2000/3/27 (月) ■■■ お知らせ(緊急) ■■■
ここ数日、私の使用しているメルアドのひとつに、悪質なスパム・メール及び危険度の高い迷惑メールが頻繁に送られてきております。
そのため、緊急手段として掲示板と旧チャットを閉鎖しました。(*新しいチャットの方は生きています)
ご利用いただいている皆さんには御不便をお掛けしますが、近日中に新たな掲示板を御用意するまでお待ち下さい。
また、当初よりホームページ上で申し上げていた通り、原則として仕事関係以外のメールにはお返事を約束できません。
見知らぬ方からのメール、発信者氏名が不明確なメール、ネット上で取得できるフリーメール・アドレスからのメール、その他不審と思われるメールは、全てを開きもしないで削除の対象とします。
テキスト・ファイル以外のメール(HTML形式、その他添付ファイル)についても、同様の処分としますので、メールをくださる場合はメール・ソフトの設定を今一度御確認下さい。
*** なお、これ以上、酷い迷惑を被った場合、このホームページは予告なく閉鎖いたしますことを御了承下さい。***
2000/3/22 (水) ■■■ 社会人の礼儀というもの ■■■
今回は、俳優・声優としての話ではなく、社会人の常識というやつについて話してみる。
HP上でも、実生活の中でも、私は「行儀良くしろ」「礼儀正しくしろ」「仁義をわきまえろ」と口喧しい。
で、本日というか昨日、久々に礼儀の問題ではらわたが煮えくり返った。
とはいっても、生徒や弟子相手ではない。
25歳は超えているだろう立派な会社員であり、それも仕事で付き合っている相手に、だ。
初対面の時から、私は彼にあまり良い印象を持っていなかった。
相づちというのがある。これは「貴方のお話をきちんと聞いていますよ」というサインであり、「ここまでのお話はきちんと理解していますから、このままでお続け下さい」という意思表示である。
日本人は欧米人に比べ、この相づちが苦手な人が多い。多くの日本人は、わかっているのか、わかっていないのか、ムッツリと黙ったまま、ただ静かに聞いている。
が、だからといって、相づちはただ打てばいいというものでもない。
あまりに頻繁に「はい、はい、はい」とやっていると、相手は急かされているような嫌な気分になる。
また、人間は、耳から入ってきた言葉をきちんと頭の中に入れて整理しなければ、納得という行動にはつながらない。
つまり、整理と納得のプロセスがなければ、相づちとしての「はい、はい、はい」は出てこないわけだ。
なのに、相づちがポンポンと出て来ると、「こいつ、本当にわかってるのか?」と疑問を抱いてしまう。
そして、この「はい、はい、はい、はい」という時のイントネーションも重要である。
本当に相手の言葉をよく理解しながら聞いているのであれば、その言葉による精神作用によって、ひとつひとつの「はい」が微妙に違ったイントネーションで発せられるはずなのだ(プロの音響監督の耳をナメちゃいけないよ♪)。
なのに、ほとんど同じトーンで「はい、はい、はい」と相づちされたならば、それは「ただ、機械的に相づちを打っているだけ」ということになる。
彼は初対面の時から「はい、はい、はい」と機械的な相づちを連発していた。これが私にはひじょうに気になっていたのだが、まあ、あまりうるさくいってもなんだろうと、黙っていた。
そして、今日、その彼と仕事の用件で電話していた時のことだ。
こちらに不利な条件を申し立てるので「そりゃないでしょ?」と不服を申し立てた。
彼は私の言い分に、またしても「はい、はい、はい」という機械的な相づち。
さすがにムッときて、「ねえ、さっきからさかんに相づち打っているけどさ、本当に理解しているの?」と言うと、「え?」と曖昧に電話口で笑う。
で、彼は自分の方の条件だけを言い立てるので、こちらも「おいおい、ちょっと待てよ」となった。
ある程度の規模を持った組織において、彼のような若者に決裁権などカケラも与えられていないのは百も承知だ。
が、ただ、用件を伝えるだけなら、それは九官鳥やオウムと変わらない。給料を貰って働いている大人の仕事とは呼べないね。
組織人として動いているのであれば、その組織の看板を背負っているつもりになって、より良い仕事をしようという意識がなくてはいけない。
良い仕事とはなにか? 内外との協力というものである。
自分の属する組織だけが絶対的に正しいわけではない。いや、時には、自分の属する組織が間違っていることを承知で、相手に条件を飲んで貰わねばならぬシーンもある。これは組織人として働いたことがある人なら、誰にでもわかる理屈だ。
ここでせねばならぬのは、説得という行為である。最終的には、相手に納得してもらうべく、相手の言い分を聞き届け、自分たちの都合を理解してもらい、最終的には「自分」を信じて貰うつもりで話し合うことだ。
が、彼は、ここでも私の怒りを煽ってくれた。契約書の契約条項を持ち出してきたのである。
その仕事は、こちらに断わるに断われない事情があった。
それを知ってか知らずか、彼は私に、まだ、なつ印もサインもしていない契約書をたてに服従を強制しようとしたのだ。
冗談じゃない。私だって、フリーとして自分の腕一本で生きてきた人間だ。社会に出て10年も経っていない青臭いサラリーマンにナメられる筋合いはない。
面と向かっての話し合いだったら、間違いなくキレてたね、私は。
が、とりあえず大爆発させるのは待って、私は彼に聞いた。
「君、いくつ?」
「……関係ないでしょ、それは」
「いくつかって聞いているんだよ」
「はぁ?」
はぁ? はぁだとぉ? ブッチィンッ!
「はぁじゃねぇんだよ、はぁじゃ! いいか、こっちはおまえと仕事をするにあたって、色んな人を紹介しなくちゃいけない。みんな、私の大事な人ばかりなんだよ。そういう人たちに、おまえみたいな礼儀知らずを引き合わせられるかってんだよ!」
彼、無言。
「おい! 返事しろ!」
「じゃ、そういうことで」
プツン。ツーツーツー……
このバカ、電話を切りやがったのだ!
その後、私は彼の上司に電話をかけた。
彼は、私より先に上司に報告の電話をしていた。私も、事の次第を説明した。
彼の上司は、私にきちんと謝ってくれた。が、私にしてみれば、その上司に謝って欲しいわけではない。
それに、彼の組織人としての立場でいえば、外部とのトラブルで上司に守ってもらえないのは辛かろう。せめて、上司だけは部下を守ってやってほしいものだ。
私は「いいんですよ、いいんですよ。今週中に彼と契約の件で会いますから、もう1回、話し合うつもりです。彼自身の口から、どういうつもりなのかを聞きたいですね、私は」と笑いながら答えた。
礼儀というのは、古めかしいルールなんていうものではない。
礼儀とは、相手に好意を伝えるという表現術なのである。
礼法が発達したのは武士社会だ。武士というのは、いつでも命のやりとりをするつもりで生きている。が、だからといって、つまらないことで、いちいち殺し合っていたら、いくら命があっても足りなくなる。
だから、「私はあなたに好意をもっていますよ。争うつもりはございませんよ」という意思を交換するため、つまり、無益な争いをなくすために武士社会では礼法が発達したのである。
人間は平等だ。人権は守らねばならない。そこに出身や性差、年齢による差別はあってはならない。
ならば、無礼は死語なのか?
