本を読む。
たったこれだけなのだが、その十数分の間で、驚くほど集中力が増した。
私自身、これは勉強になったね。
最近、他人の演出現場を見ることってなかったからね。そりゃハリウッド第一線級の監督の演出なのだから勉強にならないはずないんだけどさ。
ミスター・トラビスは「グッド!」を連発してくれたが、「そりゃそうでしょ、ふふん♪」ってのが私の本音。
だって、日本の若い俳優の中で、3ACTストラクチャを基とした論理的な解釈術をもっているのは、私の弟子たちだけだもーん。
うちの連中も「勉強になりました。安達さんと同じこといってるから、混乱もしませんでしたし」だってよ。うひひ!
真面目な話、この体験はあいつらのためになったと思うよ。
私は文芸・演出として、自分の前でだけ通用する俳優なんてのには興味がない。
プロ俳優であるかぎり、プロ演出の期待に応えられるだけの性能をもつべきだと考えている。誰の前でも能力を発揮できること、それこそがプロ俳優というものだ。
それは身体能力はもちろんのこと、思考力としての解釈力、全てを駆使した表現力だって含まれる。
それにしてもさ、私の俳優の弟子たちはシナリオ・メソッドやドラマツルギーをきちんと理解しているってぇのに、
俳優をコントロールする立場である作家や演出を志望してるってのに、それらを理解できない連中ってのは、なんなんだろうね、ったく。
セミナーに参加していたバンタン映像生のうち、まじめに質問していた子を、休み時間につかまえてアドバイスをした。
「キミさ、自分の考えやセンスに固執してばかりじゃダメだよ。
キミのやり方ってのは、自分と同等か、自分より能力が下の連中をまとめあげていく時には有効だよ。
でも、プロの現場ってのは、キミよりはるかに優秀なクリエイターたちが大勢集まっているんだ。その中で我執にこだわっていたら、『ふざけんな、ガキ!』って締め上げられるのがオチだぜ。
プロってのは、お互いを信頼しあって、作品の成立のために、個々が能力全開できることが基本なんだ。
だからこそ、50年以上修業を続けているベテラン俳優や、その道一筋ウン十年っていうスタッフの力を借りられるんじゃないか。
演出や監督ってのは、プロの力をまとめあげるコンダクター(指揮者)なんだよ。独裁者でもなければ、神様でもない。我々クリエイターが仕えるのは作品だということを忘れちゃいけないよ」
さて、そのセミナー、今日は2日目である。
今日もたっぷりと勉強させて貰おうっと。ハリウッドでも一流と目され、ブロードウェイをも席巻した演出術を、たっぷりと盗ませてもらいますぜ、ミスター・トラビス。
で、そのあとはミスター・トラビスを囲んでのお食事会だもんねー。
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☆29500アクセス突破! もしかして、5月中に30000アクセス?
☆あー、月曜に取材があるー。髪の毛切りたいぃ。やばいなあ、ホント。
安達ジムとは、勝田声優学院研究科生(2年生)の希望者のみを対象とした「基礎のためのジム」である。
基礎科(1年生)の時に教わったはずの発声・滑舌をもう一度やり直し、私の編み出した解釈術を指導する。
16期が研究科だった時から始めて今年で3年目。毎年ひじょうにおもしろい「現象」がみられる。
16期の時は、解釈の意味がわかってきたウリボーがブレイクし、第1段階「そういうことだよね」、第2段階「それもアリだよね」、第3段階「そうきたか」から、「……やりたかったんだよな」というレベルの表現をみせるようになった。
17期の時は、ちしゃ猫とエミコが体練でブレイク。小さくてか弱い女の子ふたりが、でかい図体の男どもを根性で吹っ飛ばし、ふたりの意地の張り合いによって記録更新をし続けたのである。
そして、今日は18期安達ジム『体練の日』第1回であった。
声優志望者諸君は、私のそばにいる生徒たちのレベルが気になるだろうと思う。
では、今回のジムにおける成果を、具体的に数字で示してみよう。
男子の平均は、上部腹筋運動計75回、下部腹筋運動75回、腕立て伏せ45回、背筋150回。
女子の平均は、上部腹筋運動計60回、下部腹筋運動60回、腕立て伏せ20回、背筋120回。
文句なし第1位は、…ウリボー、アダトモ、ヤッチャン、ゴー。
上部腹筋運動計160回、下部腹筋運動160回、腕立て伏せ80回、背筋320回。
この4人は、約90分間を動きっぱなしだった。時間がなくなったので終了したが、まだまだできただろうね。
ゴーなんかは、女子であるウリボーとアダトモに負けるまいと「男の意地」をかけてやってた。本人が言ってたもん。「こんなにやったのは生まれて初めてです」ってさ(笑)。
驚くべきは、ウリボー以外の生徒は、芝居を始めて1年足らずということである。
1年とチョットの初心者であっても、これぐらいの体力をつけることはけっして不可能じゃないんだよ。
ちなみにバンタン電脳声優科の生徒たちも、勉強を始めて2ヶ月しか経ってないけれど、ほぼ同じレベルの体練についていけるよ。こないだ、エモティオの練習にバンタン生を3人連れていったんだよ。で、やらしてみたら、3人ともシッカリついていってたもんね。
……ハイ。では、他の養成所や学校に通う声優志望者諸君。キミたちはどれぐらいいくかな?