違う。より良い仕事をやっていくため、より良い関係を結ぶためには、どんな時代であっても行儀・礼儀は大事なのだ。
さて、今回の件については、彼にも多大な言い分があるだろう。聞きますよ、私は。ええ。有り難く聞かせていただきますとも。
彼には、一方的に電話を切ったという事実に対する正当性を主張してほしい。この無礼の極致を、いかな日本語で説明するかについては、ひじょうに興味がある。
音声としての「ゴメンナサイ」「スミマセン」「モウシワケゴザイマセンデシタ」なんてのは通用しないよ。
彼は相づちを機械的にやる人間だからね。そんな人間の謝罪の言葉なんてもの、信用できるわけがないじゃないの。
徹底的に、論理的に話し合う。
若くて自信タップリな彼のことだ。山ほど言い分があることだろう。自慢の賢さを十二分に発揮して、一方的に電話を切って話し合いを拒絶した正当性ってものを証明してもらおうじゃないか。
私の目の前でキレるもんならキレてみやがれ。
相手が先にキレたんなら、私にだってキレる権利というものが発生する。
どうせ、喧嘩両成敗なのだ。結果として、こちらも責任をとらねばならぬのは必定。
だったら、やることだけはやらせてもらわないと気がすまないも〜ん!
うふふ♪ 楽しみだなあぁ!
2000/3/19 (日) ■■■ 金曜日はお疲れさま! ■■■
先週の金曜日は勝田声優学院 選抜チームの発表だった。これで16期体制における発表は最後になる。
いやぁ、色々とアクシデントがあった。
そりゃそうだよなあ。建て込みは当日の午前中、ゲネプロ1回こっきり、本番も1回だけ。これから先、これほど酷い条件で舞台をやるなんてことは、まず、ありえないだろうという劣悪さだった。
が、いいんだよ。それで。
仮建て込みしたことない装置を、当日にきちんと舞台上に成立させるなんて、今の時代じゃ、まず、経験できない。
会場で寸法をとるのだって、1ヶ月前にやっとだったもんなあ。
音響や照明もゲネプロで合わせただけ。いいの、いいの、これだって。音響や照明を観てもらうわけじゃないんだから。
とゆーわけで、本番中に起きたアクシデントから、ちょいとした教訓というやつを披露しよう。
まず、舞台に絶対はない。
必ずアクシデントがある。
カツラがズレたり、靴が脱げたり、まあ、ありとあらゆるアクシデントがあるものだ。
で、大事なのは、アクシデントをどう収拾つけるかということである。
今回、ゲネプロでは落ちなかったインターホンが落っこちた。
さて、床に落ちたインターホンをどう処理するか、である。焦っちゃうんだよねー、こーゆー時って。
基本は、元通りになぞしなくていい、ということ。
芝居の流れを壊さず、演じている役のままで、処置を施す。
これが鉄則。
彼らは流れの中、演じている役のままで処置を施す努力はした(稽古中からうるさく言っていたからね)。
が、まだまだなんだよなあ。
あの時、私が役者として舞台にいたならば、アドリブで「けっこう古いんだよなあ、この家も。大家に文句言ってやる」とでも言いながら、インターホンをわきへ寄せただろう。
今回の作品はコメディだから、そういうアドリブも全然かまわないのである。
一にも二にも大事なことは、作品の成立なのだ。
今回、私がいちばん困ったアクシデントは、ナベが台詞をど忘れしてしまったことである。
実は、我々はプロンプトを用意はしていても、一度も使ったことがなかった。
で、最後の最後の発表で、これだ。ホント、舞台には魔物が住んでいるものである。
ナベはつまった。台詞がとんだな、というのがバレバレ。
ここでも基本は同じ。芝居の流れを阻害せず、役のままで切り抜けねばならない。
たとえば、私が役者として舞台に立っていたならば、まずは稽古と全然違うアクションをする。腕の良いプロンプターだったら、ここで気付いてくれる。
これで気付いてもらえなかったら、役のままでアドリブを入れる。いちばんわかりやすいのは独り言だ。「どうしよう。なんて言えばいいんだろう。困ったなあ」とアドリブをかませば、プロンプターは気付いてくれる。
戯曲を知っているお客さんは別だが、戯曲を全然知らないお客さんなら、これで十分にごまかせる=集中を途切れさせずに済む。
まっ。これらは舞台の経験を重ねないとわからないんだけどもね。そういった意味では、勝田声優学院の中における最後の発表で、いい失敗=いい経験をしたということでもある。
アクシデントではないが、演出として困った事態というのもあった。
コメディ特有の現象・観客の笑いに酔っぱらう、だ。
コメディをやっている以上、笑わせたい。で、観客のノリが良くなってくると、役者のノリも良くなる。この相乗効果自体は素晴らしいのだが……
問題は、観客の笑いに酔っぱらってしまって、戯曲から外れてしまうことなのだ。
この現象は、特に若い役者に多い。
サービス精神といってしまえばそれまでだが、作品の成立を阻害してしまうようでは本末転倒なのだ。
多くのコメディは、ここで失敗して、コントになってしまっている。
また、若い役者だけでつくる芝居は、ここで失敗して、キャラクター芝居になってしまうのだ。
幸い今回の発表は、コントにもキャラ芝居にもならなかったが、観客の反応に酔っぱらってしまい、稽古で培ったリズムをいくつか崩してしまった。これが私にしてみると、口惜しいところなのである。
いやあ、それにしてもコメディは難しい。ホント、疲れたよ。
今回の発表には、キートン山田さんが所属するリマックスの社長、江崎プロダクションの重鎮・中庸介さん、広川監督、渡辺純生監督と、ずいぶんと多くの業界関係者にいらしていただいた。
劇団ムーンライトの土井代表もきてくださったし、いやいや、本当にありがたいことである。
別に我々は、業界でゴマスリ小僧をやっているわけでもなんでもない。
猫なで声を出して、気に入って貰おうというわけでもない。
ここでコネをつくってどーのこーのなんていうセコいことをやりたいわけではない。
ただただ、現時点での成果に対して、プロからの厳しいお言葉をいただきたいという一念のみ。
諸君に言いたいことは、ただ一点。
前向きな姿勢で、地道な日々の努力を怠らず、とにかく真面目にやろうぜ。
全然関係ないプロダクションの社長が、養成所の発表に来てくれるなんてこと、信じられるかい?
中さんなんて、御年70歳の「神様クラスの役者」のひとりだぜ。そんな方が、自分のプロダクションの養成所でもないところの発表を観に来るなんてこと、考えられるかい?
アニメの監督が2人も来てくださったんだよ。わかる、このすごさが?
正直に言ってしまうと、私自身はリマックスの社長や、中さんとは今回の発表が初対面なのだ。私の知人友人といったようなものとは、一切が無関係なのである。
あいつらが……私の弟子たちが真面目に頑張ってきたからこそ、こんな幸運が舞い込んできたんだよ。
私だって、あいつらが適当にやっていたり、真面目な努力をしていなかったら、向こうから「行ってあげる」と言われたって、「いやいや。見せるようなもんじゃありませんから、ホント。今回はカンベンしてください」って遠慮するよ。
あいつらなら、観ていただいても恥ずかしくないレベルにあると思うから、ご来場を心から感謝できるのだ。
また、プロの目から見た厳しい批評を、きちんと次の課題として努力できるからこそ、ぜひ、観ていただきたいとも思える。
誰だって最初から上手にできるわけじゃない。
毎日の積み重ねがあってこその成果なのだ。
毎日の積み重ねを、一生続けていくのが役者の生き方なのである。
そうそう。
中 庸介さんがひじょうに感心していたことがひとつある。
「いやぁ、勝田の生徒さんたちは、みんな礼儀正しいねえ! 最近の子にしちゃ珍しいよ、ホント」
バンタン電脳の声優科は言うに及ばず、他の附属養成所や学校の生徒たちも、礼儀だけはきちんとしてくれよ。
勝田生たちは、なにも特別なことをやっているわけじゃないんだよ。
当たり前の行儀と礼儀をやっているだけのこと。
せめて、社会人として常識ある行儀と礼儀ぐらいは備えてくれよな>全声優志望者
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☆20700アクセス突破! ありがと♪
★小学校から英語を教えるだとぉ? 冗談じゃねぇぞ! 母国語でさえマトモにつかえない若い連中ばっかだってのに! あ〜あ。10年後の俳優養成って無茶苦茶になっちまうぞ。ボキャ貧なんていって得意がってるバカ総理だもんなあ。恥を知れ、恥を! 誇りをもて、誇りを!
2000/3/17 (金) ■■■ 役者が犬だとぉ?(大激怒) ■■■
このhpにあるヴォイスアクターエッグスQ&Aは、ヴォイスアクターエッグスと放送劇団COSMさんのご厚意によってダイレクトリンクさせていただいている。
私はそこで回答者役みたいなことをやっているわけだが、とんでもない暴言を見て怒り心頭に達してしまった。
映像系演出に「役者は監督の犬だ」と言われた俳優志望者がいるというのである。
冗談じゃないよ、ったく!!!!!!
おっとっと。最初から激怒してたんじゃ、話が続かなくなる。ちょいと落ち着こう。
その昔、「俳優は人形でいい」と断言した舞台演出がいた。
優秀な演出と優秀な戯曲によって、俳優はその表現活動の全てをコントロールされるべきだ、という説である。
が、この説は演劇界では否定されている。その否定論こそが、スタニスラフスキー・システムなのだ。
今でもここらへんのところを勘違いしている演出ってのが、プロにもアマにもいやがるんだよな。
バカ言ってんじゃないよ。スタシスが成立したのは半世紀前だよ、半世紀前!
演劇界においては、半世紀も前に通り過ぎた地点でしかないんだよ、そんな議論は。
役者が犬だとぉ?
犬をつかって作品やって、なにが楽しいんだ?
んなもん、演出じゃねぇってんだよ。犬の調教師か、サーカスの犬使いだ。
作品ってのはなぁ、人間同士が紡ぎあってつくっていくものなんだ。
そりゃ演出に強い権限は与えられているよ。それは偉いとか偉くないって問題じゃない。作品が失敗した場合、演出が全責任を全部かぶるっていう前提による、序列でしかないんだよ。
演出も人間、役者も人間。
人間同士が協力しあって作品を成立させること。これをアンサンブル主義という。
これまた半世紀以上前に成立してるんだよ、演劇界じゃ。
かと思えば、「コンピューター技術の発達によって、21世紀には人間の役者などいらなくなる」なんて妄想をほざく演出やプロデューサーが映像業界にはいる。
馬鹿、馬鹿、馬鹿! 大馬鹿野郎だね、ったく!
その発想自体が狂ってるんだよ!
シンセサイザーがどんなに発展したって、昔からある楽器はなくならない。
なぜか? 人間には解釈と表現という創造力があるからだ。
芝居だって同じだ。演出のプログラミングだけで生まれる作品なんて、おもしろいわけないんだよ。
ひとりひとりの役者の中から生まれる解釈と表現。それがある限り、人間の役者は絶対になくなりはしない。
で、若き俳優志望者である君たちに言うべきことはひとつ……
こんな連中に、絶対にナメられるんじゃねぇぞ!
ナメられたならば、それこそ、腹を斬れ、腹をっ!
てめぇの命をかけてでも、演劇人の誇りを守りぬけ!
演劇人の誇りをもてねぇんなら、俳優なんか目指すんじゃねぇ!
我々、演劇人には、古代ギリシャ時代から連綿と続く3000年の歴史がある。
かって、演劇は哲学と同等に語られていたのだ。
たかだか200年の歴史である映画、50年に満たぬ歴史のテレビ、30年の歴史さえないゲームにナメられる筋合いなぞないのだ。
そして、現在も、演劇は発展し続けていることも忘れるな。
心理学、大脳生理学との連携によって、演技における開放と集中のメカニズムはより深くなっていくであろうし、
最新体育学会理論によって、身体訓練はますます合理的になっていく。
ナメられたくなかったら、我々演劇人ひとりひとりが修業を怠らないことだ。
勉強につぐ勉強によって、先人達の築き上げた歴史を継承し、そして、未来へ向けてより発展させていかねばならない。
私は演出として、現場の序列は絶対に崩さない。
しかし、演劇人として、役者がナメられることだけは絶対に許さない。
役者が犬だとぉ?
そんなことをほざく演出に、尻尾を振る愚か者がいるから、犬になっちまうだけのことだ!
コンピュータに役者がとってかわられるだとぉ?
おう! おもしれえぇじゃねぇか! 動きも声も、全てをプログラミングだけでやれるもんならやってみやがれっ! それで最上級のエンタテイメントがつくれたならば、俺が腹を斬ってやるぜっ!
……正直に言おう。
犬と言われてもしょうがないバカはいるよ、実際の話。
プログラミングのほうがマシなくらい、どうしようもねえバカもいるよ、実際の話。
だけどな、このクソッタレな偏見を吹き飛ばすのも、演劇人としての役目なんだ。
おまえら、犬扱いされるために、人生をかけてんのか?
おまえら、なにもかもをコントロールされたロボットになりたくて、苦しくて辛い修業をやってんのか?
そうじゃねぇだろ? ああ?
俺がなんで、こんなに怒ってるのか、わかるか?
俺は犬を育てるために、睡眠時間を削ってるわけじゃないんだよ。
俺は、なにもかも自分の思い通りに動くようなロボットを育てたくて、私生活を雲散霧消させているわけじゃないんだよ。
良い作品をつくりたいから、良い作品をつくるための優れた協力者である役者になってほしいから、こうやって儲からない講師をやってるんじゃねぇか。
おまえらに疎まれることを承知で「基礎をやれ!」と九官鳥のように繰り返しているのは、なぜだと思う?
おまえらに優れた俳優になってほしいんだよ!
優れた俳優といっしょに、素晴らしい作品をつくりたいからなんだよ!
忘れるな!
おまえらは人間なんだ!
自分で解釈を考え、自分の中から表現を生み出せる人間なんだよ!
人間の役者といっしょに作品を成立させるからこそ、作家は寝ないでホンを書き、演出は作品の全責任をとれるんだよ!
人間の役者としての矜持を忘れるな!