ってゆーかさあ〜、役者を名乗る以上は、90分間をフルに動き続けられるだけの体力をもっていて、しかるべきじゃないの?
そもそも、これぐらいの体力がなけりゃあ、腹式呼吸による発声なんてぇのは不可能なんだよ。
いつも、言ってるじゃないの。声優志望者の9割は発声が駄目だって。そりゃそうだよ。3年も5年も修業していたって、今のジム平均レベルにさえ達していない連中ばっかりなんだもん。そんな連中が腹式呼吸による発声なんてできるわけがないじゃないの。
ちなみに私が望むレベルってのは、上部腹筋300回、下部腹筋300回、腕立て伏せ200回、背筋600回、ハーフスクワット200回、立位前屈+20センチ。
つまり、150分近く動きっぱなしでもヘタらない身体ってことだ。このレベルへ、あと半年でジム参加者全員を到達させようと思っている。
普通ならこの数字を見ただけで「絶対に不可能だ」と思うだろう。だって、上部と下部に分けているとはいえ、腹筋だけで600回やるってことだからね。
でも、けっして不可能なんかじゃないよ。ちゃーんと毎日やれば。
どれもこれも全くできない人であっても、1日1回ずつ増やしていけば、どれも180回できるようになるじゃないの。
今までやってきた人だったら、今の数値に180回は増えるって計算じゃん。
さっ! ひとつの「基準」は、これで示した。あとは、各自でやってください。
やるも、やらないも、自分の勝手。
ただ、覚えておきなよ。キミがやらない間に、やっている連中がいるってことを。
そして、身体トレーニングの専門家である君塚さんが教えるバンタン電脳声優科生は、私の示すレベルを1年以内にクリアーすること間違いナシってことをね。
そうそう。安心材料をひとつあげるよ。名門・勝田といえど、私のそばにいない生徒は、ここまでの身体能力はないから。
前にも書いたでしょ? ゼミ科17期(3年生)、勝田生全員における身体能力ナンバーワンはエミコだって。
小さくて華奢なエミコに身体能力で追い抜かれても、悔しくもなんともない腑抜けが大半ってことよ。
エミコと同等、またはエミコのすぐ後にいるのは、これまた小さくて華奢なちしゃ猫ってところが嘲っちまうところなんだがねえ。
エミコ、ちしゃ猫に続くのは、ウリボー、アダトモ、ヤッチャン、ゴー、ルンバってところかねえ。
身体能力上位10人のうち、過半数を小さくて可愛い女の子たちが占めるのが現実なんだよ。
よかったねえ。お仲間が増えたじゃん。消え行く運命の9割クンたち。
どうぞ、勝田の腑抜け組といっしょに堕ちてくれ。
私にはゼーンゼン関係ないから。
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☆29300アクセス突破! オープン1周年記念前に30000アクセスいきそうだなあ。わーい、わーい!