2000/3/16 (木) ■■■ 信じるということ ■■■
勝田生なら知っていると思うが、私は「目の前にいる奴しか面倒はみない」と明言している。
そりゃそうだよね。目の前にいなければ、どれだけ頑張っているかわからないし、適切なアドヴァイスだって与えられるわけがない。
それに私は、私の目の前にいるということ=私を信じてくれていることだとも思っている。目の前にいない=私を信じていない、ということ。
私を信じていない奴にアドヴァイスなんかしたってしょうがないじゃん。信じていなかったくせに、困った時だけ泣き付かれたってしょうがないよね。
それに17期から18期は全員、解決すべき問題点と、勝田3年間における努力目標を基礎科の時点で指摘してある。
解決すべき問題点を放棄したまま、やるべき努力も放棄している生徒に、私がなにを言えばいいの、って感じだ。
私の指示や指導を放棄している=私を信じていないってことなんだから、どうぞ、御自由に、ってのが結論。
私を信じていない奴のために割く時間があるなら、私を信じてくれている奴のために使うのが道理だろ?
私は野沢雅子さんという大女優を全面的に信頼している。
初めて出会ったのは、高校2年生の頃だった。野沢さんからは、とにもかくにも滑舌ばっかりやらされたので「え?」って感じだった。
生意気盛りだった私は「なんで、こんなことを今さら…」と思ったのである。3期から2階級特進で選抜チームにいたからね。今さら基礎的な滑舌をやらされるなんてのは、馬鹿にしてるんだと思ったぐらいだ。
いやー、「若さは馬鹿さ」ってのは恐ろしいものである。自分の間違いに気付くのに1ヶ月とかからなかった。磨けば磨くほどに、終わりがないのが滑舌だった。
そして、短いエチュードにも戸惑った。90分や120分の戯曲を既にやっている身だったから、これまた「今さら…」というのが正直な感想だったのである。
ここで私は駄目出しの中から、野沢雅子という大女優の“抽き出し”の凄さを思い知ったのである。
野沢さんを知って1ヶ月後には、勝田における野沢雅子親衛隊長を名乗ってたよ。
イマドキの若い連中…この言葉はあんまり使いたくないんだけどさ…は、「信じる」という行為を軽んじている。
誰かを「信じる」ってのは、「賭け」なんだよ。
たとえば、君が汗水垂らし働いて、100万円を貯金したとしよう。その100万円を一気に競馬に使わなければならなくなった。
さて、どうする? 情報を集めに集め、考えに考え抜くだろうね。外れればパーなんだからさ。
なのに、自分の人生の数年間に対しては無頓着なんだよな。簡単に周囲に流される。ムードやイメージといったものに流される。
君の人生ってそんなに価値が低いものなのかい?
君の人生1年間ってのは、現金100万円よりも低い価値なの?
こんなもん、難しい話でもなんでもありゃしない。まともな知性と理性さえあれば、誰にでもわかることだろうが。
ってゆーか、同期や後輩の踏み台にされるしかない99.99%の連中ってのは、まともな知性や理性を持ち合わせていないオバカッチョってことでしかないんだけどね。
よーするに、天地がひっくり返ったところで、役者になれるわけがないオバカッチョってことだよ。
諸君は、未来に対して無責任すぎる。
だから、信じるという行為に対しても、無頓着なんだ。
信じるという行為は、全てが自己責任によるものなのである。
今の自分は、過去からの結果でしかないんだよ。
そして、現在とは、自分の未来のためにあるものなんだ。
今、やるべきことはなにか?
信じるべきはなにか?
ぜーんぶ、自分の責任によって決断しなくちゃいけないの。
君たちがよく言う後悔の言葉「騙された」「間違えた」「失敗した」なんてのは、過去における自分の決断の結果でしかない。
悪いのは自分。ぜーんぶ、自分が悪いんだよ。情報収集を怠った自分が悪い。判断を間違えた自分が悪い。ただ、それだけのことでしかない。
野沢雅子さんに出会えたことは、私の人生における幸運のひとつだ。
が、この幸運は、ただ降ってきたものではない。出会うチャンスそのものは、自分の努力によって掴んだものだ。
勝田先生を信じたから、勝田先生の指導に食らいついていった。
その食らいつきが勝田先生に認められたから、異例の2階級特進で1期生と2期生中心の選抜チームに入れてもらえた。
選ばれたことだけに満足せず、野沢雅子さんを信じて食らいついていった。
そして、勝田在学中にプロダクション所属し、デビューし……
これ、幸運だけかい? 運が良かっただけかい?
なにも私は「俺ってすごいだろー」って威張りたいわけじゃない。私は特別なことなんて、なにひとつとしてやっちゃいないよ。
先日、野沢ゼミ最後の打ち上げで、選抜チームの連中が野沢雅子さんに質問したそうだ。
「生徒時代の安達さんって、どんなだったんですか?」と。
野沢雅子さんは笑って答えたそうだ。
「アーチは生意気だったわよー。でも、可愛げのある生意気だったわね」と。
(身に覚えがあるから恥ずかしいんだよなあ。とほほ…)
うちのコパは、私と出会ったばかりの頃、私を“観察”していた。そして、ある時から、コパは私を信頼してくれるようになり、よくついてきてくれるようになった。
私には、あの頃のコパの気持ちが痛いほどによくわかる。コパは私を試していたのだ。私の一挙手一投足から、私を信ずるに値するかどうか観察していたのである。
15期の連中に「小林は、安達さんに振り回されているだけだ」とも言われたことがあるという。
で、結果は?
くっだらねーことを言っていた15期の連中は、みーんな、消えちゃったよ、業界から。
かたや、コパはプロダクション・チャレンジの結果待ちだ。今度の金曜に行われる発表では、プロダクションの社長が直々に観に来る。
さっ! 人並みの知性と理性をもってして、判断してもらおうじゃないか?
現実逃避するなよぉ? ウケケッ!
結論は、私を信じるも信じないも、どうぞ、ご自由にってこと。
全ては自己責任における決断だということだけは忘れないように。
とにもかくにも、中途半端な気持ちで目の前に来るのだけは勘弁してくれ。
バカガキの、その場その場の都合に振り回されるのだけはゴメンだよ。
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☆20500アクセス突破! あと3ヶ月でオープン1周年。さてさて…2000年6月23日には、いったいどれぐらいいっていることでしょう?(わくわく)
☆秋からTX系で放送されるアニメ・シリーズ2クールのシリーズ構成(メインライター)、決定したぜいっ! 忙しいぜいっ!(涙)
2000/3/12 (日) ■■■ 光が差し込む瞬間 ■■■
Young! Young!16期体制しめくくりである『カム・ブロー・ユア・ホーン』の発表まで1週間を切った。
ずっと悩んでいたことがある。キャスティングのことだ。
主役アランには、ナベ。その恋人コニーには、マサヨサマ。この2人は早く決まった。
父には、18期のやっちゃん。父にエントリーしたのは全員、18期だった。てゅぐ生も名村も頑張っていたのだが、総合成績と舞台作法でやっちゃんをキャストした次第だ。
返す返すも惜しかったのは、16期のターバンやゴッチが父役でエントリーしなかったことである。こいつらがエントリーしたならば、また違った構図で『カム・ブロー…』を表現できたのに、と思う。
母には、ミィヤとリョーコを競らせていた。16期を代表する実力ナンバー1のリョーコと、芝居を始めて1年目のミィヤとの実力差は歴然としている。
が、リョーコが公演参加を決めかねていた時、がんばってくれていたミィヤにも、延長戦のチャンスを与えたかった。で、やっと先週の金曜日、リョーコを母として決定した。
今回の稽古はミィヤにも勉強になっただろう。圧倒的な実力差のある人間と同じ役を競るということは、自分の実力不足を冷静に判断できるということである。
普通なら、今回のようなカタチでやると誰でもヘコむ。そりゃそうだろう。そんじょそこいらに転がっている軟弱者なら、「どうせ、私はキャストに残れないんだし……やるだけ無駄じゃない」とスネて当然だ。
でも、ミィヤはヘコまなかった。やればやるほどに上昇し続けるリョーコの芝居を見て泣いたこともあったが、最後まで一所懸命やり続けた。
私はミィヤのような生徒をもてたことを誇りに思う。
ペギーは、まだ決まってない。
18期のアダトモと、16期のヘロミ・ユキンコの三巴戦から始まり、今はヘロミとユキンコの一騎打ちとなっている。
アダトモもよく頑張った。これまた彼女も勉強になっただろう。芝居1年目でキャラ芝居(カラオケ芝居)とはなにかがわかり、そうならないためにはナニが大事なのかを知ったのだ。
アダトモは伸びるぞお。今の時点で、勝田における滑舌ベストテンの上位に食い込んでいるのだ。あと半年も今の調子でやれば、17期の誰ひとりとしてアダトモにはかなわなくなる。あと2年もしたら、今の16期より確実に高いレベルに達するだろう。
さすが、コパと同じデーモン族だ。デビルアイはダテじゃないね。
さて、問題はバディ。生まれ変わったゾエと、迎え撃つコパの構図は、前にもここで紹介した通りだ。
あれからもゾエはどんどん良くなっていった。笑いをとる回数なら、コパよりゾエの方が確実に上になった。毎回の稽古で新アイデアを打ち出してくる。
対するコパは悩み始めた。悩んで悩み抜いた挙げ句、コパがとったのは基礎中の基礎であるリアルな芝居に徹するということだった。
コパとゾエの芝居が正反対となった時、私も考え込んでしまった。
今回の発表は一度きりだ。
一度きりの発表、作品はコメディであれば、ゾエをキャスティングするのが正しい選択だ。ゾエの芝居はひじょうにわかりやすい。観客である勝田生のレベルを鑑みれば、喜ばれるのはゾエの芝居だとわかりきっている。
が、しかし……
コパが見せてくれているリアルな芝居とは、まさしくストレートプレイなのだ。余計なことをせず、ただ、ひたすらに台本を解釈し、自分の役の『役割』を追求している。
私は今回の発表で、伝説を残したかった。キャラ芝居に頼らずともコメディはできるということを、私と2年いっしょにやってきた連中と共に証明したかったのだ。それが後輩たちである17期、18期への置き手紙である、と。
これはひじょうに難しいことだ。プロの舞台俳優ですら、この領域に達している人はそうそういない。
演出の力量が問われるのはもちろん、役者個人の性能も問われる。役者も演出も同じく辛いし、苦しい。だが、キャラ芝居によるコントにだけはしたくなかったのである。
コントにすれば全ては解決する。笑わせるためにはなんでもやるつもりで、人間の自然な生理など一切無視して、変なことを承知で「ウケればいいんだ」とやってしまえばいい。
が、私はそれをやりたくなかった。
それはストレートプレイに対する冒涜だ。なんのために私はヤツらに演劇3000年の歴史から叩き込んできたのだ。なんのためにスタニスラフスキーやメソッドを教えたのだ。コメディをやる意義はなんなのか、と。
しかし、なかなか決意できなかった。ゾエの頑張りを否定したくなかったし、今のコパの挑戦は危険も含んでいたからだ。
私の迷いを吹っ切ってくれたのは、友人の事務所社長からの電話だった。
「AプロのBさんも俺といっしょに観に行くっていうから、席の手配ヨロシク!」
Aプロといえば、業界屈指の歴史をもつ名門声優プロダクション。Bさんといえば、業界歴50年近い大ベテラン。
「な、なんで、Bさんみたいな神様クラスの役者がぁ?」
「んー? 真面目にやってる連中が発表やるって言ったら、『観てみたい』っていうんだよ。Aプロ附属養成所を受ける子もいるんだろ? ここで頑張ればプロダクションに残る確率も高まるよ。良かったじゃん」
この人は私の古馴染みだが、声優業界のことをよくわかってない。御年70歳を迎えるBさんは、Aプロの重鎮だ。自分の事務所の養成所の発表を観に来るならともかく、全く縁もゆかりもない養成所の発表を観に来るなんてことは、業界を知る者にしてみれば想像もできない事態なのである。
私の大混乱が収まらぬうちに、先日、またも同じ友人から電話があった。
「Cプロの社長と、プロデューサーのDさんもなるべく行きたいって言い出したから、席の手配ヨロシク〜」
Cプロといえば、新興プロダクションの中でも日の出の勢い。Dさんといえば、業界歴40年の音楽プロデューサーで、ラジオ番組の制作もしている。
「だーかーらーっっっ! ヨロシクじゃないってーの! なんで、縁もゆかりもないプロダクションの社長がいらしてくださるんだよおおっっっ? そのプロデューサーとは顔見知りだけど、わざわざご足労願うほどの仲じゃないんだよぉ? あんた、これが異常事態だってこと、わかってないんだろぉ?」
「いいじゃん、いいじゃん。観せて恥ずかしい芝居じゃないんだから。おまえらの実力を業界に示す第一歩だと思えばいいんだよ」
絶句するしかなかったね、私は……
しかも、昨日は高田馬場駅で、劇団ムーンライトの土井代表とバッタリと顔を合わせた。
「来週の金曜でしょ? 行くよ」
満面の笑顔なんだ、これが。
土井氏と私は、年齢こそ土井氏の方が上だが、芝居に関わっている年数はほぼ同じ。学んだ場所も違うが、同じく野沢雅子さんの弟子筋だ。
つまり、土井氏が観に来るということは、兄弟が観に来ることであり、野沢雅子さんの代理が観に来るということでもある。
で、私は腹をくくった。
私は、私の目指す本来像に戻る。
コパが迷いに迷った挙げ句、基礎中の基礎であるリアリズム演劇に立ち返ったのと同じく、私もストレートプレイ演出の原点に返る。
つまり、バディのキャスティングはコパだ。
コパのキャストを決めた瞬間、光が見えた。
これが今春、結成するナベ・コパ・リョーコ・マサヨサマ・ウリボーたちとの劇団の命題でもある、と。
ただ、ひたすらにエンタテイメントなストレートプレイを追求する。
マスコミ仕事をできるプロ俳優の水準をもってして、ストレートプレイを追求する。
基礎の徹底がもたらした成果によって、作品を完成させていく。
劇団のための劇団でもなければ、仕事をしているからプロというのでもなく、
第一線のプロとして仕事をしながら、修業の場としての舞台づくりに劇団の命運を捧げる。
これがナベたちとやる劇団の命題だ。
光というのは、どこから差し込んでくるかわからない。
まさか、追いつめられた先から差し込んでくるとは思わなかったけどね。
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☆今回は20000アクセス突破記念として一挙5本掲載!