☆お手玉外郎売り、バンタン電脳声優科生全員クリアーに続き、エモティオも全員クリアー秒読み開始。選抜チーム、安達ジムも本格的に開始。他の学校や養成所に通う志望者もやってみそ〜♪
☆これを読んでる、私のそばにいない17期、いるか? おめぇら、いいかげんに目を醒ましやがれよ。授業前の30分をおしゃべりタイムにするような取り組み姿勢じゃ、18期や19期の前に、バンタン電脳声優科生の踏み台にされるぞ。情けないったら、ありゃしねぇなぁ、ホント
先々週、先週の2週間、勝田19期基礎科を指導してきた。
第1週目は、身体訓練、立ち方、発声。
第2週目は、発声、ラ行と鼻濁音の滑舌。 いやぁぁぁぁ、疲れたわぁぁぁぁ……
19期全体の印象は「ジンクス破りなるか?」。
勝田には「奇数期は優秀、偶数期はダメ」というジンクスがある。私が在籍していた十数年前にはなかったのだが、いつのまにやら、成立(?)していたらしい。
実際、私が指導した時から見ても、14期○、15期×、16期◎、17期△、18期○……って感じだ。
一口に、レベルが高い、レベルが低いというが、その差はなにか?
「意識の差」でしかないんだよね。
高い技術は、高い意識のもとにしかありえない。
意識が高いから、基礎技術の習得から一所懸命にがんばれる。基礎技術がしっかりしなければ、その先の応用はありえない。
ただ、それだけのこと。
16期が在学中に15期を「先輩越え」できた理由は簡単、意識の差でしかないんだよ。高い意識をもった一握りの連中が、周囲を揺り動かしたのである。
今の調子でいくと、17期の9割は18期のトップクラスの「踏み台」になるしかないだろうね。せっかく講義の30分前から教室に入れるってぇのに、発声練習もしないでベチャベチャおしゃべりしてるゼミ科生(3年生)なんぞ、吹っ飛ばされるのが必然だよ。
19期に話を戻そう。
19期は、まるで体育会系ノリなのである。特にAクラスなんぞは「ハイッ! ハイッ!」の連続だから、体育会を通り越して自衛隊のようなノリなのである。
最初の授業で「なんなんだ、いったい?」と思ってたら、ずいぶんと見た顔がいる。「もしかして?」と思って質問してみると、全体の半数近くがウィンタースクール経験者なんだよなあ。
つまり、私の講義を受けたことのある連中なのである。あちゃー。(でも、私は兵隊になれ、なんて言ってないぞお)
先週、声楽講師の松下美由紀ちゃんとも言ってたんだよねえ。「今年の基礎科は元気はいいよねー」「うんうん。すごいよねー」「でも、返事は立派だけど、どこまでわかってるのかねー」って。
が、確実にいえることはひとつ。
今の気合いを維持し続けられるのであれば、基礎科の1年で、ゼミ科(3年)17期の8割なら追い越せるよ。研究科(2年)18期は、1年で平均より下の5割なら追い越せる。
ただし、気合いを維持し続けられれば、って条件つきだけどね。つまり、それを可能なのは、19期の1〜2割ってこと。残りの8割以上の19期は、いつもながらの勝田のレベルでしかないってこと。
ここらへん、私はずいぶんとドライになったよ。
実は、私は19期のレベルが低いと思った。特に、女子のレベルが低い。たかが発声練習で貧血を起こしちゃうのが3人もいるんだものなあ。
声優志望者というのは、全般的に身体能力が低い。まあ、ほとんどが運動経験のないアニメ・ファンや声優ファンだからねえ。それにしたって、発声練習で倒れるかよ、ヲイ。生まれて初めて見たよ、発声練習で倒れちゃうヤツなんて。
まあ、人間になるためのプログラムは与えておいたから、あとは自分で「人間になりたぁぁぁい!」(by妖怪人間ベム)と頑張ればいいだけのことだね。
でも、2週間が終わって、バンタン電脳声優科の講義をやってから、フト、気付いたんだ。
私が基礎科相手にやる講義は17期から始まったんだけど、17期より18期、18期より19期の方が確実に内容が濃くなっているのである。17期の時より、確実に3割増しの内容になっているな。
今の私の基礎科相手の講義は、フヌケと化した17期の半数以上はついてこられないだろうね。
ってぇことは、だ。19期のレベルは、いつもの勝田と変わらない。いや、気合いが入っている分だけ、19期は優秀だといってもいいかもしれない。
ただし、19期諸君。おまえらのすぐ上には、17期よりはるかに優秀な18期がいるのを忘れるなよ。
17期を超えたって、んなもん、先輩越えにはならねぇんだよ。17期の平均レベルは、3年目の志望者としてはレベルが低すぎる。18期を越えてこその先輩越えだってことを忘れないように。
8月になったら、私のそばにいる勝田OB・17期・18期、そして、バンタン電脳声優科といっしょに、19期も合同練習会をやってみようか?
午前中は体練と体力測定、午後は発声練習と発声チェック、滑舌チェック、そしてエチュード・チェック。半日がかりの練習会だ。
これには他の養成所に通ってる人も来ていいよ。「道場破り」大歓迎。私の目の前でその実力とやらを披露すればいい。ぜひぜひ、来てちょーだい。儲けも利益もナシ、参加費用は1000円以内におさめる。
で、どうか、私の愛弟子、弟子、生徒たちと、張り合ってくださいな。
私はヒイキだけで評価なんかしないよ、絶対に。どこの養成所にいたって、どこの専門学校にいたって、優秀な能力は優秀だと認める。後輩であり、教え子である勝田生にしたって、意識が低いヤツなんぞは見向きもしないんだから。私のモットーは「下克上上等!」なんだよ。
それは勝田の内外なんぞカンケーない。
勝田OB及び勝田在学生は、名門・勝田の誇りを守りぬけよ。私に見放された勝田在学生は、私の視界に戻ってくるチャンスでもあるね。
バンタン電脳声優科生は、君塚先生、田中先生、ムーンライト幹部たちに教えを受けた生徒として、自分の実力がどれほどのレベルに達したかを試すいいチャンスだ。
他の養成所や専門学校在学生は、名門・勝田のレベルを肌で感じる機会だし、私が育てる生徒たちのレベルを知るいいチャンスだよ。
さあ、おもしろくなってきやがったなあ。声優志望者の一部に蔓延するダーティーな考えを吹き飛ばしてやろうじゃないか。
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☆29000アクセス突破! な、なんか、すごい勢いだぞ、をい。(^^;
☆精神面、徐々に回復中。身体面は、もうちょっとかな?(笑)
こないだ、友人から「なんで、教えてるの?」という質問を受けた。
その友人も指導者をやっているのだが、最近、自分はなぜ教えているのかが、よくわからなくなってきたそうなのである。
で、考えた。
私は、なぜ、指導者なんてもんをやっているのであろうか?
そもそものきっかけは、新人や若手声優のあまりものレベルの低さだった。
滑舌はおろか、発声すら満足にできやしないスットコドッコイが「声優でござい」と、私が寝食を惜しんで書いたホンに出演するのが耐えられなかった。
解釈以前の問題だからね、発声と滑舌は。プロなら当たり前のレベルにすら達していない声優モドキに、なんだって私の書いたシナリオをやらせにゃならんのじゃいといきりたったのが、私に勝田へ足を運ばせた最大の理由だった。
ヘッポコ若手声優に出演させるぐらいなら、母校の後輩の方がよっぽどレベルが高いわい、と……
かって、勝田では、在学中のデビューやオーディションが珍しくなかった。私も在学中にデビューしたし、プロダクション所属をした。その伝統が残っていると思ったら……
勝田先生に選んでもらった優秀な生徒たち(当時14期生)を前にして、私は唖然としちゃったよ。発声ダメ、滑舌ダメ、鼻濁音ダメ、無声音ダメな連中がゴロゴロとしていたのである。解釈力にいたっては、片鱗すら伺えなかったね。
どいつもこいつもが、根拠のない芝居をして、所内発表に血道を上げ、基礎をないがしろにしていたのだ。
で、怒り狂った私は、まずは14期の選抜チームから指導を始め、15・16期対象の特別講義をし、16期からは安達ジムを開催し、17期からは発声と滑舌の基礎を教え……とやっているうちに、いつのまにやら、指導の世界にドップリと浸かってしまっていたというのが真相なのである。
まあ、きっかけはともかく、だ。
なんで、指導をするのかといえば、私の大儀とは「業界の宝たる新人を育てたい」だ。これを私は「業界正常化計画」と呼んでいる。
現場という下流にいたんじゃ、「いつの日か現れるであろう優秀な新人」を待っているしかないんだよね。
しかも、間にプロダクションやマネージャーの思惑ってのが介入するのが困りもの。現場の都合なんぞおかまいなしだもん、プロダクションやマネージャーは。結果として、「田作の歯ぎしり」でしかないんだよ。
だったら、現場の要望というやつを上流にまで持っていってやれ、と。現場のクリエイターとして、「これぐらいの能力は絶対に身につけてから、現場に来い!」という本音こそが、私のカリキュラムの根幹となっているのである。
養成が、楽しいか、楽しくないか?