ってゆーか、最近、雑記帳の具合がおかしくて更新できなかったので、たまっちゃっただけなんだけれどもね(笑)。
2000/3/12 (日) ■■■ 芝居が超ウマくなる方法? ■■■
先日、ヒジョーにダイレクトな質問メールを受けて、思わずモニターの前で吹き出してしまった。
「ズバリ! 芝居が超ウマくなる方法ってなんですか?」
……たった、これだけ。
私のところにこんなメールを送ってくる度胸もさることながら、これだけ堂々とやられちまうとデングリ返って怒る気にもならない。なにはともあれ、3分ほど笑い転げてしまったよ、私は。
とりあえず「基礎をやれ!」と6文字だけで返答しておいたんだけどね。
私を笑わせてくれたご褒美に、ここでチョイと補足してみる。
芝居が上手になりたいのであれば、なによりも芝居が好きになればいいだけだ。
芝居より好きなもの、芝居よりおもしろいものがあったなら、その人は絶対に芝居がうまくなるわけがない。
だって、そうでしょ?
芝居よりゲームがおもしろいと思うのであれば、その人は芝居のために使うべき時間をゲームに費やしてしまうだろうし、
芝居よりバイクが好きだというのであれば、芝居のために使うべきお金をバイクに費やしてしまうだろう。
なによりも芝居が好きであることが、芝居がうまくなるための、たったひとつの条件なのだ。
こないだ、勝田15期の「ある生徒」が、卒業後に入った劇団を辞めたという話を聞いた。実質、1年ももたなかった。私は「やっぱり」と冷笑した。
その生徒は超有名ブランド大学の生徒で、勝田在籍時には徹夜麻雀ばかりしていた。あとは所内恋愛とかね。こいつは15期では目立ってたヤツだから、こいつに釣られてずいぶんと多くの15期生が足を踏み外したようである。
(ば〜か。だから、言ったじゃねぇかよ。「誰が正しいか?」って。ケケケケ!)
練習や稽古よりも楽しいことがあるようじゃ無理なんだよ、この業界は。
それこそ、三度の飯よりも芝居が好きでなくっちゃ、やっていけるわけがないのである。
明るく楽しいキャンパス・ライフもけっこう毛だらけ猫灰だらけ。
ただし、そのキャンパス・ライフとやらをご本人がヘラヘラと愉しんでいる間、他の真面目な生徒はコツコツと稽古をやっているのを忘れるな、ってこと。
誰だって、後輩に追い越されたくはないだろ? 後輩の踏み台になんかされたくないだろ?
だったら、真面目にやるしかないんだって。芝居以外には目を向けなけりゃイイだけなんだよ。
いるんだよ。芝居をやってれば幸福だってヤツが。芝居さえあれば生きていけるってヤツがさ。
たとえば、今、劇団ムーンライトに所属している和田みちるがそうだ。
みちるは昨夜の選抜チームの稽古を見学しに来ていた。つい先日、ムーンライトの新人公演が終わったばかりだというのに。
みちるは14期、今の選抜チームの主力は16期。普通に考えれば、2期も下の連中の稽古なんか、わざわざ見学しに行こうなんて思わないだろ? みちるが3年生の時、やっと16期が入学してきたんだぜ。
でも、稽古場にも本番にも来るんだよ、みちるは。芝居の勉強をしたいから。後輩の芝居であっても、なにかしらヒントを得ようってね。
意識がね、全然違うんだ。
1期違うだけで先輩・後輩の垣根をつくって、威張り散らしているようなアホタレとは。
なーんにもわからん後輩たちの前でふんぞり返り、芝居の話じゃなくって、「講師に好かれるためには」なんてクダラネー講釈を垂れているバカタレとは。
みちるは、芝居に関連することを話していると、目をキラキラとさせる。だから、私も、ついつい嬉しくなって、みちるに芝居の話をしたくなる。
これだよ、これ!
こーゆーピュアな気持ちを芝居にもてないんだったら、芝居なんかやめちまった方がいいんだ。
芝居より楽しいことがあるんなら、そっちの世界でプロになりゃいいんだよ。
芝居よりおもしろいことがあるんなら、そっちの世界で一所懸命にやってりゃいいんだ。
「私には芝居しかない!」と思えないんだったら、こっちの世界にいる理由なんぞ、カケラもない。
だって、声優って、プロ俳優のマスコミ仕事なんだもん。プロ俳優と呼べるだけの能力をもてなかったら、声優になれるわけなんかないんだ。プロ俳優の能力を備えるためには、稽古をやって、やって、やりまくるしかないんだよ。
私、なんか難しいこと言ってるか?
私の言うことを理解できない?
もし、わからないっていうんなら、その人って相当な馬鹿だよ。役者になれる読解力がないから、今すぐにでも諦めた方がいいぜ。
ほとんどの人は「わかるんだけど……」なんだよな。わかっちゃいるんだけど、娑婆に未練があるんだよ。
目の前の楽しいことを諦めきれないし、辛くて苦しい俳優修業に身も心もドップリと浸かるのが怖いんだ。
ハイハイ。好きなだけ迷ってればいいじゃん。どうせ、君の人生だ。私にゃ関係ない。
君が迷っている間に、覚悟を決めた同期や後輩が次々と君を踏み台にしていくよ。
君が遊んでいる間に、コツコツと基礎練習をやっている同期や後輩が君を追い越していく。
気付いた時には、もう遅い。真面目なヤツに追い越されたら、そう簡単には追いつけやしないんだよ。
どんなに悔し涙を流して後悔したところで、時間だけは巻き戻せやしないんだよ、絶対にね。
ま、そーゆーわけだから。
大変な世界に足を踏み入れたんだと思って、観念することだね。ウヒャヒャヒャ!
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☆最近、解釈に関する質問が多いなあ。フィジカル・トレーニングに続いて、解釈術のセミナーもやるべきかな? でもなあ……人数がどれくらい集まるかわかんねぇしなあ……
2000/3/12 (日) ■■■ ジュニア直結型養成所 ■■■
先日、賢プロダクションのスクール・デュオの試験があった。
定員30人のところに300人もの申し込みがあったため、直前に延期して、会場も青山のメトロ会館を用意するという大盛況。
(その後の調べで、定員30人のうち、半数は推薦などで終わっており、実質15人のみの募集だったそうだ))
ちなみに私のところからは、ターバンが合格し、ショーアンが補欠合格した。チョット意外な結果だったので、こりゃ卒業後も鍛えないとイカンなあ、って感じだ。
今春は賢プロダクションのスクール・デュオや、バオバブのマスコミ講座などが大人気だ。
ジュニア直結型養成所は、2年ほど前から出始めたニュータイプの養成所だ。
養成所経験が1〜2年の志望者を対象に募集し、合格者には現場で即必要とされるマイクワークなどを指導する。在学中から準ジュニアとしてオーディションに行かせる場合もある。
プロダクション附属養成所における「育てる養成所」「振るい落とす養成所」に次ぐ第3のスタイルといえよう。
このジュニア直結型養成所が大人気なのはわかる。マネジメント部門をもたない声優系劇団在籍の志望者や、専門学校声優科や私塾の卒業生にとっては、また一から附属養成所でやり直さずに済むのだから魅力的だ。
が、しかし、待って欲しい。
君は、本当に、現場で通用するだけの能力をもっているのか?
ジュニア直結型とは、発声・滑舌はプロ・レベルに達しており、演技力(解釈力・表現力)をもっていることが前提として、マイクワークぐらいしか教えない。
さてさて、君は、本当に、現場で通用するだけの発声・滑舌・演技力をもっているのか?