まあ、楽しいんだろうなあ。真面目なヤツに教えている時はね。
が、実際には、名門・勝田といえど、ゼミ科(3年)ともなると、8〜9割が腑抜けになっちゃっているからなあ。
基礎をないがしろにして、オテテつないで仲良しゴッコ、コラボレーションと馴れ合いをごっちゃにして青春の思い出づくりに浸っちゃってるバカは、視界に入るだけで不愉快になっちまう。
今、19期基礎科にはハリセンをもって授業に出ているけど、研究科・ゼミ科になっても基礎がボロボロなバカを見ると、日本刀(真剣)で唐竹割りにしてやりたいね。
正直に言ってしまえば、私は何度も養成をやめようと思った。
バカな在校生が根も葉もない噂を流す度に「辞めてやる!」と癇癪を起こしていたのは、みちるや、ナベ、コパ、リョーコ、マサヨサマ、ヘロミ、ウリボーらが、よーく知っている。
で、上記の連中が何度も何度もなだめてくれ、私の目の前でイイ芝居をやることによって機嫌を直し続けてくれたのだよ。
私自身、いつまで養成を続けるのかは、わからない。つい、最近までご機嫌最悪モードだったしね。
今はかなり改善されたけど、次にご機嫌最悪になったらわからないな。今度こそ養成だの指導者なんてもんは辞めてしまうかもしれない。
声優養成の講師なんて、ホント、儲からないんだから。精神的にも、身体的にも、すっげー疲れるんだから。ゼーンゼン割に合わないよ。
じゃあ、なんで、講師なんてもんをやっていられるかと問われれば、そりゃ生徒のためだよ。
ジャンルは違うが、同い年の指導者仲間である君塚さんとよく話しているのは、「目の前にいる生徒だけは裏切れないよね」ってこと。
目の前にいなけりゃ、どうでもいいんだよね。んなもん、好き勝手にやってくれていいよ。カンケーないからさ。
目の前にいないってことは、その指導者にはついていけないって意思表示だとしか思ってないからさ。どうぞ、ご勝手に、って感じ。
だけど、たとえドン臭かろうがなんだろうが、目の前で涙と汗でグチャグチャになりながらやってる生徒を見たら、ギャラなんて無関係にやっちまうしかないわけよ。
そんなヤツ相手なら、私でやってあげられることだったら、やってあげたくなるのは当然じゃないの。
私は、自分の指導が厳しいと自覚してる。
授業そのものは笑いが絶えないようにしているけれど、私が求めてるレベルはそんじょそこいらの声優志望者では、まず、ついてこられない。
でもさ、それでも真面目に、真剣にやっていたら、ほだされてしまうのが人情ってものなんだよね。それで1センチでも1ミリでも進歩していたら、認めざるを得ないんだよ。
口先だけで「頑張ります!」なんて、んなもん、すぐに見抜くってんだよ。ちゃんと真面目にやっているかどうかなんてもん、すぐにわかるんだよ。
厳しい要求をしてると自覚しているんだから、生徒が頑張ってくれているかどうかをしっかりと見てあげようって努力してるつもりなんだよね、私は。
多分、私が声優養成から手を引くことになったら、それは私を燃えさせてくれる生徒が1人もいなくなった時だろうね。
心の底から、本気で「あー、どいつもこいつもダメだわ」と思ったなら、私はサッサと養成から手を引く。
ちなみに私が作家志望者にアドヴァイスをしないのは、作家志望者全体に愛想を尽かしたからなんだよ。だって、どいつもこいつも営業ばっかで、実力を高めようって姿勢がないんだもん。
同じく声優志望者全体に愛想を尽かしたなら、私はすっぱりと指導から足を洗うよ。で、それまで私が育てた連中とまじめに芝居を追求していく。
最後の最後は、気持ちだよ。