ハッキリいっちゃうけど、3年やってようが5年やってようが、発声もできてないヤツはお呼びじゃないんだよ。論外だよ、論外。
発声は、良いボイストレーナーにつけば、半年から1年でグンと上昇する。2年もやったら、かなり高いレベルに上がる。
やりゃあいいんだよ、やりゃあ。
身体を鍛え、ボイストレーナーにつけばいいだけのことじゃないか。
なんで、やらないんだろうね、もう。
同じことは滑舌にもいえる。
騙されたと思って、半年間ミッチリと滑舌をやってみればいい。全然、違うから。
これまた、やればいいだけ。
毎日2時間、滑舌をやるってだけのこと。ガタガタ言ってないでやるしかないんだよ。
なんで、やらないのかねえ……
これら、発声・滑舌すら満足にやってこなかったヤツが、ジュニア直結型養成所になんて受かるわけないじゃん。
たとえ、偶然、受かったとしたって、正所属として残れるわけはない。
ジュニア直結型養成所の大人気とは、受かるわけがない怠け者や、残れるわけがない愚か者たちの「ショートカット(近道)」ってところがある。
はぁ〜あ。もう。いやになっちゃうねえ
ジュニア直結型養成所を志望している諸君。まずは自分の身の程を知りなさい。
ふぬけた態度で勉強しているかぎり、2年やろうが3年やろうが、いや5年10年やっていたって、まず無理なんだ。
発声のための体練をいやがってるようじゃダメ。
地道な滑舌をいやがって、言えない言葉があるのを放って置いちゃダメ。
目の前の台本を、ただただ感情的に叫ぶのが芝居だと思いこんでいるようじゃダメ。
アフレコ実習、アテレコ実習が声優の勉強だと思いこみ、アニメ声でキャラ芝居やって満足してるようじゃダメ。
ステップでしかない養成所における研究発表で青春ゴッコをやって、切磋琢磨とは無縁の甘ったれた仲間意識に浸っているようじゃダメなのだ。
ジュニア直結型養成所の倍率は高い。低いところでも5人に1人しか入れないし、高いところでは20人に1人だ。その中から、プロダクションに正規所属できるとなると、年に数人に絞られる。
ジュニア直結型養成所に行こうと思うのであればこそ、基礎をやりぬくしかない。
だって、ジュニア直結型養成所では、基礎なんて教えないんだからね。経験者対象ということは、基礎はできていて当たり前ということでしかないのだ。
みんな、もっと謙虚になろうね。
ふぅ……
2000/3/12 (日) ■■■ 年数だけやりゃあイイってもんじゃないんだよ ■■■
先日、ムーンライトの新人公演に行った。和田みちるの芝居を観るためだ。
みちるは勝田14期生。今年の春でムーンライト2年、勝田時代を入れれば通算5年の演劇経験者である。
みちるの芝居は良かったのよ、みちるのは。今回は、お得意のおばあちゃん役を活き活きとやってくれていた。
問題は、いっしょの舞台に立っていた2人の勝田出身者である。ひとりはみちると同じく通算5年の演劇経験者、もうひとりは通算4年の演劇経験者。このふたりの発声・滑舌共に「をいをい。それ、ナニ語?」というレベル。
これは代表の土井氏にも、演出の野沢雅子さんにもキチンと言った。「あの2人の発声・滑舌が問題でしたね」と。土井氏も雅子さんも「あれでも良くなったんだけどねえ」と苦笑していた。
先日、17期のゴーとチーに会って話をした。その時も、私は同じことを言うしかなかった。
「俺とおまえらはこれから交わることのない違う道を歩くわけだが、これだけは忠告しておく。発声と滑舌をどうにかしないかぎり、おまえらに明日はない」と。
彼らといっしょに芝居をやることは一生涯ないと思うが、たとえ半年の短さだったとはいえ、かっての教え子に対する、私なりの誠意としての忠告だ。
芝居の勉強は、年数さえやればいいってものではない。
たとえば、うちのコパやリョーコは10年選手に匹敵する能力をもっているし、うちのナベやマサヨサマは5年選手を超えている。
コパ・ナベ・リョーコ・マサヨサマを知っている勝田生は、この3人の所内研究発表で見せているレベルと、外でやってる有料の公演に出ている若い役者を比べてみるがいい。
直接指導した人間の欲目を抜かしても、20代でこの3人を超えるレベルの役者など、10人もいないはずである。
それはコパ芝居歴5年、リョーコ・ナベ芝居歴3年でも、だ。
同じく、日本全国にいる20歳未満の役者で、ウリボーを超える能力をもっているヤツなんてのは、プロダクション所属しているのも含め、そうそうはいない。
勝田内部でいっても、芝居を始めて1年め18期のアダトモ、ミィヤ、アリリンを超える滑舌をもった17期は5人もいない。この3人は勉強を始めて1年めにして、私の元にいる16期と肩を並べる滑舌を手に入れている。
断言する。芝居を始めて3年未満で、この3人を超える滑舌を有している志望者は、10人といない。
これらは奇跡でもマジックでもない。
地道な努力しかないのである。とにもかくにも、基礎をやってやってやりぬくしかないのだ。
私の元には、ホント、色々なヤツがくる。
中には「安達さんのそばにさえいれば……」と勘違いしてるのもたくさんいる。
冗談じゃないよって。
私は詐欺師でもペテン師でもないから、ハッキリと真実を伝えておく。
全てのプロフェッショナル・クリエイターとは、本人次第なんだよ、本人次第。
私は鼻濁音の教え方が上手い講師だと自負している。その人のレベルに応じて、いくつかの教え方をもっているし、新たな鼻濁音習得法をいつも開発し続けている。
が、私が教えられるのは、鼻濁音の発音法と練習法まで。本当に身につけたいと思ったならば、最終的には本人が頑張ってくれる以外にはないのだ。
解釈力についても、私はシナリオ・メソッド研究などから、論理的な指導をする講師だと自負している。「解釈とは、曖昧なムードや雰囲気ではない。あくまでも術である」と断言した上で教えているぐらいだ。
が、私の教える解釈術を身につけたところで、本人が表現として成立させるための試行錯誤を繰り返してくれなければ、ただの知識にしかならない。演技表現にはつなげられないのだ。
先日、今春からバンタン電脳学院声優科に入学する予定の生徒たちをYoung! Young!の通し稽古に連れて行った。
その中には、某養成所での経験者と、某専門学校を中退してくるのもいた。ふたりはYoung! Young!のレベルに驚いた。
なのに、私がダメだしで「滑舌が悪い!」と言ってるのをみて、もっと驚いていた。
「あんなに滑舌がいいのに」と。
とんでもない。まだまだだよ、私に言わせれば。発声だって、滑舌だって、もっともっと上を狙ってくれなくっちゃ困る。
この先、バンタン電脳情報学院で私についてこようという人、勝田声優学院で私についてこようという人に伝えることは、たったひとつだ。
この業界は厳しい。厳しい業界の一員になろうというのに、その指導が甘いわけないでしょうが?
私は諸君の人生を一瞬、預かっているつもりだ。だからこそ、本音でしかものをいわない。君たちに取り入ろうとも思わない。
ただ、ひたすらに基礎を追求し続けよう。基礎に問題がある限り、3年やろうが5年やろうがどうしようもないんだよ。消えていくその他大勢にしかならないんだ。
そのための訓練法はキチンと教える。自慢じゃないが、そりゃ懇切丁寧に教えるよ。勝田の生徒だったらわかるはずだ。1年生に対する私の教え方は優しいだろ?