根性のあるヤツ、気合いの入っているヤツと、いっしょに良い作品を創っていきたいんだ。
根性と気合いがあったら、良い役者になれるに違いないもん。
気持ちいいじゃん、そーゆーヤツといっしょに頑張るのってさ。
ただ、それだけだろうね。
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☆28300アクセス突破! さんきゅ♪
☆勝田19期基礎科Aクラスは、かなりキツくやっちまったなあ。だって、あいつら、元気なんだもん。これぐらいやっちゃえ、って。うーん。Bクラスからは、もうちょい、甘くするかな。(^^;
先日、勝田生のウリボーを連れて、バンタン電脳情報学院声優科の講義に行った。ちょっと意見を聞かせてもらいたいと思ってさ。
バンタン電脳では、私は全体のカリキュラムを構成し、体練・発声・滑舌の講師を集めたあとは、演技の講義だけに集中している。
通常、他で教える時には、私が、体練も発声も滑舌もやってから演技を教えるのだが、
バンタンでは、3時間の講義を丸ごと全て演技だけに集中してやっているというわけだ。
で、今は、1〜3分のフリートーク、ストレートナレーション、エチュードをやっている。
ウリボーいわく……「エチュードだけに関しては、勝田のゼミ科(3年生)より優秀ですよ」
ふむ。これはまあ、褒めすぎだろう。だが、話半分にしても、研究科(2年生)のレベルには達しているということだな、とほくそ笑んでしまった。
こと、舞台作法に関しては、前回の合宿でも、ちしゃ猫も同じ事を言っていたからね。
私がバンタン電脳声優科の立ち上げにあたって、「こーゆーのをやりたい!」といった目標には、今のところ、順調に近づきつつあるってことだね。えっへっへ!
声優を促成栽培しようと思って、アテレコやアフレコばっかりやっている学校はひじょうに多い。
けっこういるよね。マイクワークだけなら、プロ顔負けって志望者。でも、マイクワークなんてもんは、慣れと反射神経でしかないわけ。芝居じゃないんだよ。
そりゃ、マイク前でしか教えられない技術ってのも確かにある。でも、それって10時間もかけずに教えられるようなものでしかないんだよ。
が、芝居ってのは違う。3年や5年でどうにかなるようなものじゃない。プロ俳優として飯を食っていても、俳優を名乗る限りは一生が修業だ。俳優歴50年のベテランといったら、そのまんま修業歴50年ってことになるのだ。
そんな長い俳優修業を歩き続けていく上で、いちばん大事なことはなんだろう?
私はバンタン電脳声優科のカリキュラムを考えている最中、深く自問自答した。
で、結局はいつものとおり、「基礎の徹底」しかなかったんだよね。
じゃあ、その基礎ってなんだろう。
身体訓練、発声、滑舌……
「じゃあ、純粋に演技の基礎とは?」と考え続けた末に辿り着いたのは、エモーションとエチュードの徹底だった。
これは野沢雅子さんから学んだことだった。
勝田声優学院ゼミ科(3年)において、野沢さんは発声・滑舌、そしてエチュードを徹底する。
基礎科(1年)では、30分、60分の戯曲発表をやり、研究科(2年)では、120分以上の戯曲発表をやった生徒たちにしてみると、「なんで今さら……」というぐらい、基礎に立ち返る。
が、俳優だった頃の自分を振り返ったとき、そして、文芸・演出となった自分を振り返ったとき、このエチュードの徹底がどれほど役に立ったことか。
短い、本当に短いエチュードの中で、考えに考え抜いて、思いに思い抜いて、集中して表現すること。