だから、やれ。
私の真骨頂は、2年め、3年めだ。年数を経るに従って、ドンドン厳しくなっていく。そりゃそうだよ。やり方は教えたんだもん。あとはやらない本人が悪いだけじゃないの。
たとえ、地味であっても、真面目にやっているかぎりは、私は味方だ。それは約束する。
今年も勝田では、18期が研究科(2年め)に上がるに際し、8人の進級試験該当者が出た。勝田では、この進級試験に落とされたら、退学しかない。
今回、私は確実に3人は助けるつもりでいる。この3人に関しては、なにがなんでも私の責任において残す。この3人は、ちょいとばかり鈍臭かったり、気が弱いだけだ。やることはやっている真面目なやつだ。
とにもかくにも基礎をやろう。
お願いだから、わかってよね。
2000/3/12 (日) ■■■ 選択は自分次第 ■■■
志望者1万人のうち1人しか成功できない声優業界。
志望者の99.99%は「声優になれなかった人」となる。
今年の勝田では、2人が進級試験で落とされた。
1人は、最後の最後にしくじった。『外郎売り』で鼻濁音が言えていなかったことを指摘した際、「鼻濁音でやっていたつもりです」と反論してきたのだ。
私は「言えてねえもんは言えてねえんだよ! 自分だけが言えたつもりになっていてもダメなんだよ。そういう言い訳をするなと、前にも俺は言っただろうが?」。
すぐにその生徒は謝ったが、愚にもつかない言い訳をした瞬間に、進級不可は決まったようなものであった。
もう1人は、成績も悪かったが、性格に起因する素行に問題があった。私が1対1の面談でそれを指摘すると、その生徒は心外だという表情をした。いくつかの実例を挙げてやると、初めてその生徒は反省のそぶりを見せたが、とても心から反省しているようには見えない。
私は「おまえ、自分のやってきたことが非常識だって自覚ないんだよな。どうしてか、わかる? おまえには常識がないからだ。常識を身につけない限りは、なにが非常識かだってわかりゃしねぇんだよ。おまえは俳優修業やる前に、常識を勉強してこい!」。
そして、進級不可が決定した。
これは諦めたくないのに、諦めさせられた例だが、
今、諦めようか、どうしようか悩んでいる人も多いだろう。
結論はひとつだ。
「全ては自分で判断しなさい。周囲に『頑張ろうよ』と言ってもらうのを期待したり、誰かに才能を保証してもらいたいというなら無駄だ。考えに考え抜いて、自分で判断するしかない」
声優の道を諦める人は、ほとんどが挨拶なしだ。
授業に出てこなくなったり、ふさぎこんだ表情をしていたりと兆候はあるが、ある日、突然、やめてしまう。
「誰某がやめた」と聞くと、ほとんどの場合、私は「良かったな、社会復帰できて。まっとうな堅気になってくれ」と思う。
たまに相談を受けることもある。「続けようかどうか、悩んでいるんです」と。
そのとき、私はめったなことでは「頑張れ。もうちょっと続けてみろ」とは言わない。「そうか。自分でよくよく考えてみてから、結論を出せ」と言う。
やめたくない、続けたいと強く願ってはいても、切り捨てられる99.99%に組み込まれてしまう業界なのである。迷ったり、悩んだりで停滞しようものなら、もう、それだけで99.99%に堕ちたといっても過言ではない。
先日も、16期のある女子生徒から「勝田を卒業したら声優を諦めます。短い間でしたが、色々とありがとうございました」というメールをもらった。
私はこの子の根性を買っていた。才能としてはまだまだ発展途上ではあるが、この子ぐらいのド根性で取り組み続けていれば望みはあると思っていたのだ。
が、本人がやめるというのだ。もう、しょうがない。持ち前の根性で、立派な社会人として更正してほしいものだと心から願っている。
1年目のある女子生徒からは、年度途中ではあるが勝田をやめるという話を聞いた。家庭のことなどで続けられない状況が前提にあり、その上に“優勝劣敗”のプロの世界には性格的になじめそうもないというのだ。
この子は、これから私自らが鍛えようと思っていた。繊細な神経の持ち主なのだが、その繊細さの奥に潜むエモーションに期待していたのだ。
が、優勝劣敗に疑問をもつのではしょうがない。「惜しい」と思いつつも、心の中でバイバイと手を振った。
メールで見ず知らずの人から相談されることもある。
「友達に『あんたには合わない』、占いでも合わないと出たので諦めます」というのは論外だが(これ、実際にもらったんだよ)、 このhpに出会ったことによって「私では無理な道だと諦めました」といってきたのもいた。
「親が上京を許してくれません。声優の道は諦めるべきでしょうか?」という質問もあった。「子と離れられない親より、親を捨てられない子にこそ問題があります」と返答するしかなかった。
最初に行った養成所でつまづき、そのまま、ズルズルと年齢を重ねてしまった子は不幸だった。
その子の通っていた養成所は、業界ではインチキ養成所として名高い。下は小学校5年生から、上は50代のおばちゃんを、50人1クラスで教えている。カリキュラムもへったくれもない学校側もいいかげんだが、ここで声優になれると5年も思い込んでいた彼女も彼女だ。
毎週、アフレコごっこをやって、それでプロになれるなどと思っていた本人が一番悪い。二十代であれば、備えていてしかるべき理性と知性に欠けていたのだから。
(よくもまあ、毎週、アフレコごっこをやり続けて飽きなかったものだ。感心するよ)
レア・ケースではあるが、立ち直った例もある。
以前、ここで私が怒り狂っていたイナゾーだが、卒業を前にして私の前に現れた。
「今こそわかります。自分の馬鹿さ加減が。申し訳ございませんでした」と、グシュグシュ泣きながら謝ってきたのだ。
「おまえ、次の進路、どうするんだ?」と聞くと、「1年間、ヴォイス・トレーナーに通って、シッカリと発声を身につけてから、声優の道をやり直すかどうかを決めます」。
私は「そうか。おまえも、やっとマトモな考え方ができるようになったんだな。まあ、頑張れ」と言った。
人生は、全てが自分の判断による選択の連続だ。
朝、目覚めてから、夜、布団の中で眠りにつくまでの1日の中にも、いったいいくつの選択肢があることか。
よく「親に言われて諦めた」という人がいるが、その親の言葉を受け入れたのは、ほかならぬ自分の判断である。
私たちは多種多様な選択肢の中に生きている。
「やる」と決めたのも自分なら、「やめる」と決めるのも自分だ。
生きるということは、選択をし続けることだといっても過言ではない。
人間は弱い。そして、脆くて、狡くて、汚い。
だから、楽な選択をしがちだ。
自分にとって辛い選択、苦しい選択には向かわない。今のままの自分でも可能な、気楽で気軽な選択に流される。
自分で判断することを放棄して、周囲の雰囲気に流されていく。ナニが正しくて、ナニが間違えているかを自分自身で判断するのが怖いからだ。だから、風評や噂に流される。愚かだねえ……
自分で考えよう。考えに考え抜こう。
結論はそれしかないのである。
って、本来であれば、声優の勉強を始める際に、覚悟してきてほしいんだけどね。
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