これこそが演技の基本というものだ。
そこで私は、バンタン電脳声優科において、1学期に相当する4〜7月まではエチュードをメインに据えることにした。
みんな、いったいどれほどエチュードをやったことだろう。
自分が前に出ているときだけが勉強じゃない。他の生徒が前に出ているときも勉強だ。毎週土曜のスタートダッシュセミナー、合宿まで含めると、優に50時間以上もエモーションとエチュードだけをやっている。
今までの私の経験では、このエモーションとエチュードの訓練不足が、あとあとの舞台でネックになっていた。
本来なら、エモーションとエチュードで教えるべき舞台作法ことを、戯曲になってから教えねばならない。すると、ほとんどの生徒は機械的に演技しようとする。いわば「演出のいいなり」状態になってしまうのだ。
バンタン生たちは、あと30時間はエモーションとエチュードをやる。その間に体練・発声・滑舌も、各講師のもとで着実に成長することだろう。
夏以降の戯曲が楽しみだなあ。うんうん。
私の後輩である勝田生たちに告ぐ。
おまえら、名門・勝田の生徒ってことだけで安心なんかするんじゃないよ。
勝田の外にこそ、真のライバルは存在するんだよ。勝田の内で、人間関係調整やってるのを俳優修業だなんて思ってちゃダメ。
ハッキリいっちゃえば、バンタン生には、勝田声優学院の入試さえ通らないような生徒もいる。よしんば入れたとしても、もう、やめちゃっているかもしれないね。
が、何度も言っている通り、プロ俳優は生まれついての才能だけでなれるものじゃないんだ。
鍛えに鍛えぬかれた末にこそ、俳優は生まれる。練習の繰り返し以外に、俳優を生むプロセスなんてものはどこにもないんだ。
プロの芝居を勉強しはじめて、たかが数年で、たかがクラスの中で、たかが同期の中で、たかがひとつの学校や養成所の内部で、「私はイケてる」だって?
冗談はヨシコさん。ちゃんちゃらオカシイんだよ、そんな戯言はさ。
これは勝田生だけじゃない。バンタン生にも、他の学校や養成所に通う生徒たちにも言っておきたい。
いつも、真面目に、真剣にやろうな。
厳しさの中でしか得られない快感ってのがあるんだよ、この世には。
それを知っている人間しか、プロにはなれないんだ。
騙されたと思って、やってごらん。
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☆28000アクセス突破! さんきゅ♪ この調子でいくと、6月23日のオープン1周年で30000アクセスいくなあ。
☆勝田声優学院、バンタン電脳情報学院の問い合わせが多いので、近日中に学校概要をアップしておきます。とゆーわけで、私個人への問い合わせメールはカンベンしてね。(^^;
あまりにも驚いて、メーリングリストにも流してしまったのだが、昨日、すっげーもんを見せてもらった。
君塚さんの指導するチア・リーディング・チーム“リトルキッス”の練習を見せてもらったのだが、こりゃもう、半端じゃなくレベルが高いのだ。
最年少は3歳。まだ、おしめをしている。なのに、踊るんだよ!
この踊るってのは、ただテキトーに身体を動かしてるなんてもんじゃない。ちゃんとリズムに合わせてサイドステップを踏むんだよ、幼稚園児が。
小学1年ともなれば、スクエアステップを踏むし、キッキングもフレックスもやる。
無論、上半身だって、ちゃんと動いているよ。小学4年の子なんか、キレのいいスパッとした動きを見せてくれるもんだから、思わず見とれてしまった。
……って、この驚きがわかるかな?
以前、君塚さんに一度でも教わったことがあるなら、その時に「これは幼稚園のレベルだよ」といわれただろう。
マジで、そうなの! 前回のフィジカルトレーニングセミナーであったり、勝田で私の代理でやってもらった時であったりにやったダンスなんてのは、ホントに幼稚園児のレベルだったのだ。
リトルキッスの小学4年や5年ともなったら、まず、声優志望者のうち、ダンスで勝てる奴なんかいないね。 ほとんどの声優志望者は、リトルキッスの小学2年にも勝てやしない。断言するよ。賭けたっていい。
嘘や大袈裟だと思うなら、JAROにいう前に見学してみろって。
私は今までに色んなダンスを観てきた。付き合いだのなんだのでね。今まで日本人のダンスチームで驚かされたことなんて、ほとんど記憶にないんだ。でも、リトルキッスにゃ驚いた。
デレデレダラダラやってやがるフヌケ声優志望者に芝居を教えるなら、リトルキッスの小学生を教えた方が、よっぽど短時間で、かつ優秀な役者に育つこと間違いなし。日本の俳優養成はどうなってるんだって、暗い気分になっちまったよ。
リトルキッスの子たちだったら、3年もあればプロ俳優のレベルに余裕で到達させられるよ。
そして、考えさせられたといえば、子どもたちのレッスンへの取り組み姿勢だ。
さすがに幼稚園児は、まだまだ幼児である。ワケワカラン言動と行動のカタマリみたいなものだ。ちょっとしたことで集中が切れ、すぐにワーワーと騒ぐ。
でも、本当に楽しそうなんだよ、レッスンが。
新しいことを教わるのが、その教わったことを表現することの楽しくってしょうがないってのが、全身から溢れかえっている。
小学2年ともなると、挨拶だって礼儀だってビッとしてる。そんじょそこらの声優志望者なんざ、比べものにならんよ。
リトルキッスでは、やってる年数とか、今の年齢なんてもんは一切関係ない。
上手であれば、小学2年で上から2番目のクラスで小学6年や中学生とレッスンするし、
小学6年でも、下手だったら小学1年とか幼稚園児といっしょにレッスンする。
で、上のクラスにあがるため、自宅で練習に練習を重ねて、君塚さんのレッスン日にはその成果を見せることを繰り返し続ける。
なんて、違いなんだろう!
声優志望者の多くは、ちょいと叱られた程度で、すぐにスネるし、イジケるんだよな。そんでもって、負け犬街道まっしぐら。
自分の練習不足を棚に挙げ、やれ、不公平だのなんだのとブーたれて努力を放棄する。(ってゆーか、そもそも努力と呼べるほどの努力なんてしてないんだけどね、ほとんどの連中は)
そういう言動や行動ってのは、リトルキッスの幼稚園児や小学生にも劣るんだよ。だから、志望者のほとんどは自滅するんだ。
きっとリトルキッスの子たちは、踊ることが楽しくて楽しくてしょうがないんだと思う。将来、プロになろうとか、そんな遠い未来のことなんて一切考えてないだろうね。
なのに、プロ俳優として身を立てようとしている諸君よりも、よっぽど立派な姿勢で取り組んでいるし、比べ物にならないほど優れた身体能力をもっているんだ。
ねえ、恥ずかしくない?
私がまだ現役の俳優だったら、恥ずかしくて、悔しくて、泣いちゃうよ、この年齢であったとしても。
幼稚園児や小学生に負けるんだぞ? なのに、恥ずかしくないんだとしたら、そりゃもう、精神が腐れきっているってことだよ。そんな奴がプロを目指すだって? ちゃんちゃらおかしくて、ヘソが茶を沸かしちまうぜ。
せめて、取り組み姿勢だけでもリトルキッスの幼稚園児や小学生に負けるなよ。身体能力でリトルキッスの子たちに勝つのは、ほぼ不可能だからさ。
君たちのいう「芝居が好き」ってのは、ストレス解消とか目立とう精神の充足って程度のレベルでしかない。
もっと真剣に芝居を好きになってみなよ。本当に芝居が好きなら、そのための基礎訓練なんて苦しくも辛くもないんだよ。
一部では「しごきまくる熱血勘違い講師」なんて揶揄されている私だが、私の求めているレベルは、リトルキッスの幼稚園児や小学生でしかないんだよ。
リトルキッスの幼稚園児や小学生のレベルにまで達してくれたなら、私がガーガーと言う必要なんてもん一切ないわけ。
幼稚園児や小学生のレベルにも達してない連中がプロだって? はぁーあ、もう。
ホント、嫌になっちゃうね。口先だけのグータラ声優志望者には。まったくもって恥知らずだよな、どいつもこいつも。
今日から勝田基礎科を2週間指導するんだけど、まずはリトルキッスの幼稚園児や小学校低学年と、精神面ぐらいは肩を並べられることを目標にしようっと。
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☆27000アクセス突破! さんきゅ♪
☆さーて、今日から勝田の基礎科だ。ちょっとは気合いの入ってる奴はいるかな? わくわく♪